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宇治十帖「総角(あげまき)」(第47帖)の古跡と与謝野晶子の歌碑
宇治十帖は、源氏物語の最末尾にあたる第3部のうち後半の橋姫から夢浮橋までの十帖をいいます。
-宇治十帖-
第45帖 橋姫(はしひめ) 第46帖 椎本(しいがもと) 第47帖 総角(あげまき) 第48帖 早蕨(さわらび) 第49帖 宿木(やどりぎ) 第50帖 東屋(あづまや) 第51帖 浮舟(うきふね) 第52帖 蜻蛉(かげろう) 第53帖 手習(てならい) 第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし) 宇治橋を中心とした宇治川の両岸に、後世、そのゆかりの古跡が定められ、石碑が建てられました。
「総角(あげまき)」の古跡は、宇治上神社の北側、大吉山の登り口にあります。近くに与謝野晶子の歌碑があります。
1 場所↓
2 宇治十帖「総角」の古跡の碑
「総角」(あげまき)は、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第47帖。第三部の一部「宇治十帖」の第3帖にあたる。巻名は薫が一周忌法要に事寄せて大君に詠んだ和歌「あげまきに長き契りをむすびこめ おなじところに よりもあはなむ」(あなたが縒り結んでいる総角結びのように、あなたと私が長く寄り添えるようになりたいものだ)に因む。
「総角」の碑は、宇治上神社の北側、大吉山の登り口にある。源氏物語では、宇治八宮の山荘は平等院の向かい岸のこのあたりと想定していたといわれている。現在の碑は、昭和45年に建てられたもの。
①説明板
●源氏物語 宇治十帖(三)
総角 八宮(はちのみや)の一周忌がめぐって来た。薫君(かおるのきみ)は仏前の名香(みょうごう)の飾りに託して、大君(おおいきみ)への想いを詠んだ。 総角に長き契りを結びこめ おなじ所によりもあはなむ 大君は父君の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君(なかのきみ)をこそ薫君に委ねたいと望まれた。 薫君は中君と匂宮(におうのみや)とが結ばれることによって、大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。 匂宮は中君と結ばれたが、気儘に行動され得ない御身分故、心ならずも宇治への訪れが遠のく。大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」と故宮をしのばれ、悲しみのあまり、病の床につき、薫君の手あつい看護のもとに、冬、十一月に、薫君の胸に永遠の面影を残して、帰らぬ人となった。 平成十八年十月 (財)宇治市文化財愛護協会 3 与謝野晶子歌碑
さわらびの道沿い、宇治十帖古跡の総角の近くに与謝野晶子の歌碑がある。紫式部を大変尊敬していた与謝野晶子が、宇治十帖を詠んだ歌を真筆で刻んだもの。
<歌碑>
・橋姫
「しめやかに心の濡れぬ川ぎりの 立舞ふ家はあはれなるかな」
・椎が本
「朝の月涙の如し真白けれ 御寺のかねの水わたる時」
・総角
「こころをば火の思ひもて焼かましと 願ひき身をば煙にぞする」
・さわらび
「さわらびの歌を法師す君に似ず 良き言葉をば知らぬめでたさ」
・宿り木
「あふけなく大御女を いにしへの人に似よとも思ひけるかな」
<説明板>
「宇治十帖」の歌碑に寄せて
与謝野晶子が寛とともに山水景勝の地、宇治を訪れたのは大正13年10月14日のことであった。
晶子は幼少のころよりわが国の古典文学、とりわけ「源氏物語」の魅力にひかれ、紫式部を終生の師と仰ぎ、その現代語訳に渾身の情熱を注いだ。
また、「源氏物語礼賛」によって歌人としての天分を発揮した。
「源氏物語」の舞台ともなった宇治のこの地に、与謝野晶子の没後50年と宇治市制40周年にあたる平成4年10月、「みだれ髪の会」によって歌碑が建てられた。
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2010年09月26日
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