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山科川の土手で見たかりんの実とネムノキのつぼみ
 
 
 京都でも梅雨入りをして、蒸し暑くなってきました。
 
山科川の土手では、かりんの実が大きくなり、ネムノキのつぼみも目立ち始め、タイサンボクも咲いています。
 
花の移り変わりを見ていると、季節の移ろいがよくわかります。
 
 
●山科川
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●かりんの実
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<かりん>
原産は中国東部。花期は3月〜5月頃で、5枚の花弁からなる白やピンク色の花を咲かせる。
 
花・果実とも楽しめ、さらに新緑・紅葉が非常に美しいため家庭果樹として最適である。
 
カリンの果実に含まれる成分は咳や痰など喉の炎症に効くとされ、のど飴に配合されていることが多い。
 
 
●ネムノキとつぼみ
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<ネムノキ>
ネムノキ科(広い意味でマメ科)の落葉高木。別名、ネム、ネブ。
 
花は夏に咲く。淡紅色のおしべが長く美しい。香りは桃のように甘い。果実は細長く扁平な豆果。マメ科に属するが、他のマメ科の植物とは花の形が大きく異なる。
 
ネムノキ属は主として熱帯に150種ほどが分布し、温帯で広く栽培され、一部で野生化している。
 
和名のネム、ネブは、夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来する。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものである。
 
 
●タイサンボク(泰山木)
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<タイサンボク(泰山木)>
・モクレン科の常緑高木。
 
・北米中南部原産。花期は57月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。
 
・日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。
 
・タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。
 
法然院の白砂壇と谷崎潤一郎の墓
 
 
法然院は、哲学の道近くにあり、正式な寺名を「善気山法然院萬無教寺」と号する浄土宗系の単立寺院です。
 
茅葺のひなびた山門から白砂壇の間を通ってお参りします。
 
ここは境内の拝観は無料ですが、本堂などの建物内は通常は非公開です。しかし、毎年、春と秋には建物内の特別公開が行われ、重文の狩野光信筆による襖絵などが拝観できます。
 
また方丈前には「善気水」と名付けられた名水が湧き出していますが、通常非公開です。
 
 
※場所↓
 
 
 
1 境内
●山門への参道
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●山門と白砂壇
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 山門は茅葺でひなびた趣きがある。
 
山門を入ると、両側に「白砂壇」という白い盛り砂がある。季節毎に模様を変えている。
 
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
 
●池にかかる橋
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●本堂前の石畳の道を歩いて本堂へ
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・本堂
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    本尊は阿弥陀如来坐像であり、法然上人立像なども安置されている。
 
 
●方丈
 襖絵(重文)は、狩野光信筆。
 
・方丈方面の眺め
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●「善気水」
 名水として有名な湧き水。方丈庭園内にあり、普段は拝観できない。
 
 
 
2 法然院墓地にある谷崎潤一郎夫妻の墓と紅しだれ桜の木
 
ここの紅しだれ桜は、京都の風物を愛した潤一郎が生前買い求めたもので、こよなく愛していた平安神宮の紅しだれ桜と同じ桜だそうです。
 
墓石は「寂」「空」の二基の墓石が据えられてあります。「寂」は潤一郎・松子夫妻の墓で、「空」には松子夫人の妹重子夫妻が眠っています。
 
この寺の墓所は、潤一郎は代々谷崎家が日蓮宗であることを嫌っていたことから、自分で生前に求めたものであったそうです。
 
 
●谷崎潤一郎夫妻と夫人の妹夫妻の墓と紅しだれ桜の木
 
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 <法然院の沿革>
 ・鎌倉時代の初め、法然上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、阿弥陀仏を昼夜に6回唱える六時礼讃を勤めていた。
 
・建永元年(1206)の12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が法然上人の弟子の安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件により、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。
 
・江戸時代に入り、延宝8年(1680)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。
 
・昭和28年(1953)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。
 
 
 
