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つまり、福澤諭吉が『脱亜論』で言った
「アジア東方の悪友を謝絶する」とか
「その伍を脱して」
「西洋人がこれに接するの風に従って処分」するような道、
すなわち侵略「強盗国」の道は二度と拒否し、
朝鮮・中国・アジア民衆と連帯し
共生する国をつくっていくべきだと考えた。
そのためには、戦前と戦後の連続性として在る天皇制=国体を打ち倒し、
「日の丸」「君が代」と訣別しなければ、
アジアと連帯し共生する新しい国にはならない。
そして、天皇制国家が行った侵略と戦争の責任を問い、
謝罪と償いを行って、
二度と「侵略戦争はしない」と宣言し、
憲法1〜8条と天皇制は廃止し、
また、あらゆる差別は許さない、
さらには外国の軍事基地や兵士を
国内に置くことを認めない国をめざすべきだと思う。
その中で、「君が代」不起立の闘いは、
「真理と正義」に立つ「国のあり方」をめざす闘い、
教育労働者が自分の頭で考え
主体的に生きるための闘い、
子どもたちの未来をつくりだす闘い、
希望へとつづく抵抗の闘いとなるであろう。
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福沢諭吉とは何者?
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安川寿之輔氏の『福澤諭吉のアジア認識』の本から、
福沢諭吉が「人心収攬するの中心」として、
「帝室」=天皇制をおしたて、
日本の兵士は「帝室の為に進退し、帝室の為に生死する」
「天皇の軍隊」を唱えていたこと、
また、朝鮮(人)・中国(人)・台湾(人)に対して
差別と排外主義をあおり、
アジア蔑視の帝国意識をつくりだす先頭に立っていたことも分かった。
それから、福澤諭吉の『学問のすすめ』『文明論之概略』
『帝室論』『福翁自伝』も読んでみた。
福澤諭吉が唱えた「文明」はアジアへの「覇権」=強盗の道であり、
安川寿之輔氏が書かれている通り、
日本が天皇制国家の下、朝鮮・中国・アジアへ侵略戦争をくり返し、
「国のあり方」を間違わせた元凶の一人が
福澤諭吉であったことが分かった。
それゆえ、戦前と戦後の連続性として在る天皇制=国体や
「日の丸」「君が代」との闘いは、
福澤諭吉が唱えた天皇をおしたて
アジア侵略「強盗国」路線との訣別、
それとの対決との闘いでもあることに気づいた。
まさに「さようなら!福澤諭吉」だと。
私たちの進むべき道と未来は、福沢諭吉が唱えたことと対極にある。
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気づいたことの一つは、
戦後70有余年を経ても、
「日の丸」「君が代」と一体の天皇制=国体が
戦前と戦後の連続性として存在しているということだった。
疑問に思ったことは、
天皇制が、「伊藤博文らの発明品」として始まったにしても、
では、その「怪物的機械」がどのようにして作られ、
戦前・戦後と連続し、
なぜ、今にいたっても存続しているのかということだった。
そう考えている時に、あれは2012年か2013年頃だと思うが、
たまたま、古本屋で安川寿之輔氏の
『福澤諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す』
という本を見つけた。
それまで、福澤諭吉の著作を読んだこともなく、
福沢諭吉が何者か、くわしいことは知らなかった。
しかし、安川寿之輔氏の『福澤諭吉のアジア認識』を読んで驚いた。
天皇制を押し立てて、
「強兵富国」のアジア侵略「強盗国」路線を先導し、
アジアと日本国内に侵略戦争の「不可救の災禍」をもたらし、
膨大な数の人間の生命を奪い去った、
その元凶の一人が福沢諭吉だったことを知った。
天皇制国家という「怪物的機械」を
作り上げた張本人の決定的人物が福沢諭吉だったことを知った。
敗戦でいったん途絶えた
学校での「日の丸」「君が代」を復活させるのに、
1950年代から文部省が
「学校を通じて子どもたちに教えるのが最も効果的」として
「日の丸」「君が代」を強制してきたのも、
元をたどれば、福沢諭吉の『帝室論』に行きつくのではないか、
と気づいた。
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さいごに
私は以前から福沢諭吉について考えてきたわけではない。
前に書いたように、小学校教員として6年生を担任した時は、
教科書に書かれている福沢諭吉は
人間平等論者、民主主義者的なことに疑問を持ちつつ
『脱亜論』の話を少しはしたが、それ以上の話をする知識を持たなかった。
福沢諭吉の『学問のすすめ』等も読んで、
福沢諭吉の真の姿について、
6年生の子どもたちに分かるようにしっかり話をすべきだったのに、
それができなかったことを、今、後悔している。
しかし、後悔先に立たず!
私が福沢諭吉の『学問のすすめ』等を読むようになったのは、
「君が代」不起立によって処分され、
合格していた再任用を取り消され、
その撤回を求めて人事委員会や裁判で闘うようになってからである。
いや、正確にいえば、
2011年当時の橋下・大阪府知事が
「国旗国歌強制条例」をつくったことに危機感をもち、
「日の丸」「君が代」とは何かについて若い教職員に考えてもらおうと
『「日の丸」「君が代」問題に対する考察』という冊子を作ってからである。
「日の丸」「君が代」はいつからどのように始まり、
戦前・戦中の天皇制教育の中でどのような役割を果たしたのか、
また、戦後の教育の中で、
それがどのように復活してきたのかを調べてまとめていくうちに、
いくつかのことに気づき疑問を持った。
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2.福沢諭吉とは一体何者だったのか?
福沢諭吉は「カメレオンのように多彩に変節」 「思想の無節操性を築きあげた」というが、
しかし、「無節操」な考えなど「思想」と言えるのだろうか?
福沢諭吉は、明治維新以後の日本の現実を
確かに危機意識を持ってきちんと捉えていた。
しかし、その現実をあるべき理想に向かって変革することを説かず、
現実に追随し、
「国体論」でも「民権興起の粗暴論」でも何でも利用して、
「一国独立」「国権拡張」を唱えた福沢諭吉の言説、
これを思想と言うのだろうか?
私には思想とは思えない。
思想とは、現実がよってきたる根底を解き明かし、
あるべき方向を提示し、
その理想に向かって、いかになすべきかを説く、
もっと気高いものと思う。
ある時はこう言い、
何年かたてば、前に言ったことと全く逆のことを言うなど、
そういう「融通無碍」の言説は思想とは言わない。
「カメレオン」的言説を思想とは呼ばない。
教育現場で、私はたくさんの「カメレオン」的「変節」を見てきた。
解放教育を唱え組合運動に熱心であった教師が、
2〜30年して、教頭・校長となり、
あるいは教育委員会に入り、職務命令を出す側に回り、
「日の丸」「君が代」を強制してきた、
そういう連中が何と多かったことか?
彼らに思想があったとは思えない。
もちろん、それらの教師とは違って、
福沢諭吉は主張を「カメレオンのように多彩に変節」させながら、
首尾一貫して、「一国独立」「国権拡張」を唱えてきた。
その意味では、福沢諭吉は、
「頑固なる」帝国主義者、天皇制を押し立てた国権拡張論者であった。
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