ブラックボードに義

ブラックボードとは黒板。義とは墨子が言った「人間として行うべき正しい道」。

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2019年グループZAZA連続講座は、遠藤比呂通(ひろみち)弁護士の
「国家とは何かを問う」4回の講演です。
第2回目が明日となりました。都合がつけば、ぜひ、ご参加下さい。
 
第2回 7月27日(土)2時から、エル大阪・大会議室
★「今、平和とは何かを問う
           ーダグ・ハマーショルドの祈り」
 
〈遠藤弁護士からのメッセージ〉
第2講では、憲法解釈の指針を示し、
法秩序を正当化する倫理的法原則である基本的人権
(人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
侵すことのできない永久の権利として信託されたもの、97条)、
なかんずく、平和的生存権について考えます。
戦力不保持、交戦権を否認した日本国憲法の土台に平和的生存権があればこそ、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍」(前文)が
起きないことが保障されるという意味で、
平和的生存権は、日本という国家を定義する倫理的法原則であるからです。
 
遠藤比呂通弁護士の紹介
遠藤比呂通(ひろみち)弁護士は1960年生まれ。
東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授を経て、
1998年から西成で法律事務所を開設されています。
『希望への権利―釜が崎で憲法を生きる』(岩波書店、2013年)、
『人権という幻―対話と尊厳の憲法学』(勁草書房、2011年)、
『市民と憲法訴訟』(信山社、2007年)、
『自由とは何か』(日本評論社、1993年)等の著書があります。
 
さらに、遠藤比呂通弁護士の紹介 
中村一成さんは『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件
−〈ヘイトクライム〉に抗して』[岩波書店(P82〜)]の中で、
遠藤弁護士のことを次のように書かれています
「遠藤の経歴は異色そのものだ。
憲法学の大御所、芦部信喜の愛弟子として将来を嘱望され、
27歳で東北大学助教授に就任した。
憲法の実践として人権問題にも積極的に取り組んできた彼だが、
1995年の夏、大阪での人権集会の後、
部落解放運動の大御所らに案内された『釜ヶ崎』で、
人が構造的に使い捨てにされている現実に衝撃を受けた。
・・・案内してくださった人から
『ところで何してるんや?』って聞かれたんで、
『私、大学で憲法教えてます!』って自己紹介したらね、
まじまじと顔見て、『ここに憲法あるんか?』って。・・・
 
その後も学生を連れて釜ヶ崎を訪れた。
洗礼を受け、牧師を目指して英国に留学した後、
ついに退職し、釜ヶ崎に移り住んだ。
日雇い労働者となって鉄筋を担ぎ、
炊き出しの手伝いをする日々のなかで、弁護士になった。
・・・以来15年、釜ヶ崎を拠点に活動を続けてきた。
大阪弁護士会に登録する4000人以上の弁護士の中で、
この地で事務所を開くのは今も遠藤だけだ」。

019年グループZAZA連続講座に向けて、
遠藤比呂通弁護士から頂いたメッセージです
【グループZAZA・連続講座】において考えたいこと・・・
連続講座においてグループZAZAの先生方とともに考えたいのは、
「国家とは何か」という問い掛けについてです。
辺野古において国は沖縄県民の存在を無視し、
沖縄を「ただの領土としか考えていない」のではないかというのが、
2018年8月に逝去した翁長知事の怒りでした。
 
一人翁長知事だけでなく、
国歌と国旗に対峙せざるをえなかったグループZAZAの先生方もまた、
入学式・卒業式の場で、日の丸・君が代を押しつけられる生徒の存在が
全く無視されているのではないかと問わざるを得なかった教師であったはずです。
 
第1講では、国家とは、政治部門や裁判所などの国家機関、
教育委員会、学校管理職などの権力のことだけをいうのではなく、
法秩序の正当性を支える個々人の良心、
特に時の権力に反対する市民の抵抗も
また、不可欠の重要部分であることを確認します。
 
第1講は6月16日の2時から、エル大阪6階大会議室で
『今、国家とは何かを問う―沖縄、そして釜ヶ崎』の講演です。
 
第2回〜第4回の講演についても、
遠藤比呂通弁護士から次のようなテーマとメッセージを頂いています。
 
第2回 7月27日(土)エル大阪・大会議室
★「今、平和とは何かを問う
ーダグ・ハマーショルドの祈り」
第2講では、憲法解釈の指針を示し、
法秩序を正当化する倫理的法原則である基本的人権
(人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
侵すことのできない永久の権利として信託されたもの、97条)、
なかんずく、平和的生存権について考えます。
戦力不保持、交戦権を否認した日本国憲法の土台に平和的生存権があればこそ、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍」(前文)が
起きないことが保障されるという意味で、
平和的生存権は、日本という国家を定義する倫理的法原則であるからです。
 