<練習問題>
 
(1)浄土宗単立寺院。山号:善気山。寺号:( 1 )。本尊:阿弥陀如来。
 
(2)沿革
①浄土宗の祖、( 2 )上人が弟子の住蓮、安楽とともに、六時礼賛(昼夜6度にわたる阿弥陀仏の礼拝・賛美)を勤めた鹿ケ谷の草庵が法然院の始まり。
 
②「( 3 )の法難」
承元元(1207)年、後鳥羽上皇の女官であった松虫姫・鈴虫姫が法然の教えに感化され、法然の弟子の住蓮房・安楽房の元で出家してしまったのが発端となり、そのことが( 4 )の逆鱗に触れ、安楽・住蓮を打ち首の刑に、時に75歳の法然を讃岐への流罪の刑に処した事件。その後、荒廃。
 
③延宝8(1680)、忍澂(第三十八代知恩院・萬無心阿上人の弟子)によって、宗租法然上人ゆかりの地に、念仏道場を再興し、善気山法然院萬無教寺と称された。
 
④境内の一角は、明治34年から大正2年の間、現在の大谷大学の前身となる「浄土宗専門学院」が置かれていた。
 
(3)( 5 )
 茅葺きの山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を象徴しているとされ、砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味するそうで、白砂壇の波模様は、45日おきに季節に合わせ、描きかえられるという。
 
 模様は定まっておらず、水の流れが描かれた横に、季節に合わせて、桜の花びらや、いちょう、楓の落ち葉などが描かれることもある。
 
(4)本堂
 堂内には、( 6 )の作といわれる阿弥陀如来像と、法然上人の木像が安置されている。
 
(5)方丈
( 7 )筆の襖絵は重要文化財に指定されている。庭園は浄土式庭園。本堂と同じく春と秋の特別公開のときのみ公開。
 
(6)「( 8 )」
 方丈庭園内にある。洛中名泉の一つ。
 
(7)( 9 )の墓
「寂」の文字が描かれている。
境内の墓地には他にも、経済学の河上肇、東洋史学の内藤虎次郎、考古学の浜田耕作など学者・文人の墓が数多い。
 
【正解】
1萬無教寺
2法然
3建永
4後鳥羽上皇
5 白砂壇
6 恵心僧都
7 狩野光信
8 善気水
9 谷崎潤一郎
下河原通から石塀小路へ
 
 
●八坂神社西楼門
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八坂神社は四条通の東の正面に見える朱塗りの楼門(西楼門)が有名です。
 
でも、八坂神社の正面は本殿南側の正面入口に立つ楼門で、ここには正保3年(1646)建立の石鳥居があります。
 
 
●八坂神社の正面は本殿南側の正面入口に立つ石鳥居
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●下河原通り
八坂神社本殿南側の石鳥居から南へ伸びる通りを下河原通といいます。
 
下河原通りかいわいには、格子戸の旅館、料亭、お茶屋などが点在し、京情緒あふれる街並みが残っています。
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●石塀小路
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 下河原通りから「ねねの道」とも呼ばれる高台寺下の道とを結ぶ細い路地が石塀小路です。
 
・ねねの道
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石塀小路は明治末期から大正初期にかけて、造成されたところで、町家の基礎部分の石垣を高くとっていることから、石塀という名前の由来を感じさせてくれます。
 
 石畳の一部は、昭和和50年代に廃止された京都市電の敷石を使っています。
 
 
 
●喫茶いし塀
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●玉半
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  老舗旅館です。

初夏の嵯峨野の祇王寺

初夏の嵯峨野の祇王寺
 
 
祇王寺は、清涼寺から二尊院のわきを通り、奥嵯峨野方向へ向って少し歩いたところにあります。
 
ここは、もとは法然上人の弟子の良鎮が創建した往生院が明治初期に荒廃し一時廃寺となり、その後、往生院の跡を引き継ぎ、大覚寺塔頭の尼寺として復興しました。
 
復興にあたっては、当時の京都府知事であった北垣国道が、祇王を偲び嵯峨の別荘にあった茶室を寄進し、これを本堂にして冨岡鉄斎らにより現在の祇王寺がつくられたと伝えています。
 
