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梅雨時の錦天満宮の境内
錦天満宮は新京極通と錦市場のある錦小路通が交差するところにあり、通称「錦の天神さん」と呼ばれて親しまれています。
・新京極通
ここは菅原道真を祭神とし、知恵・学問・商才と招福・厄除け・災難除けのご利益があるとして信仰され、多くの参拝客が訪れるところです。
6月には修学旅行の生徒さんたちの姿も見られ、梅雨時の境内ではあじさいなどが雨に濡れて、落ち着いた雰囲気でした。
※場所↓
●一の鳥居
ここは、門前の錦小路通と新京極通の間にある一の鳥居の両端が、建物の中に突っ込んでいるのが有名です。これは、一の鳥居が参道に立てられた後で両側にビルが建てられたため、このようなことになったのだそうです。
●新京極通に面した入口
●拝殿
・内部
古い狛犬や随神さんがいます。
●ご神水「錦の水」
境内には、京の名水「にしきの水」が湧き出し、水を汲みに来る人訪れます。
●手水
●牛の像
●祈願絵馬
●錦天満宮の末社
豊臣秀吉の都市計画による移転の際に、他の諸神社もここに移転されている。このため、小さいながらも由緒ある複数の神社が祀られている。
また、境内末社として安産の塩竈神社、商売繁盛の日の出稲荷神社、白太夫神社、七社などの由緒ある末社が祀られています。
①塩竈神社
「六条河原院」が寺とされたとき、源融を弔うため創祀られたもの。秀吉の都市改造で移転したときに天満天神と共に移されたという。安産のご利益があるとして信仰されている。
②日の出稲荷神社
③白太夫神社
④七社
「八幡神社・床浦神社・市杵島神社・熊野神社・事比良神社・竈神社・恵美須神社」
※末社「床浦社」
痘瘡よけの神として少彦名命を祀っている。
●梅雨時の境内で見られた花と木の実
●沿革
<説明板>
①平安時代の長保5年(1003)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を嵯峨天皇の皇子である源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる。
②天正15年(1587)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転した。
③その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。
④明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残された。
なお、歓喜寺は、近年、山科区大宅に再び移転した。
錦天満宮は、もとは現在の下立売御門の向かい側にある菅原院天満宮神社の地にあったとされる菅家邸「菅原院」からはじまり、さらに現在の本覚寺から渉成園あたりにあったとされる源融の「六条河原院」に移して歓喜寺とその鎮守社としての天満天神の創建へつながり、その後、「六条河原院」が寺とされたとき、源融を弔うため塩竈社が創祀られ、さらに時を経て、秀吉による都市改造による移転の時に一緒に現在地に移ってきたとされています。
菅原道真と源融、さらに秀吉が結びつくスケールの大きな話になっています。
●練習問題
(1)祭神は菅原道真。通称「錦の天神さん」
(2)沿革
長保年間(999〜1004)に( ① )の鎮守として創建。知恵、文学、商売繁盛の神として信仰される。天正15年(1587)、( ② )により、現在地の錦小路東端に移されたとされる。
(3)( ③ )(末社)
疱瘡除けの神として信仰される。
【正解】
①歓喜寺
②豊臣秀吉
③床浦社
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