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京の古木・巨樹 第4回 源融の河原院跡の榎 <駒札> <駒札と石碑> この辺りは、かつて源融の河原院の邸宅内の庭の中の島「籬(まがき)ノ島」が、その後の鴨川の氾濫によって埋没し、森として残ったところと伝えられており、石碑の横の大きな榎が最後の一本だといわれています。 (2)河原院 ・嵯峨天皇皇子左大臣源融(822〜95)の邸宅。その邸宅は河原院と称され,北は現在の五条通,南は正面通,西は柳馬場通,東は鴨川を範囲とする八町におよぶ広大な敷地をもち,苑池を備えた景勝地として知られていた。 ・源融は、ここで陸奥国塩釜の風景を模して庭園を作り、尼崎から毎月30石の海水を運んで塩焼きを楽しんだという。 ・また、嵯峨の山荘・棲霞観(せいかかん)や宇治に別荘を造り、豪奢な生活を送ったといわれる。 ・融没後は宇多上皇(867〜931)の御所となり東六条院とも呼ばれた。 ・その後は寺となったが、数度の火災で荒廃した。 ・跡地には江戸時代に渉成園が作られた。 (3)榎の巨木と石碑 |

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