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出雲阿国と南座
四条河原町から四条大橋を渡って左に、出雲阿国(いずものおくに)の像があります。
出雲阿国は、歌舞伎の創始者といわれる安土桃山時代の女性芸能者で、四条河原で「かぶきをどり」を披露して喝采を浴びたと伝えられています。
歳末恒例の「顔見世」をはじめ、歌舞伎公演が行われる南座は阿国の銅像から近くにあり、南座の西側に阿国歌舞伎発祥の地の石碑があります。
<周辺の案内地図>
●鴨川と四条大橋と南座
●四条大橋
当時の四条河原は、現在とはようすが違っていたと言われていますが、遠い昔、出雲阿国が絶大な人気を博したというこのあたりを眺めながら、京都の伝統文化に思いをはせてみるのも良いかもしれません。
1 出雲阿国の像
・台座に書かれた文章
像の台座には、
かぶき踊りの祖 出雲の阿国
都に来たりて その踊りを
披露し 都人を 酔わせる
平安建都千二百年を記念して
との文字が、当時の京都府知事の名前とともに彫り込まれています。
●阿国の像のとなりにある説明板
阿国の像のとなりに、2003年11月に歌舞伎発祥400年を記念し、京都洛中ライオンズクラブによって説明板が建てられました。
<説明板>
1603年(慶長8年)、出雲の阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で、「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ、絶大な喝采を浴びました。
歌舞伎の元祖といわれている阿国の出生は不祥ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の定舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広まりました。
江戸時代に入り風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり、今日の歌舞伎に発展しました。
阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、伝説の域を出ません。
2 南座
●阿国歌舞伎発祥地の碑
<説明板>
この碑は、昭和28年に吉例顔見世興行を前に、歌舞伎発祥350年を記念して松竹株式会社によって建てられました。
※南座と「顔見世」について
南座は、元和年間(1615〜24)に幕府から公許された四条河原の7ヶ所の常設芝居小屋の一つ。幕末には四条通を隔てた北側の北座と2座だけになり、明治26年に北座の杯絶後は、南座は京都唯一の歌舞伎劇場となった。
また、「顔見世」は、江戸時代、各座の役者は、旧暦11月から翌年10月までの1年契約であり、旧暦11月初めに各座の新しい顔ぶれが舞台で口上を述べるのを「顔見世」と称したことに由来するとされる。
・顔見世興行(11月30日〜12月26日)
≪まねき≫
・同座正面に掲げられる役者名を連ねた看板で、勘亭流という書体で書かれる。 3 京都検定出題歴
(1)平成18年度1級
【問】( )内に最も適当な語句を書きなさい。
歌舞伎は( 1 )が慶長8年(1603)に京都で踊ったのが始まりとされる。当時流行した異様な振る舞いや風俗を指す( 2 )が語源である。
元禄期には、江戸の市川団十郎や上方の坂田藤十郎らの名優が出て、人々の娯楽として人気を集めた。坂田藤十郎は「傾城仏の原」などで知られる劇作家( 3 )と組んで、後世に残る上方歌舞伎の和事芸を創始した。
四条大橋東詰の南座は、江戸初期からこの地にあり日本最古の劇場といわれる。11月30日から始まる( 4 )は、東西の人気俳優を集めた興行としてにぎわう。
また、正面の「まねき(看板)」は( 5 )という独特の書体で書かれ、京の師走を告げる風物詩として親しまれている。
【正解】
1 出雲の阿国 2 傾く 3 近松門左衛門 4 顔見世 5 勘亭流 (2)平成19年度3級
【問】京都の師走の年中行事となっている「顔見世」が行われるのはどこか。 (ア)南座 (イ)祇園会館 (ウ)先斗町歌舞練場 (エ)弥栄会館 【正解】(ア)
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おはよう御座います。
一人の女が歌舞伎の祖とは凄いです。傑作
2012/3/9(金) 午前 5:56
♪こんにちは。
雪の竹林公園では お世話になりました。
以来お久ですが、さすが詳細なご案内 ご活躍ポチ!。
出雲阿国・・・も ポチ!な お方ですね。
出雲阿国像でも 天女の阿国が舞ってくれましたので、
トラバさせてもらいます。
2012/3/9(金) 午前 11:46 [ EGACITE ]