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花園天皇陵と青蓮院の眺め
今回は、あまり知られていない平日限定のおすすめスポットをご紹介します。
東山の青蓮院の南隣りにある花園天皇陵(「十楽院上陵」)です。
天皇陵はどこも拝観無料であり、平日限定というところも多く、ガイドブックなどにも掲載されていないため、一般の人を見かけることもほとんどないのが大半です。
しかし、参道からの眺めや雰囲気の良いところも多く、緑も濃いところであるため、近所の人たちが運動や散歩に訪れているのに出会うこともよくあります。
ここ、花園天皇陵は、入口が石段を上がったところにあるため、目立たないのですが、平日には門が開けられ、自由に中に入ることができます。
参道からは塀越しに青蓮院の宸殿や本堂が見えます。とりわけ新緑と紅葉の頃には散策にはおすすめのところです。
なお、花園天皇は鎌倉時代の天皇で、禅宗の信仰に傾倒し、仁和寺花園御所を寺に改めて 妙心寺を開基したことで知られています。
1 場所↓
2 花園天皇陵参道のようす
・陵墓の正式名 「十楽院上陵」
・参道入口の門
・参道から見た門
・参道
路面はしっかり舗装されています。
・塀越しに見る青蓮院の鐘楼
・塀越しに見る青蓮院の宸殿
・塀越しに見る青蓮院の本堂
・さらに陵墓に続く参道
・陵墓
3 花園天皇について
フリー百科事典「ウィキペディア」には次の記述がある。
・永仁5年(1297) - 貞和4年/正平3年(1348)
・鎌倉時代の第95代天皇。
・伏見天皇の第四皇子。持明院統。
・延慶元年(1308)、大覚寺統の後二条天皇の崩御に伴い12歳で即位。
・文保2年(1318)、大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)に譲位。
・在位期間の間、前半は父の伏見上皇が、後半は後伏見上皇が院政を敷いた。
・禅宗の信仰に傾倒し、建武2年(1335)円観について出家、法名を遍行という。宗峰妙超・関山慧玄を師とし、暦応5年/康永元年(1342)、仁和寺花園御所を寺に改めて妙心寺を開基。
・歌道に優れ、京極派の重要なメンバーの一人で、『風雅和歌集』の監修を行った。
・崩御より2日後、現在の東山区粟田口三条坊町にある十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)に葬られた。
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京の天皇・皇族の墓
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