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泉涌寺(泉山)七福神めぐりと悲田院からの眺望
悲田院は泉涌寺の塔頭の一つで、月輪中学の西側、高台の端に位置する真言宗泉涌寺派の寺院です。
悲田院は、泉涌寺の塔頭のなかで少し離れたところにあるため、観光客にはあまり知られていないようですが、こちらの毘沙門天は除災招福の仏として広く信仰され、泉涌寺七福神めぐりの一つとして大勢の参拝者が訪れるところです。また、ここでは例年甘酒の接待が行われます。
ここには快慶作と伝えられる宝冠阿弥陀如来坐像や通称「逆手の阿弥陀如来立像」と呼ばれる仏像などが伝わりますが、宿坊もやっておられるので、宿泊すれば拝観可能と思います。
また、境内からの京都の市街地の眺めは絶景といっても過言ではなく、京都の市街地中心部から西山、北山方面がよく見えます。
先日、1月9日に行われた泉涌寺(泉山)七福神めぐりの時のようすと、境内からの眺望をご紹介します。
《泉涌寺(泉山)七福神めぐり》
1 境内と「泉涌寺七福神めぐり」のようす
●参道入口に立つ標石
●山門
●境内
●毘沙門天堂
●魔除けの虎
●甘酒の接待
2 境内からの京都市街地の眺望
京都市内の絶景が広がります。
●悲田院の展望台
●京都タワーと工事中の東本願寺と愛宕山
●三十三間堂と新熊野神社の大きなクスノキと左大文字
●三十三間堂と新熊野神社の大きなクスノキ
●智積院方面
●比叡山山頂
3 沿革
《説明板》
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造られたのが悲田院の始まりといわれる。延慶元年(1308)無人和尚がこれを一条安居院に再興し、四宗兼学の寺とした。
後花園天皇はこの寺を勅願寺とされ、崩御の時には当寺で御葬儀や荼毘が行なわれた。これより当寺住職は代々天皇の綸旨を賜わり紫衣参内が許された。正保3年(1646)、高槻城主・永井直清が現在地に移建し、如周和尚を迎えて住持としたのが現在の悲田院である。その後、明治18年(1885)、塔頭寿命院と合併再興され、本尊は阿弥陀如来である。 寺宝としては快慶作と伝えられる宝冠阿弥陀如来坐禅像や逆手の阿弥陀如来立像があり、また土佐光起・光成などの土佐派と、橋本関雪の襖絵がある。なお当院の毘沙門天は除災招福の仏として広く信仰されている。 (悲田院について、公式ホームページより引用)
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