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泉涌寺雲龍院の白梅
雲龍院は、泉涌寺の大門の前を通り過ごし、道なりに奥へ100mほど行ったところにあります。
雲龍院は、北朝方の後光厳上皇の勅願によって南北朝時代の応安5年(1372)に創建され、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したとされています。こうした勅願の寺院という皇室との縁の深さから、ここは塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられています。
伽藍は応仁の乱で焼失した後、御所の黒戸御殿を移築して再建されたものの、地震で倒壊し、その後、寛永16年(1639)に後水尾上皇の援助のもとに本堂の龍華殿をはじめ諸堂が再建されて現在に至っています。
3月18日、小雨の中、山門から庫裏へ向かう参道途中の鐘楼脇に植えられた白梅がきれいに咲いていましたが、山科の隨心院のはねず梅と同じ種類といわれる庫裏の前の紅梅は、まだつぼみでした。
※場所↓
2 境内
泉涌寺の大門の前を通り過ぎて突き当たりを左に、道なりに行くと、雲龍院の前に出ます。
正面にあるのが山門で、庫裏の前まで参道が続いています。また、山門の右手にあるのが勅使門で、本堂の前にありますが、通常は閉じられています。
●勅使門(右)と山門(左)
●勅使門
・菊の花の留蓋瓦
●山門
●山門から庫裏へ続く参道
●本堂(龍華殿)
杮葺き。重文指定。
本尊は薬師如来で、日光・月光をともなう薬師三尊であり、極めて写実的な鎌倉時代の作とされる。
ここでは後円融天皇(在位1371〜82)以来といわれる長い歴史を持つという写経の体験ができる。
●境内で見られた梅の花
・庫裏と白梅
・鐘楼と白梅
・山門と白梅
・本堂と紅梅の木
この紅梅は、山科の随心院の「はねず梅」と良く似た遅咲きの梅で、例年は3月末に満開、見頃になる。今年はまだつぼみ。
3 沿革
・真言宗泉涌寺派の別格本山
・室町時代の応安5年(1372)、後光厳法皇が竹巌聖皐律師を招いて自らの菩提所として建立したのがはじまり。
・歴代天皇の信仰があつく、たびたびこの寺に行幸しているが、特に後円融天皇は勅願として如法写経会をはじめ、現在も写経道場として知られている。
・応仁の乱の兵火によりいったん焼失したが、後柏原天皇から後土御門天皇使用の御殿の寄進を受けて本堂として再建し、江戸時代には寺領も広がり、隆盛を極めた。
・明治初年に後光厳天皇をはじめとする歴代天皇の尊牌を祀る霊明殿が完成した。
・寺宝として、当寺にゆかりの深い土佐光信筆の後円融天皇宸影(重文)をはじめ歴代天皇の宸筆など文書、絵画を多数蔵している。
・また、裏山には、仁孝天皇二皇女、孝明天皇二皇女の陵墓が営まれている。
4 練習問題
(1)泉涌寺別院。本尊:薬師如来。
(2)沿革
南北朝時代の応安5年(1372)、北朝方の( 1 )によって創建された。応 仁の乱で焼失後、文亀元年(1501)に( 2 )の御黒戸御殿を後柏原天皇から下賜され、写経道場とした。以後、地震で倒壊するなど被害にあったが、寛永16年(1639)、( 3 )の援助のもとに黒戸御殿をはじめ諸堂が再建された。 (3)本堂(重文)
正保3年(1646)に建てられたもので、( 4 )といわれる柿葺きの堂々 とした建物。 (4)霊明殿
北朝天皇の位牌が安置されている。 (5)「後円融院宸影」:( 5 )筆。
(6)「走り( 6 )像」
鎌倉時代のもの。台所にある。 (7)( 7 )の力強い筆跡の「龍淵」の書。
【正解】
1 後光厳上皇 2 土御門天皇 3 後水尾上皇 4 龍華殿 5 土佐光信 6 大黒天
7 大石良雄
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京都の梅
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