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積善院準提堂の「人食い地蔵」
京都には、昔からたくさんのお地蔵さんが各地にあり、地域の人々によって厚く信仰され、大切に守られてきました。
中には名前の付けられたお地蔵さんも数多く残っています。
積善院準提堂の「人食い地蔵」もその一つです。
東大路通から丸太町通の一つ北側にある春日北通を右折すると、聖護院門跡があります。
・聖護院門跡
聖護院門跡の東隣に、聖護院の塔頭寺院で鎌倉時代初期の開創と伝えられる積善院準提堂があります。
もとは熊野神社前交差点南東角に在った準提堂と積善院が明治初年に合併して、準提堂の建物を積善院境内へ移転したのだそうで、今は元の準提堂を本堂とし、ここに現在の本尊準提観音像と積善院の本尊だった不動明王像を合祀しています。
この境内の一角に「人食い地蔵」と呼ばれる崇徳上皇ゆかりのお地蔵さんが安置されています。
1 場所↓
2 境内
・入口
・拝殿と本殿
・境内の隅にある「人食い地蔵」
・「人食い地蔵」
3 由来
お地蔵さんの祠に由来について書かれた紙が貼ってあります。
それには、次のようなことが書かれています。
保元の乱に敗れ、兄の後白河や清盛によって讃岐に流された崇徳上皇は、その地で都を呪いつつ亡くなったといい、その頃都では大火が続き、病気がはやり清盛も高熱の病で亡くなったそうです。
都の人が、上皇の祟りと恐れて、その霊を慰めるために地蔵尊を造ったところ、「崇徳院」が訛って「ひとくいん」となり、いつしか「人喰い」といわれるようになったそうです。
崇徳院の激しい怨念を背に、人々は「ひとくいんじぞう」、さらに「人食い地蔵」と呼び習わすようになったのでしょう。
なお、積善院では、毎年2月23日に五大力尊法要が行われ、秘仏の五大力尊画像が開帳されます。この日はお札やお守りを受け、護摩木を求めてご祈祷をしてもらう参詣者で積善院は賑わいます。
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2010年06月25日
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