なお、ここは、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したゆかりの地としても知られ、本堂内には祇王・祇女・母の刀自、仏御前の4人の木像を安置しています。
 
祇王寺は、庭園の苔庭と新緑・紅葉のころが美しく有名で、梅雨入り間近の苔庭とカエデの新緑はとても素晴らしく、感動的でした。
 
 
 
 
2 庭園
 
 
・本堂のまわりのようす
 
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・本堂
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・大山レンゲ
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・祇王・祇女の墓と伝える宝筐印塔、清盛の供養塔
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3 沿革
 
・往生院祇王寺と号する真言宗大覚寺派の寺院(尼寺)。
 
・寺伝によれば、この地は、平安時代に法然上人の弟子の念仏房良鎮が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。
 
・平家物語によれば、祇王は、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母の刀自、妹祇女とともに出家し、当地に移り住んだ。後には仏御前も加わり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられている。
 
・現在の本堂は明治28年に再建されたもので、堂内には本尊大日如来像をはじめ、平清盛と祇王・祇女・母の刀自、仏御前の4人の尼僧像を安置している。
 
・境内には、祇王・祇女の墓と伝える宝筐印塔、清盛の供養塔(鎌倉時代の作とされる五輪の石塔)がある。
 
 
4 練習問題
(1)真言宗大覚寺派。院号「往生院」。本尊「大日如来」
 
(2)沿革
念仏坊良鎮(法然の弟子)が創建した往生院の跡。
 
(3)寺名の由来
平清盛の寵愛を失った白拍子の( 1 )が、母の( 2 )と妹の( 3 )を伴い剃髪し、ここに隠棲したことによる。
 
(4)現在の祇王寺
①本堂:明治28年(1895)に再建。
②仏像:大日如来像(本尊)。
③清盛と祇王・祇女・母の刀自・( 4 )の4人の尼僧像を安置。
 
【正解】
1祇王
2
刀自
3
祇女
4仏御前
円山公園と「祇園小唄」歌碑とラジオ塔と祇園祭山鉾館
 
 
円山公園は、八坂神社の東、東山を背に、八坂神社、知恩院に隣接して広がり、年間を通じて観光客が多く訪れる公園です。
 
ここは歴史をさかのぼってみれば、もとは八坂神社、知恩院、安養寺、長楽寺の境内地で、公園として整備されたのは明治19年に京都府が円山一帯を公園地に指定してからです。
 
ですから、円山公園は 明治19年(1886)に開設した京都市内で最も古い公園であり、現在、国指定名勝となっています。
 
また、当時、著名な建築家であった武田五一が公園作庭の計画をまとめ、平安神宮神苑などの作庭で有名な小川治兵衛が池泉回遊式庭園を中心とした円山公園の造営を行いました。
 
その後、明治22年の市制施行とともに管理が京都市に移され、現在も京都市によって管理されています。
 
なお、円山公園の「円山」は、このあたりに広がっていた慈円山安養寺の「円山」からそう呼ばれるようになったと伝えられています。
 
 
円山公園を歩いてみると、中には祇園祭の山鉾を収蔵する山鉾館や昭和7年にNHK京都放送局が開局した時に、ラジオの普及のために作られたラジオ塔など、よく見たら歴史を感じさせるものもあって、興味は尽きません。
 
 
1 場所↓
 
 
 
2 園内
 
●園内の池
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●「祇園の枝垂れ桜」
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近年勢いが若干衰えているものの、満開の頃は風情があります。
 
なお、広大な回遊式庭園にはシダレザクラのほかにソメイヨシノなど約700本もの桜が咲き誇り、このあたりは京都随一の桜の名所といわれています。
 
 
●「祇園小唄」歌碑
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歌碑は、吉うたの2代目女将が関係者の協力のもと、昭和361123日につくられた。デザインは、洋画家の和田三造による。
 
