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近江神宮と天智天皇
近江神宮は、JR湖西線 の大津京駅 の北約1kmのところにあります。
ここは天智天皇を祭神としています。それは、天智天皇が飛鳥時代に飛鳥から大津に都をうつして即位したことに因んだもので、昭和15年(1940)に皇紀2600年を記念して創建されました。
かつて都が置かれていた錦織遺跡の近く、森に囲まれた約20万㎡と広大な境内には、朱塗りの楼門や近江造という形式の社殿のほか、天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置したということから、各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻の復元模型などが置かれています。また、時計館宝物館が境内にあります。
かつて天智天皇が漏刻によって初めて国民に時を知らされたとされ、その日を太陽暦に換算すると6月10日にあたるということから、この日が「時の記念日」と定められたそうです。
さらに、天智天皇ゆかりのものとして、小倉百人一首巻頭歌の「秋の田」が天智天皇御製ということに因み、「かるた祭」や競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月に行われています。
※百人一首第一番 天智天皇の歌
秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ ※近江神宮の場所↓
1 境内
●楼門
・境内の日時計と楼門
●漏刻の復元模型
●古代中国で使われていた火時計の復元模型
●日時計
白村江まで830km。
2 社殿
●外拝殿
●内拝殿
●回廊
3 時計館宝物館
4 近江神宮ならではの御守
・ときしめす守
・ふくろうお守りなど
5 祈願絵馬
6 旧大津地方裁判所車寄
3 天智天皇と近江
びわ湖検定と奈良検定のテキストをもとにまとめてみました。
・中大兄皇子(後の天智天皇)は、645 年に中臣(藤原)鎌足とはかって蘇我氏を倒し、大化の改新を行い、以後20年にわたり皇太子として政治を進めた。
・百済を救うために朝鮮に出兵したが白村江の戦い(663年)で、唐と新羅の連合軍に大敗し、緊迫した状況の下、飛鳥から近江へ遷都し、668年に即位。大津京が誕生した。
・白村江の戦以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置し、大津京では、初の戸籍「庚午年籍(こうごねんしゃく)」の編成などの政治改革が進められた。
・しかし、671年、天智天皇が崩御すると、翌年大友皇子と大海人皇子との間で壬申の乱が起こり、戦いは大和と近江を主戦場とし、最後の決戦が「瀬田橋」で行われた。その結果、大海人皇子が大友皇子に勝利し、都を飛鳥にうつして飛鳥浄御原宮に即位して天武天皇となった。大津京はわずか5年余りの都であった。その後、跡地は「古津(古い港の意味)」と呼ばれるようになったという。
・なお、大津京の跡地は京阪石山坂本線 近江神宮前駅 そばの住宅密集地の中にあり、1979年に国の史跡に指定されている。
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