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海宝寺と伊達政宗ゆかりのモッコク <すぐ脇を通るJR奈良線の線路から見た海宝寺> かつて、豊臣秀吉が伏見城を築いた頃、伏見の町は武家屋敷が建ち並ぶ城下町としての側面を持っていました。 海宝寺境内を含む「桃山町正宗」は、仙台藩の藩祖伊達正宗の伏見上屋敷があったところです。 境内にあるモッコクの古木は、伊達政宗のお手植えの木であると伝えられています。 方丈の襖には、かつて伊藤若冲晩年の作と伝える「群鶏図」(現京都国立博物館蔵)が描かれ、その部屋は「若沖筆投げの間」と呼ばれていました。 2 海宝寺と境内のようす (1)海宝寺 ・享保年間(1716-36)、黄檗宗万福寺の杲堂元昶が万福寺十三世の竺庵浄印禅師の隠居先の寺院として開創。 ・寺地は伊達政宗公屋敷跡といわれる。 ・方丈前に豊臣秀吉遺愛の手水鉢がある。 (2)境内 ・伽藍 ・境内の椿 3 伊達政宗の伏見屋敷について <説明板> この説明板は、京都市ではなく、仙台市によって作られている。 ・海宝寺境内を含む「桃山町正宗」は、仙台藩の藩祖伊達正宗の伏見上屋敷があったところ ・正宗は文禄4年(1595)、豊臣秀吉からこの伏見に屋敷地を与えられ、多くの重臣やその妻子などを住まわせた。 ・その数は常時千人以上に及び、屋敷一帯は「伊達町」とも称された。 ・正宗自身は、慶長4年(1599)頃までここに住み、慶長6年に上洛した時にも約1年間を過ごしている。 ・正宗の伏見屋敷は、この地の他、上屋敷の南西にほど近い場所と、深草の地に下屋敷があり、計3箇所であったとされる。 4 方丈襖絵「群鶏図」(現在、京都博物館所有) 方丈の襖絵には、かつて伊藤若冲晩年の作と伝える「群鶏図」(現京都国立博物館蔵)が描かれていた。若冲は、以降は筆をとらなかったことからその部屋は「若沖筆投げの間」と呼ばれている。 5 普茶料理の寺 枯山水の庭園を眺めながら、黄檗宗の名物普茶料理(中国風精進料理)が頂ける。 6 伊達政宗お手植えのモッコク(樹齢約400年) 本堂脇にある。 ・説明板 7 大丸の創業者、下村正啓氏と海宝寺
下村正啓氏は竺庵浄印を信奉し、自ら浄財を投じて援助を続けたという。
・大丸関係者の位牌を祀っている建物8 練習問題 (1)山号:百丈山。本尊:釈迦如来。 (2)沿革 萬福寺13世の( 1 )が別院として興した寺(開宝寺)を享保13年(1728)移建。寺地は( 2 )家の居館跡であると伝えられている。 (3)方丈前に豊臣秀吉遺愛の手水鉢。伊達政宗の手植えという樹齢約400年の( 3 )がある。 (4)「大丸」とのかかわり 創業者下村正啓は竺庵を信奉し、浄財を投じて海宝寺を援助。 (5)伊藤若冲とのかかわり 方丈の襖絵「( 4 )」(現京都国立博物館)。若冲最後の作品。通称「若冲( 5 )の間」 (6)黄檗の( 6 )料理 【正解】
1 竺庵浄印 2 伊達 3 モッコク 4 群鶏図 5 筆投げ 6 普茶 |

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