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宇治十帖「蜻蛉」(第52帖)の古跡と「蜻蛉石」
紫式部が著した源氏物語は全編54帖からなりますが、このうち、最末尾にあたる第3部のうち後半の橋姫から夢浮橋までの十帖は宇治を舞台としており、通称「宇治十帖」と呼ばれています。
-宇治十帖-
第45帖 橋姫(はしひめ) 第46帖 椎本(しいがもと) 第47帖 総角(あげまき) 第48帖 早蕨(さわらび) 第49帖 宿木(やどりぎ) 第50帖 東屋(あづまや) 第51帖 浮舟(うきふね) 第52帖 蜻蛉(かげろう) 第53帖 手習(てならい) 第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし) 宇治橋を中心とした宇治川の両岸に、後世、そのゆかりの古跡が定められ、石碑が建てられました。
京阪三室戸駅より徒歩15分くらい、新興住宅街が広がる宇治市莵道大垣内の京都翔英高校南側に、「蜻蛉石」とよばれる線刻阿弥陀三尊石仏と宇治十帖「蜻蛉」の古跡の碑があります。
「蜻蛉石」は、藤原時代に流行した阿弥陀来迎の信仰を線刻したもので、平安時代後期の作と考えられています。
特に、発願者と思われる十二単を着た一人の女性が、中央の阿弥陀仏に向けて合掌している姿が彫りこまれているのを見つけたときは、感動してしまいました。
ここは宇治十帖の古跡の中でも、ぜひ訪れたいところです。
<「蜻蛉石」古跡周辺の様子>
1 場所↓
2 宇治十帖「蜻蛉」の古跡の碑
①「蜻蛉之古蹟」碑
②説明板
●源氏物語 宇治十帖(八)
蜻蛉
宇治の山荘は、浮舟の失踪で大騒ぎとなった。事情をよく知る女房達は、入水を推察して、世間体を繕うため母を説得し、遺骸の無いまま泣く泣く葬儀を行った。薫君も匂宮も悲嘆の涙にくれたが、思いはそれぞれ違っていた。
事情を知った薫君は、自らの恋の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。
六条院では、明石中宮が光源氏や紫上のために法華八講)を催された。都では、華やかな日々を送りながらも薫君は、大君や浮舟との「つらかりける契りども」を思い続けて愁いに沈んでいた。
ある秋の夕暮、薫君は、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、ひとり言を口ずさむのだった。
ありと見て手には取られず見れば又
ゆくへも知らず消えし蜻蛉 3 「蜻蛉石」(線刻阿弥陀三尊石仏)
阿弥陀三尊仏の来迎を自然石に線彫りをしたもので、通称「蜻蛉石」と呼ばれる。
この阿弥陀三尊石仏は、藤原時代に流行した阿弥陀の来迎信仰をあらわしている。阿弥陀三尊来迎図の石仏としては、最古の遺品といわれている。
正面には阿弥陀如来、向かって右面には両手で蓮台をささげる観音菩薩、左面には合掌する勢至菩薩が線彫されている。
平安時代後期の作と考えられている。高さ約2m。市指定文化財。
①線刻阿弥陀如来像
蓮華座に坐し、定印を結ぶ。
②線刻勢至菩薩(西面)
③十二単を着た一人の女性が中央の阿弥陀仏に向けて合掌している姿
左面の勢至菩薩の右下に十二単らしき着物を着た一人の女性が彫られている。
敷物の上に裳裾をながく後ろにひいてひざまずき、中央の阿弥陀仏に向けて合掌している姿が彫られているといわれており、この石仏造立の発願者であろうと考えられている。
そういわれてみればそれらしく見える。
④観音菩薩(東面)
⑤説明板
<近くのマンホールのふた>
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