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豊国廟(豊臣秀吉の墓)
京都に豊臣秀吉の墓があることを知っていますか。
秀吉の墓は、「豊国廟」と呼ばれ、東山七条にある智積院とその北側にある妙法院の間の豊国廟参道を上がっていきます。
豊国廟参道は、途中に京都女子学園のキャンパスがあることから、昔から、通称「女坂」とも呼ばれています。
坂道を上がった突き当りに、鳥居のある石段があり、ここを上がると、「太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれる平坦地があります。
ここには中央に拝殿があり、拝殿の奥から秀吉の墓の大五輪塔が立つ阿弥陀ヶ峰山頂まで、485段もの長くて急な石段が続いています。
485段という長い急な石段を上らなければならないため、休日でも地元の大学の体育会系の学生がトレーニングをする風景が見られるほかは、あまり訪れる人もいないところですが、話しのタネとして、一度は上がって見られたらいかがでしょうか。
なお、太閤坦のあたりは、春は桜の名所として知られています。
2 豊国廟への参道
①豊国廟参道
②鳥居のある石段
ここは太閤坦(たいこうだいら)と呼ばれ、徳川幕府により破壊される以前に豊国神社の社殿があったところといわれる。
③太閤坦
・拝殿
・手水舎
広々とした平坦地で、正面に拝殿があり、その奥に、秀吉の墓がある阿弥陀ヶ峯への長くて急な石段がある。
秀吉は1598年に伏見城で死去(享年63歳)。秀吉の遺体は遺言により東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に埋葬し、墓所とした。翌年、中腹を切り開き「太閤坦(たいこうだいら)」を造成し、ここに豊国廟、豊国神社等が造成された。
ところが、その後、大坂夏の陣により豊臣家が滅亡し、徳川政権下になると、豊国廟、豊国神社は幕府によって徹底的に破却された。
④秀吉墓所のある阿弥陀ヶ峰山頂への長い石段
・上り口
・登拝券(大人50円)購入の注意書き
・長く急な石段
頂上にある巨大な五輪石塔に向けて、うっそうとした木立の間に、長い石段が伸びている。中門までは313段ある。
⑤石段の途中にある平坦な場所と中門
⑥最後の石段(172段)
⑦展望
石段の両わきには大きな木々が茂り、眺望はよくないが、木々の間から、祇園コーナーや清水寺、御所から京都ホテルオークラが見える。
・木々の間から見える御所から京都ホテルオークラ方面
・石段わきの斜面の木々
⑧阿弥陀ヶ峰山頂の巨大な五輪石塔(秀吉の墓所)
長い石段を上った阿弥陀ヶ峰山頂に、秀吉の墓である高さ約10mという巨大な五輪石塔がある。
・阿弥陀ヶ峰山頂の表示
阿弥陀ヶ峰山頂は標高196mで、東山三十六峰のひとつ。
⑨石段の数について
拝殿から中門まで313段、中門から大五輪塔まで172段の合計485段ある。
石段は、途中数箇所の踊り場をはさんで、63段ずつ設けられていることから、その設計にあたり、秀吉の死去した63歳を意識して63段ずつとしたのではないかともいわれている。
3 沿革
<説明板>
①秀吉の死去と廟、社殿の造営
・慶長3年(1598)8月18日、秀吉が伏見城にて63歳で死去。 ・後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が行われた。 ②豊臣氏の滅亡と社殿、廟の破壊
元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、社殿、廟は破壊された。 ③社殿と廟の再建
明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として社殿を再建。 明治30年(1897)、秀吉の300年忌に際し、廟宇を再建。墳上には巨大な五輪石塔が建てられた。 |
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2011年03月09日
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