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蓮華王院本堂(通称「三十三間堂」)と境内のようす
 
 
七条大橋を東山方向に渡って七条通を300mほど歩くと、京都国立博物館の向かいに蓮華王院があります。
 
蓮華王院は南北に118mもの長大なお堂でお堂正面の柱間の数が33あることから、広く「三十三間堂」と呼ばれて親しまれています。
 
堂内には大仏師、湛慶による丈六の千手観音坐像(国宝)を中心に千一体もの観音像(重文)とともに、風神・雷神、観音二十八部部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られています。
 
ここでは、例年1月中旬に本堂西側で、矢を射る「通し矢」にちなむ弓道大会が行われます。また、同日に楊枝(やなぎ)の御加持という無病息災&厄除開運を祈願する行事が行われ、無料で本堂内部を拝観することができます。
 
 
 
 
 
2 境内のようす
(1)本堂
南北に118mという長大なお堂。お堂正面の柱間の数が33あることから、広く「三十三間堂」と呼ばれている。
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・蛙股
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・三十三という数字
観音の慈悲が33相に示現するということにちなんでいる。すなわち、苦難に遭遇した衆生を救済するため、観音菩薩は苦難に応じて33の姿に変身される。柱間の数もこれにあわせたもので、また観音霊場が三十三所となっているのもこれによるもの。
 
 
(2)庭園
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(3)蓮華王院と法住寺殿址、方広寺の名残
 
①法住寺殿址の碑(庭園の一角にある)
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・かつて、このあたり一帯に後白河上皇の離宮「法住寺殿」が営まれていた。
 
・平清盛により、法住寺殿内の一画に蓮華王院が建立された。
 
・その後、木曽義仲の焼き打ちにより焼失。蓮華王院は1249年に焼失したが、直ちに復興に着手し、文永3年(1266)に現在の本堂が再建された。
 
・豊臣秀吉が蓮華王院の北側に方広寺を建立し、蓮華王院は方広寺の寺域に取り込まれた。その名残として方広寺の南大門と太閤塀(ともに重文)が残っている。現在、太閤塀は蓮華王院の塀となっている。
 
 
②豊臣秀吉ゆかり方広寺の名残
・南大門
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豊臣秀吉が建立した方広寺の南門を、その子豊臣秀頼が現在の位置に移築した門。
 
かつては、西門があったが、明治28(1895)、教王護国寺(東寺)に移築されて南大門となった。
 
 
・太閤塀
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豊臣秀吉によって寄進された築地塀。方広寺大仏殿の外塀から移築された。瓦に豊臣家の桐紋の文様が用いられていることから「太閤塀」と呼ばれている。
 
 
(4)写経奉納塔
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(5)法然塔(名号石)
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 元久元年(1204)、時の土御門天皇が当院で後白河上皇の13回忌を行った際、請いを受けた法然上人が音曲に秀でた僧を伴って「六時礼賛」という法要を行った。この碑はその遺蹟。
 
 
(6)夜泣泉
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<説明板>
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お堂創建の翌年(1165年)に、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという「霊泉」で、古今著聞集には「いつも冷たく美味しくて、飲んでもお腹を痛めることのない“極楽井”で、どんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ」と記されている。
 
夜のしじまに水の湧き出す音が人の“すすり泣き”に似ることから、“夜泣き“泉といわれるようになり、いつ頃からか傍らに地蔵尊が奉られ、特に幼児の「夜泣き封じ」に功徳があるとして、お地蔵さんによだれかけを奉納し、かわりに古いよだれかけをもらって帰り、子どもの枕に敷くと子供の「夜泣き」が治ると言われ、今もその御利益を求める参拝者が続いている。
 
 
(7)鐘楼
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3 仏像(本堂内)
(1)千手観音坐像(国宝)
・お堂の中央に安置。
・像高約3m、檜材の寄木造。
・鎌倉時代の再建期に大仏師、湛慶が弟子を率いて完成させたもの。
 
