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真如堂と鎌倉地蔵
<真如堂>
真如堂は正式には鈴声山真正極楽寺と称する天台宗の寺院です。
広い境内には本堂や三重塔、鐘楼などが建ち並び、春の桜の咲くころ、秋の紅葉の頃には多くの観光客が訪れますが、それ以外の季節は落ち着いて境内の散策ができます。
広い境内には見所が多くあり、三重塔のとなりに建つ地蔵堂に祀られている「鎌倉地蔵」についても、いわれのあるお地蔵さんで、真如堂を訪れた際には見落とさないようにしたいものです。
1 場所↓
2 鎌倉地蔵
①地蔵堂と鎌倉地蔵
②鎌倉地蔵にまつわる伝説
・その昔、中国に金毛の狐がいた。その狐は才色兼備の女性に化け、皇帝を騙して虜にしたが、やがて正体を見破られ、はるか日本へと逃げてきた。
・日本でも狐は美女の玉藻前に変身して鳥羽上皇の御前に現れたが、安倍晴明の弟子・安倍泰親が不信に思い、祈祷すると、苦しみながら正体を現わし、下総国へと逃げ去った。
・鳥羽上皇は直ちに退治を命じ、妖怪は退治された後もその魂は「殺生石」となって、近寄る生き物を殺し続けた。
・このことを知った玄翁(げんのう)禅師は、「殺生石」を杖で割って成仏させ、さらに禅師は、割られた殺生石のかけらで地蔵菩薩を彫り、鎌倉の小さなお堂に祀った。
・慶長年間(1596〜1615)のころ、大工の棟梁・甲良豊後守の夢に鎌倉地蔵が出現し、地蔵尊が「自分を真如堂に移しなさい」と告げたことから、鎌倉地蔵を信仰している豊後守は、お告げのとおり地蔵を真如堂に移し、真如堂に祀られることになった。
・以来、鎌倉で祀られていた地蔵ということで「鎌倉地蔵」と呼ばれ、現在に至っている。
・「鎌倉地蔵」は、現在では無実の罪を晴らしてくれるとか、心の病に効くと信じられている。
3 境内
①総門 ②本堂
享保2年(1717)再建。京都市内の天台宗本堂として最大規模。重文。
③三重塔
④新長谷観音堂
⑤石薬師堂
⑥千体地蔵堂
4 本尊「うなずきの弥陀」
本尊の阿弥陀如来は「うなずきの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈るとうなずいた、という伝説がある。(フリー百科事典「ウィキペディア」より転載)
毎年11月15日に開扉。
5 沿革
永観2年(984)比叡山の僧である戒算が比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まり。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。
しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。
その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)現在の場所に再建された。
6 年中行事
①涅槃会法要
3月15日に行われ、31日まで大涅槃図を一般公開
②真如堂宝物虫払会
7月25日に行われる、主な寺宝を本堂で虫干しする行事。本堂内に多くの掛軸や絵巻が広げられ、安倍晴明が奉納した極楽往生の「秘印」授与、暑気払い「びわ湯」の接待なども行われる。
7 京都検定の出題歴
●平成19年度2級
【問】「寺院名」と「その正式名称」の組み合わせのうち、誤っているものはどれか。
(ア)真如堂−真正極楽寺 (イ)三十三間堂−蓮華王院 (ウ)東寺−教王護国寺 (エ)革堂−頂法寺 【正解】(エ)
8 練習問題
(1)正式名 「( 1 )」
(2)本尊:阿弥陀如来。京都( 2 )の一つで、重文。
(3)沿革
①( 3 )が唐から帰朝する時に、船上に現れた阿弥陀如来を彫刻して延暦寺の常行堂に祀り、永観2年(984)に一条天皇の母東三条院藤原詮子が、比叡山にあった阿弥陀如来を神楽岡の離宮に移し、( 4 )上人を開山として興した。 ②応仁の乱で焼失後、( 5 )の寄進により、現在地に再建。 (4)本堂
享保2年(1717)再建。京都市内の( 6 )本堂として最大規模。重文。 (5)庭園「涅槃の庭」
・作庭は昭和63年(1988)、曽根三郎氏による。 ・比叡山および東山三十六峰を借景とした枯山水庭園である。 (6)( 7 )(新長谷寺)
本堂の北西。洛陽の観音霊場として知られる。 (7)( 8 )法要
3月15日に行われ、31日まで大涅槃図を一般公開。 【正解】
1 真正極楽寺 2 六阿弥陀仏 3 円仁 4 戒算 5 足利義政 6 天台宗 7 新長谷観音堂 8 涅槃会 |
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2010年08月26日
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