第3回 9月14日(土)エル大阪・大会議室
「今、国民とは何かを問うー柳の枝に琴を掛ける」
第3講では、軍人、軍属、徴用工、挺身隊として
「大東亜共栄圏」のために動員された「植民地出身」が
辿(たど)らざるをえなかった姿を浮き彫りにすることで、
「国民」という側面から「国家とは何か」を解明します。
 
第4回 11月2日(土)エル大阪・708号室
★「今、国歌とは何かを問う
ーはてしない波を渡りつくして」
第4講では、日本国及び日本国民の統合の象徴が天皇である(1条)
ということの意味を、日の丸・君が代という
天皇象徴の不可欠の一部となっている装置を見すえることで、考察します。
ここ象徴とは、究極的存在を指し示す唯一の言語であって、
象徴はそれ自身究極的存在に参与するため、変更不可能であることを確認します。
民族が究極的存在になれば、
必ずそれが魔神化せざるをえないという政治神学の知見に拠りつつ、
魔神化に対抗する「歌の力」について考えてみたいと思います。

2019年グループZAZA連続講座は、
遠藤比呂通(ひろみち)弁護士の
「国家とは何かを問う」4回の講演です。
第1回目は来週の日曜日、6月16日の2時から、
エル大阪6階大会議室で
『今、国家とは何かを問う―沖縄、そして釜ヶ崎』の講演です。
ぜひ、ご参加をお願いします。
 
遠藤比呂通弁護士の紹介
遠藤比呂通(ひろみち)弁護士は1960年生まれ。
東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授を経て、
1998年から西成で法律事務所を開設されています。
『希望への権利―釜が崎で憲法を生きる』(岩波書店、2013年)、
『人権という幻―対話と尊厳の憲法学』(勁草書房、2011年)、
『市民と憲法訴訟』(信山社、2007年)、
『自由とは何か』(日本評論社、1993年)等の著書があります。
 
さらに、遠藤比呂通弁護士の紹介 
中村一成さんは『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件
−〈ヘイトクライム〉に抗して』[岩波書店(P82〜)]の中で、
遠藤弁護士のことを次のように書かれています
「遠藤の経歴は異色そのものだ。
憲法学の大御所、芦部信喜の愛弟子として将来を嘱望され、
27歳で東北大学助教授に就任した。
憲法の実践として人権問題にも積極的に取り組んできた彼だが、
1995年の夏、大阪での人権集会の後、
部落解放運動の大御所らに案内された『釜ヶ崎』で、
人が構造的に使い捨てにされている現実に衝撃を受けた。
・・・案内してくださった人から
『ところで何してるんや?』って聞かれたんで、
『私、大学で憲法教えてます!』って自己紹介したらね、
まじまじと顔見て、『ここに憲法あるんか?』って。・・・
 
その後も学生を連れて釜ヶ崎を訪れた。
洗礼を受け、牧師を目指して英国に留学した後、
ついに退職し、釜ヶ崎に移り住んだ。
日雇い労働者となって鉄筋を担ぎ、
炊き出しの手伝いをする日々のなかで、弁護士になった。
・・・以来15年、釜ヶ崎を拠点に活動を続けてきた。
大阪弁護士会に登録する4000人以上の弁護士の中で、
この地で事務所を開くのは今も遠藤だけだ」。

「教育現場から『個人の尊厳』『自治』『抵抗』『幸せの追求』、
民主主義の芽はそだつ。
モノサシはひとつではない。黙れの圧力に黙らない。不服従という手段。
情報(=歴史から考える)が流通しなくなることがもっとも怖い。
自分のことばをもつ!」
 
「国家にあらがうことは許されず、
政権に批判的な立場を取るだけで『反日』と言われる。
それで、波風を立てないようにする人が増えたら、
戦後築いてきた民主主義が変質してしまう。
異を唱える人がいなければ、社会は良くなりません」。
2018年9月15日付、山形新聞の斉加さんへのインタビュー記事)
 
「伝えるべきは伝える姿勢を持たなければ、
放送の存在価値、さらにはいえば公共的使命が低下してしまう」。
「戦後民主主義の中で育成されてきた教育は、
もはや政治の介入が進んでいる。
そしていま、放送というメディアに対し
バッシングを仕掛ける政治勢力が存在することも見えてきた。
メディア同士の分断も図られている。
言論機関として当然の役割を果たそうとすればするほど、
攻撃にさらされてしまう時代であることを、
私たちは仲間とともに共有し理解しなくてはならないと思う」。
「教育とメディア。今後この2つの在りようが、
日本の国の未来を方向付けることになるのは間違いない」。
201811月、『新聞研究』に掲載された斉加さんの文)
 
