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大徳寺芳春院参道の雪景色
芳春院は臨済宗大本山大徳寺の塔頭で、大徳寺本坊と聚光院の間の道をまっすぐ北に向かって歩いて行ったところに山門があります。
ここは、慶長13年(1608)に前田利家の夫人松子(芳春院)が玉室宗珀を開山として建立し前田家の菩提寺としたという歴史を持ち、開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったといわれています。
芳春院が広く知られているのは、境内に呑湖閣という金閣・銀閣・飛雲閣と並び京の四閣と称される楼閣があることです。
ここは通常は非公開ですが、最近では、毎年1回程度は特別公開されているようです。
雪の降りしきる参道のようすもなかなかのものですね。
1 場所↓
2 長い石畳の道
長い石畳の道は、普段でも自由に参観することができ、この道を歩くだけでも四季の移ろいを感じることができます。
<雪景色のようす>
・本坊(右側)と聚光院(左)の間の石畳の参道
・雪の降りしきる参道のようす
3 沿革
・慶長13年(1608年)に前田利家の夫人松子(芳春院)が玉室宗珀を開山として建立。法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。
・開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったという。
・寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、2年後に現在も残る客殿・庫裡・呑湖閣などが再建。
・明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興される。
4 建造物
(1)本堂(方丈)
(2)呑湖閣
・元和3年(1617年)に前田利家の子・利長が小堀遠州に依頼して建てたものと伝えられる。 ・呑湖閣は打月橋で結ばれ池中に建てられている二重楼閣建築で、春屋宗園の昭堂として庭と同年に建てられたが、現在の建物は1804年(文化1)に再建されたもの。
・呑湖閣は、金閣・銀閣・飛雲閣と並び京の四閣と称されている。京都府指定文化財。
・呑湖閣の意味は、遥か比叡山の向こうにびわ湖を飲むという意味だという。
(3)霊屋
芳春院尼・前田利長(まつの長男)・利常などの霊屋。京都府指定文化財。
(4)茶室
落葉亭、松月軒、如是庵がある。
5 庭園
(1)方丈前庭(花岸庭)
山渓から流れ出る水がやがて大海に帰る自然の大らかさを表現したものといわれる。 (2)客殿背後の庭園
・呑湖閣を中心とした楼閣山水庭園。元和3年(1617)、横井等怡と小堀遠州の作と伝える。飽雲池に打月橋がかかり、客殿と呑湖閣を結んでいる。 ・「飽雲池」と称する池には、杜若や睡蓮が美しく映える。
6 文化財
絹本著色多賀高忠像・大燈国師墨蹟などが著名。
7 京都検定の出題歴
●平成17年度1級 (問)大徳寺の塔頭・芳春院にある「京の四閣」の一つに称される楼閣を何というか。 【正解】呑湖閣
8 練習問題
(1)沿革 慶長13年(1608)に( 1 )の夫人松子(芳春院)が、前田家の菩提寺として建立。開祖は玉室宗珀。寛政10年(1798)、前田家の援助により再興。 (2)創建当時の豪華な霊屋
前田利長の極彩色の霊屋、松子の白木の霊屋が現存。 (3)( 2 )
寛政10年(1798)再建。昭堂建築として異色。京都( 3 )の一つ。 (4)庭園
元和3年(1617)、横井等佔と( 4 )の作。呑湖閣を中心とした庭園。飽雲池に( 5 )がかかり、客殿と呑湖閣を結ぶ。 【正解】
1 前田利家 2 呑湖閣 3 四閣 4 小堀遠州 5 打月橋 |
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2011年01月31日
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