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宇治十帖「椎本(しいがもと)」(第46帖)の古跡と彼方神社
宇治十帖は、源氏物語の最末尾にあたる第3部のうち後半の「橋姫」から「夢浮橋」までの十帖をいいます。
-宇治十帖-
第45帖 橋姫(はしひめ) 第46帖 椎本(しいがもと) 第47帖 総角(あげまき) 第48帖 早蕨(さわらび) 第49帖 宿木(やどりぎ) 第50帖 東屋(あづまや) 第51帖 浮舟(うきふね) 第52帖 蜻蛉(かげろう) 第53帖 手習(てならい) 第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし) 宇治橋を中心とした宇治川の両岸に、後世、そのゆかりの古跡が定められ、石碑が建てられました。
宇治橋東詰から府道沿いを進み、東屋の古跡を通りすぎた少し先に彼方(おちかた)神社があります。
ここが椎本(しいがもと)の古跡といわれています。
1 場所↓
2 宇治十帖「椎本」の古跡
「椎本」(しいがもと)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第46帖。第三部の一部「宇治十帖」の第2帖にあたる。
巻名は、薫が故八の宮を偲んで詠んだ和歌「立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな」に因む。
この帖に登場する夕霧所有の別荘は、宇治川の岸辺、京の向こう岸にあることから平等院がモデルというのが通説となっている。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より転載)
①説明板
●源氏物語 宇治十帖(二)
椎本 春、花の頃、匂宮(におうのみや)は、初瀬詣(はつせもうで)の帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君(かおるのきみ)やお供の貴族たちと音楽に興じた。楽の音は対岸の八宮(はちのみや)の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばれた。 薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息(しょうそこ)を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのだった。 薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君(おおいきみ)に強くひかれていく。 八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深いころ、阿闇梨(あざり)の山寺で、さみしく静かに生涯を閉じられた。 たちよらむ蔭(かげ)と頼みし椎が本 むなしき床(とこ)になりにけるかな 平成十八年十月 (財)宇治市文化財愛護協会 総角 3 彼方(おちかた)神社
京阪宇治駅の東南にある彼方神社は「椎本」の古跡とされています。
彼方神社は小さな神社で、諏訪大明神を祭神とし、古くは宗像(むなかた)の神を祀ったといわれています。
また、以前は椎本神社と呼ばれていたようです。
「彼方」の名前の由来は、川の流れ落ちる「落方(おちかた)」だという説があります。源氏物語「椎本」巻において八の宮と匂宮が和歌を読み交わしますが、二人の和歌に“遠方(おち)”という語が含まれています。こうしたことから、彼方神社が椎本の古跡とされたのではないかと考えられています。
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京都と文学(歌碑・詩碑・句碑等)
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