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京都府の最南端、木津川市にある和泉式部の墓と伝える五輪塔
京都府の最南端、奈良県境を流れる木津川の近くのJR学研都市線の線路近く、木津殿城という地区に、古そうなお寺があり、その境内の奥に、平安時代中期の歌人、和泉式部の墓と伝える五輪塔があります。
五輪塔は鎌倉時代前期のものと推定され、高さは約130cmあります。
どうしてこのような所に和泉式部の墓が、と不思議に思うのですが、かたわらに立つ説明板には、「伝承によれば、式部は木津の生まれであり、宮仕えの後、再び木津に戻り余生を過ごしたといわれている」と書かれています。
京都で和泉式部ゆかりのお寺といえば、真如堂と吉田山の間にある東北院と、新京極通沿いにある誠心院があります。
東北院は、かつて、藤原道長が創建した法成寺の東北に娘の一条天皇中宮彰子の住いのために建てられた常行三昧堂を起源とし、後年、彰子に仕えた和泉式部に与え、その後、その法成寺の一堂を、元禄5年(1692)に移して再興したと伝えています。境内には軒端の梅が毎年白い花を咲かせています。
また、誠心院は和泉式部が初代住職であったと伝え、境内には高さ4mもの大きな宝筐印塔があり、これは和泉式部の供養塔あるいは和泉式部の墓ともいわれていることは、広く知られています。
これに対して、奈良県境の木津にある和泉式部の墓と伝える五輪塔は、和泉式部の出身地であり、余生を過ごしたという伝説によりどころがあるだけですが、ここからそれほど遠くない木津川の河原近くに平重衡の供養塔と伝える十三重塔があったりして、一千年に渡る遥かな時の流れが木津川の流れと重ねられて、京都の歴史のロマンを感じるところです。
1 場所↓
2 和泉式部の墓と周囲のようす
①和泉式部の墓のあるお寺
・入口
・本堂
②伝・和泉式部の墓
・入口
・和泉式部の墓と伝える五輪塔
・説明板
③境内のようす
・古い石仏
・震災供養塔
無住のお寺のようですが 、境内はよく掃除されています。
石仏などを見ていると、長い時の流れを感じます。
3 和泉式部について
三十六歌仙の一人で、一条天皇の中宮彰子に紫式部らとともに仕え「和泉式部日記」・「和泉式部集」などの歌集を残した。
幼少の頃より詩歌に親しみ、和泉守橘道貞という人物と結婚し、夫の官名をとって「和泉式部」と呼ばれるようになったといわれている。その夫と離別した後、何人かの人物と付き合ったが、みな若くして亡くなってしまう。その後、中宮彰子のもとに仕えたことが縁となって、丹後守藤原保昌に嫁入りし、夫の地方への赴任についていったという。
岩手県北上市、岐阜県可児郡御嵩町、兵庫県伊丹市などに和泉式部の墓と称するものがあり、なかでも京都市中京区誠心院のものが有名。
(フリー百科事典「ウィキペディア」)
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