
■平和記念公園
子供の頃、母から聞いた長崎の原爆投下当日の話。
当時母は僕の故郷(天草西海岸)で小学校の教員をしていました。
その日は長崎の野母岬が見える海岸線の山斜面で児童と農作業をしていた
そうです。
空襲警報がなったので、避難して空を見上げると大きな飛行機が長崎方面へ
向かって飛んで行き、暫くすると大きなきのこ雲が立ち昇ったそうです。
もの心ついた時から、見たり・読んだり・聞かされた広島・長崎。
今回の「もっこす会」のお陰で、一度はと思っていた広島・平和記念公園を
訪れる事ができました。
原爆の余りの悲惨さに胸をしめつけられ、心痛み、厳粛な気持になりました。
そして人が人に対して使用したことに、強い怒りを覚えました。
ノーモア広島・長崎を改めて強く強く思った平和記念公園でした。
写真左から
■平和記念資料館 3枚
・地球平和監視時計 ・投下前の街並模型 ・投下後の街並模型
■原爆死没者慰霊碑
■原爆ドーム 6枚 最後の写真:原爆ドームとハト
・原爆ドームの記念碑には。。。
昭和20年8月6日、史上はじめての原子爆弾によって破壊された
旧広島産業奨励歓館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ
半径2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため
国の内外の平和を願う多数の人々の寄付によって補強工事を施し
これを永久に保存する 昭和42年8月6日 広島市
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僕は、はっきりいうと、原子爆弾が落とされていないと、今の日本は、ないと思います。でも、最終的には、戦争をやらなきゃ良かったのです。 まあ、僕のブログスポーツ中心だけど時々遊びに来てください。
2006/12/13(水) 午前 10:05 [ her*k*resur*kki**uruu ]
多くの方の犠牲があったからこそ、今の日本があるのですね。これを忘れてはいけません。この補強工事、悲惨さが薄れるのでは・・などと心配があったのを記憶しています。
2006/12/13(水) 午後 8:12
hera・・・・さん、訪問ありがとうございます。とても長い名前ですね。どんな意味なんでしょう?人はというより、男はなぜ戦うんでしょうね。神代の昔から。。。こんどゆっくりおじゃまします〜
2006/12/14(木) 午後 10:43 [ 4WD3000 ]
ひーまさん、父は先の大戦、中国で終戦を迎えたのですが、一度も戦争の話をしたことはありません。そんな親父が先日、子供を見せに帰った僕の息子に戦争の話をしたそうです。今の日本の繁栄は親父達の年代の犠牲があったからこそですよね。土曜日、硫黄島からの手紙を見てきましたが、胸に迫るものがありました。
2006/12/14(木) 午後 10:53 [ 4WD3000 ]