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山科の徳林庵と旧東海道の面影
徳林庵は山科区の京阪京津線四宮駅の西側にある臨済宗南禅寺派のお寺で、旧東海道に面して六角形の地蔵堂があります。
ここにはかつて小野篁により仁寿2年(852)に作られた6体の地蔵尊像のうちの一体と伝わる地蔵尊が安置されており、「山科地蔵」、あるいは「四ノ宮地蔵」とも呼ばれ、毎年8月22日、23日の六地蔵巡りでは大勢の参拝客でにぎわいます。
●京の六地蔵めぐり
1.奈良街道・六地蔵の大善寺(伏見六地蔵) 2.西国街道・上鳥羽の浄禅寺(鳥羽地蔵) 3.丹波街道・桂の地蔵寺(桂地蔵) 4.周山街道・常盤の源光寺(常盤地蔵) 5.若狭街道・鞍馬口の上善寺(鞍馬口地蔵) 6.東海道・四ノ宮の徳林庵(山科地蔵) また、徳林庵の境内には「定飛脚」の文字の刻まれた井戸手水や元禄年間の道標があり、また隣接する民家はかつて茶店だったということで、当時お湯を沸かしていた釜や南北朝時代のものとみられている石仏などがあり、このあたりでは、かつての主要街道であった東海道の名残を見ることができます。
(2)境内と周辺
①地蔵堂
東海道に面して建つ六角の堂
②わらべ地蔵
③荷馬の井戸手水
「定飛脚 宰領中 文政四年巳年六月吉日」と刻まれている。
宰領とは、荷物の運搬または旅行者の集団の取り締まりをいう。
徳林庵の前を通る東海道が主要な街道であったことがうかがえる。
④道標
旧東海道に面して置かれている。
南無地蔵尊・伏見六ぢざうの文字が見える。
沢村道範の道標で、銘は元禄16年(1703)。
山科に残る沢村道範の道標は、史跡となっている「五条別れ道標」(御陵)とこの道標の二つ。
⑤徳林庵東側に隣接するかつての茶店
特にお願いして建物内を見せていただき、写真も撮らせて頂きました。
建物は明治以降、かなり大きく改造しているそうです。
・江戸時代に、お湯を沸かしていた釜
「宰領中」「江戸定飛脚問屋」「文化十年」の文字が見える。
・仏壇に祀られていた石仏
南北朝時代の珍しい石仏といわれている。
花崗岩製。高さ1.1m、幅80cm。上部が阿弥陀石仏、その下方左右に観音勢至菩薩像で、下方中央に地蔵菩薩が彫られている。地蔵菩薩が彫られているのが珍しいといわれている。
(3)徳林庵の沿革
<説明板>
・山科地蔵は小野篁により仁寿2年(852)に作られた6体の地蔵尊像のうちの一体で、初め伏見六地蔵の地にあった。
・後白河天皇は、都の守護、都往来の安全、庶民の利益結縁を願い、平清盛、西光法師に命じ、保元2年(1157)、京洛の街道の出入口6箇所に六角円堂を建てて一体ずつ分置し、西光法師に命じて供養させた。
・以後、山科地蔵は東海道の守護佛となり、六地蔵巡りが広まった。
・琵琶の名手だった仁明天皇の第四皇子、人康(さねやす)親王が失明され、この地に移り住んだといわれ、子孫の南禅寺雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が天文19年(1550)に徳林庵を創建。山号は「柳谷山」。
※境内にある人康(さねやす)親王供養塔(室町時代)
親王は仁明天皇第四皇子で、琵琶の名手であったとされ、江戸時代には琵琶法師等の祖先とされた。
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京の街道の史跡
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