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今熊野観音寺と境内の紅葉
東大路通から泉涌寺へ向かう参道を上っていくと、泉涌寺の駐車場の手前に左へ折れる道があり、この先に今熊野観音寺があります。
今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭で、正式名は新那智山今熊野観音寺といいます。
平安時代の大同年間(806年〜810年)に空海が庵を結び自ら観音像を刻んで安置したのが始まりと伝えられていますが、藤原緒嗣が伽藍を造営したともいわれ、永暦年間(1331年〜1334年)には新熊野神社が建てられるとその本地仏を祀る寺とされました。
ここは西国三十三所観音霊場の第15番札所として、さらに中風や頭痛平癒、近年は、ぼけ封じのご利益で信仰を集め、年間を通じて多くの参拝客が訪れます。
年中行事としては、毎年9月に行われる四国八十八ヶ所のお砂踏み法要が有名です。
また、境内は秋の紅葉が見事なことで知られ、11月末の境内では、大師堂前の紅葉が素晴らしく、また境内では京都で一番赤いといわれるカエデの紅葉も見ることができました。
1 場所↓
2 境内
<境内案内図>
①鳥居橋
③子護大師
境内に入って真っ直ぐ進み、石段を上ると、子護大師の前に出る。子護大師は文字通り子供達を護り育む「子護弘法大師」として信仰されている。
「南無大師遍照金剛」を唱えながら、大師像の周りをまわる。
④本堂と大師堂、多宝塔
子護大師からさらに石段を上ると、正面に本堂、右手に大師堂があり、多宝塔が見える。また、本堂前方に、五智の井がある。
⑤五智の井
⑥本堂
後白河法皇の病気治癒の伝説から、本尊は中風や頭痛平癒の観音といわれている。知恵授けでも名高い。
脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天。
・ぼけ封じ、頭痛封じ、智恵授けの枕カバーを授与している
⑦三重石塔
本堂に向かって左手にある。平安時代のものとされる。
⑧大師堂
弘法大師を祀る。不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りしている。
・大師堂と紅葉
・大師堂近くの石仏
⑨鎮守社「稲荷社」「熊野権現社」
向かって左に稲荷社、右に熊野権現社が並んでいる。
・稲荷社
・熊野権現社
⑩「京都で一番赤い」と評判のカエデの紅葉
熊野権現社の近くにある。
⑪鐘楼
・鐘楼近くの黄葉
⑫多宝塔(医聖堂)
本堂東側の山上にそびえ立つ高さ16mの平安様式の多宝塔で、医界に貢献した多くの方々がまつられている。
・参道
鐘楼横から五智水を経て、山上の医聖堂までの参道に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安し、「今熊野西国霊場」としてまつられている。
・多宝塔からの展望
4 お砂踏法要 9月21日〜23日
今熊野観音寺は西国三十三所観音霊場の第十五番札所であり、ここに、四国霊場八十八ヵ所の全ての砂が敷き並べられ、遍路の行程を一日で巡ることができるとされる。
5 祈願絵馬
6 沿革
<説明板>
・泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。西国三十三ヶ所観音霊場第十五番目の札所になっている。
・空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡年間(854〜857)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。
・伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後復興されて現在に至っている。
本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置。
寺域は幽静で、郭公鳥の名所として名高い。
本堂背後の墓地には慈円僧正、藤原忠通、藤原長家の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。
7 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2級 【問】西国三十三箇所巡礼は、平安後期に僧侶の間で始まり、室町後期には一般にも普及した。次のうち札所寺院でないものはどれか。 (ア)長楽寺 (イ)今熊野観音寺 (ウ)清水寺 (エ)善峯寺 【正解】(ア)
(2)平成18年度2級
【問】9月、四国霊場八十八ヵ所の遍路を一度で巡るとされる今熊野観音寺の行事はどれか。 (ア)お練り供養法会 (イ)千日詣り (ウ)お砂踏法要 (エ)六斎念仏 【正解】(ウ)
8 練習問題
(1)( 1 )の塔頭。正式名:「新那智山今熊野観音寺」。 (2)本尊:( 2 )。空海が熊野権現の化身の老翁から十一面観音像を授けられて建立し、藤原緒嗣が伽藍を造立。 (3)( 3 )の病気平癒の伝承から、中風、頭痛平癒の観音として知られている。 (4)西国33ヶ所第( 4 )番札所。 (5)( 5 ):9月21〜23日 四国霊場八十八ヶ所の全てのお砂が敷き並べられ、遍路の行程を一日で巡ることができる。
【正解】
1 泉涌寺 2 十一面観音像 3 後白河法皇 4 15 5 お砂踏み法要 |
京の紅葉2010
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