京都検定合格を目指す京都案内

京都検定、がんばってください。ココロ京都、京都好きYahooブログもよろしく

全体表示

[ リスト ]

金戒光明寺(通称「黒谷」)境内から永運院、西翁院、栄摂院を経て真如堂へ(1)
 
 
 前回、昨日のブログで、真如堂総門から金戒光明寺の文殊の塔までご案内しました。
 
 前回に引き続いて、金戒光明寺境内から塔頭を経て真如堂に戻るまでのコースは、このブログの管理人の大好きな散歩コースです。そこで、前回、今回、次回の3つに分けて、御案内をさせていただきます。
 
 
 前回を振り返りますと、真如堂総門を出発して、吉祥院前の四季折々の花を見て、三重塔、本堂を経て、会津墓地に向かい、さらに西雲院の境内を突き抜けて文殊の塔に出て、竹内栖鳳や八橋検校の墓などをお参りし、ここから京都市街地の眺望を堪能しました。
 
 今回と次回は、ここから、文殊の塔の前の石段を下りて、金戒光明寺の境内を通って、塔頭の西翁院、永運院前を経て塔頭の栄摂院の庭園を見て、北門を出て真如堂総門に戻るというもので、今回は、文殊の塔の前の石段を下りて、金戒光明寺の境内まで御紹介します。
   
 
※周辺地図↓
 
 
1 文殊の塔の前の石段周辺
 
文殊の塔の前の石段わきには、まるでアフロ頭の五劫思唯の石仏や春日局や崇源院の供養塔があり、これらを見て、法然上人廟から金戒光明寺三門に向かいます。
 
①石仏と文殊の塔前の石段
イメージ 1
 もうじき、桜の咲く頃には、このあたりから見る山門の方面は、桜の花に埋もれるようです。
 
 
②五劫思唯の阿弥陀如来石仏
イメージ 2
 
特徴
・頭部の螺髪(らほつ)が異様に大きく伸びた姿をしていることが特徴で、それは、阿弥陀仏が衆生救済の四十八願をたて、五劫という、無限に近い長い間考え続けたことを表したものだといわれています。
 
・京都では知恩寺の墓地でも、この五劫思唯の石仏をみることができます。
 
劫(こう)
時間の単位です。40里四方(一辺160km)の大きな岩の上に3年に1度、天女が舞い降りて、着ている羽衣で岩をこすると少しずつ摩滅していきます。この巨大な岩が、摩擦してすべてなくなってしまうまでの、ものすごく永い時間を一劫と言います。五劫とは、その5倍もの時間です。
 
 
③春日局の供養塔
イメージ 12
 
イメージ 13
江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号で、本名は斎藤 福(さいとう ふく)
父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であり甥(実際には従弟)とも言われる斎藤利三で、母は稲葉一鉄の娘・稲葉あん。稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より転載)
 
 
④崇源院の供養塔
イメージ 14
 
イメージ 15
天正元年(1573 - 寛永3年(1626)。一般には(ごう)、江与(えよ)として知られる。
 
浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいる。
 
最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子が生まれる。3度目は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠と文禄4年(1595)再々嫁し、秀忠の正室(継室)となる。この時、江が徳川秀忠と再々婚したことで、娘の完子は伯母の淀殿に引き取られ養われる。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より転載)
 
 
⑤法然上人廟
イメージ 16
 
イメージ 17
 
イメージ 18
 法然上人の遺骨が祀られている。
 
 
 
2 金戒光明寺の境内
 
通称「黒谷」と呼ばれる金戒光明寺は、知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つで、山号は紫雲山といいます。本尊は阿弥陀如来です。
 
比叡山から降りた法然が、比叡山の寺領であった黒谷に最初に草庵を結び、念仏道場を開いたと伝え、ここは浄土宗にとっての発祥の地といわれています。  
 
①阿弥陀堂
イメージ 19
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 慶長10年(1605)豊臣秀頼により再建。山内で最も古い建物。
 
恵心僧都最終の作、本尊阿弥陀如来を安置している。
 
如来の腹中に一代彫刻の使用器具が納められてあることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。
 
 
②鐘楼
イメージ 6
 
 
③御影堂
イメージ 7
大殿ともいわれる。法然75歳の時の肖像(坐像)を安置。昭和9年、火災により焼失し、昭和19年(1944年)に再建。
 
 
④熊谷直実鎧掛けの松
イメージ 8
 
イメージ 9
 建久4年(1193)、熊谷直実がここ黒谷の法然上人を訪ね、方丈裏の池で鎧を洗い、この松の木に鎧を掛けて出家したという、いわれがある。現在の松は二代目。
 
 
・早春の紅梅
イメージ 10
 
 
⑤三門
イメージ 11
応仁の乱で焼失。 万延元年(1860)に再建。
 
 
 
●京都検定の出題歴
(1)平成16年度3
 京都守護職であった松平容保率いる会津藩は、( )を本陣にした。
 (ア)真如堂 (イ)壬生寺 (ウ)金戒光明寺 (エ)本法寺
 
【正解】(ウ)
 
(2)平成19年度3
 文久2年(1862)、京都の治安維持などのために設置された江戸幕府の役職で、会津藩主松平容保が初代に任じられたのはどれか。
(ア)京都町奉行 (イ)二条定番 (ウ)京都所司代 (エ)京都守護職
 
【正解】(エ)
   
 
●練習問題
(1)浄土宗京都四ヵ本山の一つ。山号:紫雲山。通称:「( 1 )さん」と呼ばれる。
 
(2)本尊:阿弥陀如来。
 
(3)沿革
( 2 )上人が修行を終えて比叡山の黒谷を降りて、承安5年(1175)に師の叡空から、この地にあった比叡山の白川禅坊を譲られ、念仏道場としたのに由来。

( 3 )の没後、紫雲山となった。さらに( 4 )天皇から「金戒」の文字を賜り、現称に。
 
(4)阿弥陀堂
 慶長10年(1612年)( 5 )が再建。
 
(5)三重の塔 
 通称:「( 6 )」。( 7 )の菩提を弔うために寛永10年(1633)に建てられたもの。内部に、鎌倉時代の名仏師、( 8 )作の文殊菩薩が安置され、毎月18日(9時〜14時)に公開。運慶作と伝えられる文殊菩薩像は、日本三大文殊の一つ。現在京都市内にある重文指定の三重搭は、清水寺の三重搭、子安搭と併せて三搭のみ。
 
(6)幕末維新の頃
( 9 )率いる会津藩の本陣となる。山上墓地北東には、会津藩殉難者墓地。

(7)文化財:重文
「( 10 )図」
「( 11 )図」
木造千手観音立像
 
(8)茶室「( 12 )」:重文
 塔頭西翁院にある。千宗旦の四天王の一人といわれる( 13 )好み。道具の運びに工夫を加えた「道安囲い」又は「宗貞囲い」とよばれる形式の茶室で、茶室から山崎や淀が見えたという。
 
【正解】
1
黒谷
2
法然
3
法然
4
後光厳
5
豊臣秀頼
6
文殊塔
7
徳川秀忠
8
運慶
9
松平容保
10
山越阿弥陀
11
地獄極楽
12
澱看席
13
藤村庸軒

閉じる コメント(1)

顔アイコン

桜の花に埋もれる山門見てみたいです。もう少しで春ですね。まちどうしいです。 削除

2011/2/27(日) 午後 1:47 [ おみつ ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事