 
(2)千一体の千手観音立像(重文)
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(3)風神・雷神(国宝)
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・インド最古の仏典「リグ・ヴェーダ」に登場する神で、自然現象を神格化したもの。

・仏教では、仏教を守るとともに、勧善懲悪、風雨を整える神とされる。
 
 
(4)観音二十八部衆像(国宝)
・多くは古代インドに起源をもつ神々で、千手観音に従い仏教とその信者を守るとされる。
・檜材の寄木造、玉眼を用いた像で、鎌倉彫刻の傑作とされる。
 
 
4 沿革
<説明板>
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・現在は天台宗妙法院の管理になるお堂で、正式には蓮華王院といい、長寛21164)、鳥辺山麓(現・阿弥陀ヶ峰)にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造営した。
 
・一度焼失したが、直ちに復興に着手し、文永3年(1266)に現在の本堂が再建され、その後4度の大修理を経て現在に至る。
 
・長大なお堂は「和様入母屋造り本瓦葺」で、南北に118m、お堂正面の柱間の数が33あることから、「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中心に千一体もの観音像(重文)とともに、風神・雷神、観音二十八部部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られている。
 
・境内の南大門と太閤塀は豊臣秀吉ゆかりの建造物(重文)。
 
・毎年正月に行われる「通し矢」にちなむ弓道大会は、京都の風物詩になっている。
 
 
法住寺と法住寺殿址
・平安時代中期(988)に藤原為光が法住寺を建立し、これを中心とした地域に後白河上皇の離宮「法住寺殿」が造営された。
・広大な敷地には、南殿(法住寺殿)、七条殿(西殿)と七条(東殿)の三御所が造られた。
・御白河上皇の住まいであった南殿を狭義の法住寺殿という。
1164年、平清盛により、南殿の北側に蓮華王院が建立され、新日吉神社、新熊野神社も法住寺殿内に建立された。
1183年、法住寺殿は木曽義仲の軍勢によって焼き打ちされた。
・その後、後白河上皇も亡くなり、法住寺は後白河上皇の御陵を守る寺として江戸時代末期まで存続し、明治時代になると、御陵と寺が分離され現在に至る。
 
 
 
5 有名な行事
(1)楊枝(やなぎ)の御加持(1月中旬)
頭痛封じ。
 
(2)「通し矢」にちなむ弓道大会
かつて、ここの本堂西側で、矢を射る「通し矢」は近世から評判になっていた。
現在は、楊枝(やなぎ)の御加持と同日にひき初め、弓道大会が行われる。
 
 
 
6 練習問題
(1)正式名「( ① )」。
 
(2)本尊:千手観音。
 
(3)「三十三間堂」の名前の由来
本堂の母屋正面の柱間の数が33あること。
 
(4)沿革
長寛2年(1164)に( ② )の勅願によって建立。
天正14年、豊臣秀吉が( ③ )を創建した際、その千手堂となる。
秀吉没後は方広寺とともに、( ④ )の管理下に置かれた。
 
(5)本堂
国宝。院政期における浄土教寺院の( ⑤ )堂の典型。( ⑥ )時代和様の代表的遺構。
 
(6)南大門、( ⑦ )塀(重文)
桃山時代の建築。
 
(7)千手観音
中央に( ⑧ )作の( ⑨ )(国宝)
南北120mに及ぶ伽藍内に、( ⑩ )(重文)が立ち並ぶ。
 
(8)風神・雷神像(国宝)
 
(9)二十八部衆像(国宝)
 
(10)行事
( ⑪ )、通し矢:1月15日に近い日曜に行う。
 
【正解】
1
蓮華王院
2
後白河上皇
3
方広寺
4
妙法院
5
阿弥陀
6
鎌倉
7
太閤
8
湛慶
9
千手観音坐像
10
木造千手観音立像
11
柳のお加持
 

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