京の六地蔵めぐりと桃山の六地蔵大善寺
京の六地蔵めぐりは、毎年8月22日〜23日、京都の街道の入口に安置された6カ所の地蔵尊を巡拝して、罪障消滅、無病息災、家内安全、五穀豊穣などを願う800年の伝統行事といわれています。
六地蔵めぐりは、それぞれのお寺で「お幡(一体300円)」と呼ばれるお札を求め、六体のお幡を護符として家の玄関や軒に吊るすと厄を祓い、福を呼ぶと伝えられています。
8月22日、六地蔵めぐりに行ってきました。
山科駅前を9:20にスタートして、山科地蔵、六地蔵、鳥羽地蔵、鞍馬口地蔵、常磐地蔵、桂地蔵の順にまわり、鳥羽地蔵と鞍馬口の間で、革堂の幽霊絵馬を拝観し、ランチと休憩はしっかり取って、4時半ころに全てまわり終えることが出来ました。
1日で6箇所を回るには、どうしても車に頼らなければならず、六地蔵めぐりと同じ期間に、革堂行願寺で、幽霊絵馬の特別拝観が行われていて、これも見たいと思っていましたので、効率的にまわるために、時間配分やそれぞれ車の置き場所について、あらかじめ考えた上でまわってきました。
<巡拝して集めた6体の「お幡(はた)」>
一枚ではなく、一体(たい)と数えます。
今回は、2か所目の六地蔵大善寺です。
この日は、最初に山科の大丸の駐車場に車を置いて、歩いて徳林庵に参拝してから、大丸の駐車場に戻り、外環を醍醐から六地蔵まで走り、イズミヤ六地蔵店の立体駐車場に車を置き、大善寺に向かいました。
1 六地蔵というところ
六地蔵は京都市の南東部、宇治市と接するところにあり、昔から交通の要衝に位置し、今では大阪、京都中心部、山科、奈良方面へのアクセスが良いところです。
・大善寺の前に立つ説明板
古来より京へ、山科へ、宇治へ、また奈良へ向かう交通の分岐点に当たり、多くの旅人が往来していた。平安時代、小野篁により6体の地蔵が造立され、そのうちの一体が平清盛の命によりこの街道入口に安置されたと伝えられる(大善寺)。
付近には京都市 最大の前方後円墳とされる「黄金塚1号墳、同2号墳」の2基の古墳がある。
伏見城時代、藤堂高虎の屋敷と小堀遠州の六地蔵屋敷があったとされる。
藤堂邸にて朝鮮の儒者「恙汎」に藤原惺窩(日本朱子学の大家)が度々教えを乞うた。また、伏見城築城に際して物資を運び入れた「お舟入り」の跡も残存している。
・六地蔵という地名の由来
この地にある大善寺には、もとは小野篁が一本の桜の木から刻んだ6体の地蔵尊が全て置かれた地であったということによるもので、その後、平清盛によって京への街道の出入口に置かれ、これらを巡って参拝する風習が出来た根源の地とされている。
1 六地蔵大善寺へ
●大善寺の前にある道標
・道標「ひだり ふしみ みちみぎ 京みち」
ここは昔も今と同様に交通の要衝でした。
(2)境内
●表門(東側、外環沿い)
●表門を入ったところから見た地蔵堂(左)と観音堂(右)
左手には鐘楼があり、右手には本堂「浄妙殿」がある。
●地蔵堂と地蔵尊
六角形のお堂。
・菊の花の留蓋瓦
・扁額
・木像地蔵菩薩立像と小野篁像
木像地蔵菩薩立像は小野篁が刻んだと伝え、重文に指定。
向かって左側が小野篁像。
●観音堂
十一面観音像を安置。
●本堂「浄妙殿」
山科にある勧修寺の宸殿が宝永年間に下賜され、移築されたと伝えられている。
・扁額
・向拝に乗る獅子の像
・本尊
本尊は丈六の阿弥陀仏。
●鐘楼
・由緒
東福門院(徳川二代将軍秀忠の娘)が、明正天皇の安産祈願成就のお礼として寛文5年(1665)に寄進されたという。
・鐘楼の天井画
菊と三つ葉葵の紋が描かれている
●庫裏
●石仏
(3)大善寺の沿革
<説明板>
・浄土宗の寺院。本尊は六丈の阿弥陀仏。
・慶雲2年(705)、藤原鎌足の子・定慧によって創建され、大津の三井寺を開いた智証大師円珍が、天台密教の寺として開基したのが始まりと伝える。
・地蔵堂に安置する木像地蔵菩薩立像(重文)は、平安初期の学者・小野篁が木幡山の一本の桜の大木から刻んだ六体の地蔵菩薩像の一つと伝える。
・鎌倉時代にかけて地蔵信仰が盛んとなり、正親町天皇の許しを得て中興し、浄土宗に転じ大善寺となった。
<六地蔵めぐりの由来>
①小野篁が48才の時、大病にかかり仮死状態となった。夢の中、地獄の世界に行き、そこで現世の罪業によって苦しむ人たちを救う地蔵菩薩に逢う。地蔵菩薩は小野篁に、娑婆の世界に帰ったら一切の人々に現世の罪業によって地獄で受ける苦しみを知らせて、地蔵菩薩に帰依するようにと教えた。
②小野篁は蘇った後、木幡山の一本の桜の大木をもって6体の地蔵菩薩像を刻んで、木幡の里(現在の伏見地蔵の地)に安置した。
③後白河天皇の勅命
平安時代の保元2年 (1157) 、都では疫病が流行していた。木幡の里に置かれた地蔵菩薩像を深く信仰していた後白河天皇は、都の出入口にこの地蔵菩薩を祀るよう平清盛に命じた。
④平清盛による六地蔵の分置
清盛は西光法師に命じ、京への街道口の六箇所、
・桃山の大善寺(奈良街道)
・上鳥羽の浄禅寺(西国街道)
・桂の地蔵寺(丹波街道)
・常盤の源光寺(周山街道)
・鞍馬口の上善寺(若狭街道)
・山科の徳林庵(東海道)
それぞれに六角円堂を建て、
王城守護と疫病退散、旅人たちの路上安全など祈願のため、地蔵菩薩を一体づつ分置し「廻り地蔵」と名付けた。
これにより庶民に地蔵信仰が広まり、平安末期から鎌倉時代にかけて、六地蔵信仰が盛んになり、六地蔵巡りの風習が始まったという。
2 イズミヤ六地蔵店の駐車場を出て、上鳥羽の浄禅寺(鳥羽地蔵)へ
次回につづく。