歴史の真実と起きている事実を伝えようとする者を
「反日」だとバッシングして黙らせようとする。
「デマとフェイク」で歴史を否定し、
「虚構の物語」つまり「ファンタジー」を作り上げる。
これでは、まともな判断ができない。
 
今、「メディアと教育が標的にされる時代」にあって、
バッシングにひるむことなく、声を上げ続けることが大切だ。
不服従というのが大事。
軍隊や防衛大学では、「服従が誇り」で、
日大アメフト部では、疑わずに服従することが求められていた。
しかし、これはおかしい。
「君が代」不起立をしたZAZAのみなさんが、
声を上げ続けているのは、世の中に伝わる、伝わっている。
声を上げられなくなるのが、一番怖い。
声を上げて、議論できる空気をつくることが大切だ。
良心を幕引きさせないで、
自分の言葉をもつ、自分の言葉で語る、ことが大事だと言われた。
 
「メディアと教育が標的にされる時代」にあって、
メディアの最前線でバッシングにひるむことなく、負けることなく、
真実の報道をつづけておられる斉加さんの芯と骨を思わせる講演だった。
そして、「君が代」不起立は「非行」でも「信用失墜行為」でもなく、
教師の良心を踏みにじり、歌えと命令する方が間違っている、
と不服従の闘いを続けてきたことに勇気と元気をもらう講演だった。

「戦後民主主義の価値を破壊?
“反日”に対する物量作戦、大衆煽動→憲法改悪へ下準備」
伊藤隆が言ったように、かれら日本会議系右派は、
「反日」という言葉を、「異を唱えるな」「黙れ」として使っている。
「慰安婦問題」「南京事件」「沖縄集団自決」の3つを
教育の場でも、メディアの場でも、その歴史の事実を
正しく伝えようとする者を「反日」と決めつけ、攻撃してきた。
そして、彼らはこれら3つを否定する言説を広めてきた。
これらは歴史をねじ曲げ、歴史を都合よく書きかえる行為だ。
 
彼らは「都合の悪い」歴史は書かない。
大和朝廷のところでも、鉄が朝鮮からもたらされ、
渡来人が活躍した歴史は書かない。触れない。
「日本はすばらしい」の言説をまきちらす。
しかし、歴史を語るには、
日本と日本以外の視点、また、加害と被害の視点、両方の視点がいる。
 
民主主義の崩壊は言葉から始まる。
異を唱える者は「左翼」だ、「反日」だと、
標的を定めてバッシングし攻撃する。
ことばのやり取りで社会が成り立つのに、
「反日」という言葉が、バッシングの言葉となっている。
危うい社会となっていることが
伊藤隆のインタビューで分かったと言われた。
 
そして、今、「慰安婦」の授業をやってきた吹田市の中学教員が、
西田薫(維新)議員らによって府議会でバッシング攻撃にあっている。
府議会の質問で、西田薫は、「慰安婦」の授業は、
「まさしく洗脳教育・思想教育だ」「大問題だ」と叫び、
「こういった授業が、
大阪府下の他の小中学校でも行われていないかどうか」
「すぐにでも市町村教育委員会に調査すべきだ」と府教委を問いつめた。
それに対し、府教委・桝田小中学校課長は、
「各学校において、歴史的事象を一面的に捉えるなどの
不適切な指導がないかは、市町村教育委員会に対して」
「調査・把握・指導したい」と答えた。
さらに、西田薫は驚くべきことに、
「我が国の平和を築くために憲法を改正すべき」と、
「教えるのも平和教育の一つ」だなどとつけ加えた。
1016日、大阪府議会教育常任委員会)
 
伊藤隆の考え、日本会議系の言説がここにあると、私は考える。
都合の悪い歴史は教えるな、
教える者は「反日」だとして、バッシングして黙らせる、
そして、事実と歴史をねじ曲げていくやり方だ。
しかし、西田薫ら橋下・維新の会こそが、
「洗脳教育・思想教育」を行っており、「大問題」である。
「日の丸」と「君が代」が侵略戦争の旗と歌である歴史をおおいかくし、
「日の丸」「君が代」を強制する条例をつくり、
教職員に強制し、子どもたちに「日の丸」「君が代」で「洗脳」してきた。
歴史と事実の180度の逆転の上に、
しっかりと歴史的事実を教え、
それを子どもたちに考えるようにという教育へのバッシングは許せない。

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