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醍醐にある長尾天満宮と「菅公衣裳塚」
 
 
長尾天満宮は、醍醐寺の仁王門の前から醍醐寺北門に向かって100mほどのところ、理性院の向かいに石鳥居があり、ここから参道を歩き、さらに長い石段を上ったところにある神社です。
 
ここは醍醐寺の境内と隣接した高台にあり、高台のはずれ、木々の間に醍醐寺の金堂が見えるところに、菅原道真死後、その衣服と遺物が死後大宰府から持ち帰られ埋められたと伝える「菅公衣裳塚」があります。
 
この「菅公衣裳塚」のある高台に長尾天満宮の社殿があります。
 
 
長尾天満宮の創建の由来については、
 
・現在の醍醐寺の金堂はもともと紀州の満願寺の本堂であり、豊臣秀吉が醍醐天皇の遺徳を讃えるために紀州から移築を命じたところ、その工事中に事故が続き、当時これは道真の霊の仕業であると考えられたことから、秀吉は高台に道真の怨みを鎮めるために天満宮を創建した。
 
・この地には菅原道真死後、道真の衣服と遺物が大宰府から持ち帰られ埋められたと伝えられ、菅公衣裳塚と伝える宝篋印塔があり、ここは道真が、生前墳墓の地に望んでいたところである。
 
 という言い伝えがあります。
 
 
 醍醐寺の仁王門や理性院の近くにあるこの神社は、普段はひっそりと静まり返っていて、観光客の姿もほとんど見られませんが、長い石段があることなどから、近所の人たちがウォーキングやトレーニングに訪れています。
 
 
1 場所↓
 
 
2 境内のようす
①理性院向かいにある鳥居と参道
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②社殿のある高台へ続く長い石段
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③石段の途中にある頼政道跡の石碑
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 この道は、以仁王挙兵を画策した源頼政が、作戦の失敗で三井寺から奈良へ落ちるときに通った道と伝えられている。
 
④菅公衣裳塚
<説明板>
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・菅公この地(醍醐)に遊覧の折、聖宝尊師にいわく「吾薨する後、墓をここに築くべし」と。
 
・その後、延喜3年(903225日大宰府において薨せられし後、使者を遣わし菅公の衣裳や遺物等を持ち帰り、醍醐寺第一代座主観賢僧正は先師の約束を違えず墓をこの地に築かれた。
 
・今この墓の上には宝篋印塔が置かれ、俗に衣裳塚という。
 
・傍らの碑に「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」の歌が刻まれている。
 
衣裳塚>
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イメージ 16
 
<歌碑>
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<衣裳塚から見える醍醐寺金堂>
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⑤皇大神宮
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⑥拝殿
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⑦拝殿前の臥牛の像
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⑧本殿
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地元では、天神さんということで、受験の神、学問の神として信仰されている。
 
⑨狛犬と末社
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⑩末社
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⑪絵馬
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ブログに記事を投稿したら

こんな記事もあります・・・と、紹介されましたので、

早速訪問させて頂きました。ありがとうございます。

2010/7/10(土) 午後 7:53 [ 出水の秀ちゃん ] 返信する

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