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旧山中越の道と西教寺の石仏
<西教寺の石仏>
かつて、京と近江を結ぶ交通は、東海道の逢坂越が一般的でしたが、その他にも山中(志賀)越、小関越・途中越・仰木越・如意越などがありました。
なかでも山中越は、京から北白川、山中町を経て、志賀峠から崇福寺跡近くを通り、滋賀里(大津市)へと通じており、別名「志賀の山越」ともいわれた重要な道で、『古今集』などにも歌枕として取り上げられています。
この山中越の道には、三ヶ所に大きな石仏があります。
京都の北白川に通称「子安観音」とか「太閤の石仏」とも呼ばれる石仏があり、大津側の入口にあたる祟福寺跡近くには通称「志賀の大仏」とよばれる石仏があり、そのほぼ中間にある山中町の西教寺の門の脇にも石仏があり、いずれも阿弥陀如来坐像であり、山中越えを利用した旅人の安全を祈ったものといわれています。
このうち、山中町の西教寺の石仏は、昔の旅人から「一里塚」と呼ばれていたそうです。それは他の2ヶ所の石仏までそれぞれ一里ほどであったことからだと言われています。
現在の山中町の集落は、バイパスができたことから一般車の通行が禁止されているため、ひっそりと静まり返っています。
山中越の旧道にそった集落のはずれ近く、旧道に面し、道路から一段高くなったところにある西教寺の門脇には、花崗岩に彫り出された大きな石仏がまるで旅人を見下ろすように鎮座しています
1 場所↓
2 旧道に沿った山中町の集落
・かつて旅籠であったという建物
・樹下神社入口
3 西教寺の石仏
①石仏のようす
・西教寺山門と石仏
・西教寺本堂
②特徴
・舟形光背を背負い花崗岩一石に掘り出した一石独尊像。
・地元では「薬師さん」と呼ばれている。
・昔の旅人からは「一里塚」ともいわれた。
・高さ2.7m、幅1.7mの阿弥陀如来坐像。
・一部欠損があるものの、鎌倉時代末期の京都白川派の作風を伝えているといわれ、大津市の指定文化財になっている。
4 「北白川の石仏」と「志賀の大仏」
山中越の京都側の入口には太閤秀吉ゆかりの北白川の石仏があり、大津側の入口にあたる祟福寺跡近くには志賀の大仏がある。 <北白川の石仏>
<志賀の大仏>
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