祇園小唄は、お茶屋で芸・舞妓が舞い、また歌舞練場の舞台でも流れる古典的な名曲。作曲は佐々紅華。
 
<由来>
作詞家の長田幹彦が、昭和3年(1928)に、祇園のお茶屋「吉うた」で作詞したといわれている。その2年後に映画「絵日傘」の主題歌に使われ、それから大ヒットして歌われるようになった。
 
平成14年に第1回祇園小唄祭が行われた。
 
その記念として歌碑の側に説明板が立てられた。
 
 
※「祇園小唄」
 
作詞:長田幹彦
作曲:佐々紅華
 
1番)
月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
偲ぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ
 
 
平成15年以降は、京都伝統伎芸振興財団主催で毎年行われている。
 
※長田幹彦
「祇園夜話」、「青春時代」などの作詞で知られた当時のベストセラー作家。
 
 
●長楽館
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 ここはかつて明治時代の実業家で「煙草王」と称された村井吉兵衛の京都別邸として建てられた建物で、「長楽館」という名称は、伊藤博文が宿泊した際に付けられたそうです。
 
 内装はとても豪華で、ここでは贅沢なひと時を過ごすことができます。
 
 今ではレディースホテル・喫茶店として使われています。
 
 
●祇園祭山鉾館
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●ラジオ塔
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昭和7年にNHK京都放送局が開局した時に、ラジオの普及のために作られたもので、当時は毎朝、塔の前でラジオ体操を楽しむ姿が見られたという。
 
 
 
3 円山公園の開設までの経過
 
<説明板>
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・現在の円山公園一帯は、昔は一面真葛やすすきなどが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていた。
 
・現在の円山公園の敷地は、もとは、主に八坂神社の裏庭と、時宗三山(安養寺、長楽寺、双林寺)の境内だった土地で構成されている。特に安養寺から召し上げられた敷地が広かったという。
 
 
・なお、「円山」の名の由来は「慈円山安養寺」による。
 
・このあたり一帯は明治初期に官有地とされ、現在の園地計画は武田五一がまとめた。
 
・明治19(1886)、京都府は円山一帯を公園地に指定し、同22年市制が施行されると同時に京都府から京都市の管理に移された。
 
・この後何度か拡張工事を行い、大正2(1913)に小川治兵衛の手により現在の中央に池を配した池泉回遊式日本庭園に造りかえられたのが現在の円山公園となっている。
 
・坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像などもある。
 
・国指定名勝に指定されている。
 
 
 
4 七代目小川治兵衛
 
・近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称「植治」(屋号)。
 
・植治は、明治初期、京都東山・南禅寺界隈に新たに形成された別荘地において、東山の借景と琵琶湖疏水の引き込みを活かした近代的日本庭園群(南禅寺界隈疏水園池群)を手掛けたことで名高い。
 
・明治27年、植治は並河靖之邸の七宝焼き工房に研磨用として引きこんだ疏水を庭園に引く。次いで山縣有朋の求めに応じて、庭園用を主目的として疏水を引きこんだ無鄰菴の作庭を行う。
 
・これを草分けとして、植治は自然の景観と躍動的な水の流れをくみこんだ自然主義的な近代日本庭園を数多く手がけて、それらを設計段階から資材調達、施工、維持管理まで総合的に引き受けていく。
 
・植治は、平安神宮・円山公園・無鄰庵(山縣有朋公邸)・清風荘(西園寺公望公邸)・対龍山荘(市田弥一郎邸)・等国指定名勝指定庭園の作庭、さらに古河庭園、平安神宮、京都博物館前庭、野村碧雲荘などや住友家(有芳園・茶臼山邸・鰻谷邸・住吉・東京市兵町邸)・三井家・岩崎家・細川家等数多くの名庭を残す。
 
・そのほか、京都御苑と御苑内御所・修学院離宮・桂離宮・二条城・清水寺・南禅寺・妙心寺・法然院・青蓮院・仁和寺等の作庭および修景も手がけた。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より引用)
 

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