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泉涌寺雲龍院と境内の紅葉
<雲龍院>
雲龍院は、泉涌寺の大門の前を通り過ごし、道なりに奥へ100mほど行ったところにあります。
・案内図
雲龍院は、北朝方の後光厳上皇の勅願によって竹巌聖皐を開山として南北朝時代の応安5年(1372)に創建され、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したとされています。こうした勅願の寺院という皇室との縁の深さから、ここは塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられています。
伽藍は応仁の乱で焼失した後、御所の黒戸御殿を移築して再建されたものの、地震で倒壊し、その後、寛永16年(1639)に後水尾上皇の援助のもとに本堂の龍華殿をはじめ諸堂が再建されて現在に至っています。
11月末、書院から客殿にかけて広がる庭園と書院裏のカエデの紅葉は素晴らしく、ゆったりとしたひと時をすごすことができました。
2 境内の様子
≪拝観コース≫ 山門を入ると、正面の庫裏に向って真っ直ぐな参道がある。
庫裏の前を右に折れると玄関があり、拝観受付を済ませて、写経道場でもある本堂の龍華殿と皇室の位牌を祀った霊明殿を拝観して、すぐ裏の客殿から庭園を眺める。
それから庫裏の台所に祀られている「走り大黒天」を拝観させていただいてから書院に行き、ここで悟りの窓や庭園を眺める。
なお、ここで、抹茶とお菓子をいただくことができる。
①山門から庫裏へ続く参道
・山門と参道と紅葉
・鐘楼の周囲の紅葉
③本堂(龍華殿)
・説明板
・正面
・扁額
・本堂内
・正面入口から見た表門
室町時代の康応元年(1389)に後円融天皇により建立されたが焼失。寛永16年(1639)、後水尾上皇の援助のもとに再建され、「龍華殿」と称している。
杮葺き。重文指定。
本尊は薬師如来で、日光・月光をともなう薬師三尊であり、極めて写実的な鎌倉時代の作とされる。
ここでは後円融天皇(在位1371〜82)以来といわれる長い歴史を持つという写経の体験ができる。
⑤霊明殿
後光厳天皇をはじめ歴代天皇の尊牌をまつる。明治元年(1868)再建。
・説明板
・正面
・霊明殿と石灯籠
・内部
・後光厳天皇坐像について
・石灯籠
⑥客殿
霊明殿の裏側にある。
・内部
・大石良雄による「龍淵」の書
・客殿から見た庭園」
写真中央に礎石らしい庭石が写っているが、これはフリー百科事典ウィキペディアに「庭石の2つは、東山七条にあった豊臣秀吉建立の大仏殿の礎石と伝わる。」と書かれている庭石の一つであろう。
⑦書院
庭園の北側にある。
・建物内
・悟りの間の悟りの窓
・紅葉
・書院から見た庭園と客殿
⑧走り大黒天
足を一歩踏み出した姿は、一刻も早く衆生に福を授けに来ようと走っている姿を表しているという。
3 沿革
<説明板>
・室町時代の応安5年(1372)、後光厳法皇が竹巌聖皐律師を招いて自らの菩提所として建立したのがはじまり。
・歴代天皇の信仰があつく、たびたびこの寺に行幸しているが、特に後円融天皇は勅願として如法写経会をはじめ、現在も写経道場として知られている。
・応仁の乱の兵火によりいったん焼失したが、後柏原天皇から後土御門天皇使用の御殿の寄進を受けて本堂として再建し、江戸時代には寺領も広がり、隆盛を極めた。
・明治初年に後光厳天皇をはじめとする歴代天皇の尊牌を祀る霊明殿が完成した。
・寺宝として、当寺にゆかりの深い土佐光信筆の後円融天皇宸影(重文)をはじめ歴代天皇の宸筆など文書、絵画を多数蔵している。
・また、裏山には、仁孝天皇二皇女、孝明天皇二皇女の陵墓が営まれている。
4 練習問題
(1)泉涌寺別院。本尊:薬師如来。
(2)沿革
南北朝時代の応安5年(1372)、北朝方の( 1 )によって創建された。応 仁の乱で焼失後、文亀元年(1501)に( 2 )の御黒戸御殿を後柏原天皇から下賜され、写経道場とした。以後、地震で倒壊するなど被害にあったが、寛永16年(1639)、( 3 )の援助のもとに黒戸御殿をはじめ諸堂が再建された。 (3)本堂(重文)
正保3年(1646)に建てられたもので、( 4 )といわれる柿葺きの堂々 とした建物。 (4)霊明殿
北朝天皇の位牌が安置されている。 (5)「後円融院宸影」:( 5 )筆。
(6)「走り( 6 )像」
鎌倉時代のもの。台所にある。 (7)( 7 )の力強い筆跡の「龍淵」の書。
【正解】
1 後光厳上皇 2 土御門天皇 3 後水尾上皇 4 龍華殿 5 土佐光信 6 大黒天
7 大石良雄
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2010年12月16日
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