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紙パック入りの冷やしあめ
山科区のスーパーマーケットで、紙パック入りの冷やしあめを買いました。
大阪、八尾のメロディアンという会社が製造している紙パック入りで、1個98円でした。
グラスに入れ替えると、琥珀色をしていますが、これは麦芽水飴を使っているからだそうです。
冷やしあめは、麦芽水飴を湯で溶き、生姜の搾り汁や卸し生姜を加えた清涼飲料水で、関西では、夏の飲み物といえば、昔から冷やしあめが広く知られています。
フリー百科事典「ウィキペディア」には、
「京都を中心に関西で普及してきた飲料で、特に京都周辺地域では昔から、縁日の屋台、銭湯、様々な小売店舗(駄菓子屋、お好み焼き店、うどん・そば店、茶店、喫茶店、等々)などにて供されることが多い。昭和までは京都・関西ローカルの飲料であった。」
と書いてあり、関西でも京都を中心に普及してきた飲み物ということは、最近知りました。
以前住んでいた関東では見かけなかった飲み物ですが、実際に飲んでみると、生姜の味が新鮮に思えました。
京都のお土産として、話のタネにぜひおすすめです。
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2011年09月17日
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六波羅蜜寺(西国17番札所)
・六波羅蜜寺
六波羅蜜寺は、鴨川に架かる松原橋から東へ約400m進み、「六道の辻」と呼ばれる西福寺の角を南へ入ったところにあります。あたりには民家や商店が建ち並んでいて、ここは有名なお寺なのに、境内が狭く、窮屈に感じるところです。
六波羅蜜寺の創建の由来について、平安時代中期の天暦5年(951)、空也が造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称したと伝えています。
空也は疫病の蔓延する当時の京の都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといわれています。
空也の死後、比叡山の僧・中信が中興して六波羅蜜寺と改称し、それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となりました。
平安時代末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれ、その後鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近とされています。
六波羅蜜寺は江戸時代までは大伽藍を連ねていましたが、明治初期の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小しました。現在、寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭く、主な建物は本堂(南北朝時代、重文)と弁財天堂、宝物収蔵庫のみとなっています。
ここはまた、西国三十三所観音霊場17番札所として、年間を通じて多くの参拝客が訪れています。
1 場所↓
2 境内
●六波羅蜜寺とその前の通り
●本堂(南北朝時代、重文)
・扁額
・蛙股
今から650年ほど前、南北朝時代の貞治2年(1363)の再建とされている。
外陣を板敷きとし、蔀戸で仕切られた内陣を一段低い四半敷き土間とする天台式建築といわれるもの。
●平清盛塚
●阿古屋塚
石造宝塔(鎌倉時代)で、その下の台は古墳時代の石棺の蓋を用いている。
・ 浄瑠璃、壇ノ浦兜軍記 三段目「阿古屋の琴責め」
平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五条坂に住む白拍子、阿古屋を捕え、代官、畠山重忠は、彼女が、景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴などの調べに一点の乱れのないことに感動し、彼女を釈放する。
●弁天社
古くから弁財天の祈願所と定められ、都七福神の一つ。
●石仏
3 仏像
<本尊と重文指定の仏像>
①本尊「木造十一面観音立像」(国宝)
本堂中央の厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏。
像高258cmの一木造。平安前期彫刻から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例として国宝に指定。
951年に空也が創建した西光寺の本尊像であり、空也上人の自刻と伝える。
②空也上人立像(重文)
鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。
疫病が蔓延していた京の街中を、空也が首から鉦を下げ、鉦を鳴らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ、わらじ履きで歩くさまを表現。空也の口からは「南無阿弥陀仏」の6字を象徴する6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。
③平清盛坐像(重文)
鎌倉時代。平清盛像とされる経を持った僧形の像。
④木造伝・運慶坐像、伝・湛慶坐像
鎌倉時代。日本仏像彫刻史上最も有名な仏師親子の肖像彫刻。十輪院に伝わり、本尊の脇に祀られていた。
⑤木造地蔵菩薩坐像
鎌倉時代。伝来、作風等から運慶の真作とされる像で、運慶一族の菩提寺である十輪院に伝来。
※運慶一族の菩提寺「十輪院」
六波羅蜜寺のかつての境内は広大で、境内に十輪院という寺院があり、ここは運慶一族の菩提寺であった。木造伝・運慶坐像、伝・湛慶坐像、木造地蔵菩薩坐像は十輪院に伝わってきたものとされている。
⑥木造四天王立像
平安時代。本尊の十一面観音像とともに、空也による創建期の遺作とされる。
⑦木造地蔵菩薩立像
平安時代。六波羅地蔵堂に安置されていた。左手に頭髪を持ち、鬘掛(かつらかけ)地蔵と呼ばれ信仰されている。『今昔物語集』にもこの像に関する説話が取り上げられるなど、古来著名な像で定朝作と伝える。
⑧木造薬師如来坐像
平安時代。天台様式がみられ、中信による中興時の像と考えられる。
⑨木造弘法大師坐像
鎌倉時代。快慶の弟子・長快の作。
⑩弘法大師像
鎌倉時代。長戒作。
4 年中行事
●大福茶、皇服茶
本来は、大福茶とは、若水(元旦の朝に初めて汲む水)で沸かした煎茶の中に結び昆布と小粒の梅干を入れたもの。その本来の大福茶は、1月1〜3日、六波羅蜜寺でいただくことができる。なお、六波羅蜜寺では、「皇服茶」と呼んでいる。
・起源:
平安時代、村上天皇の代に、京都に疫病が流行し、天皇も疫病にかかったが、六波羅蜜寺の観音のお告げにより、この寺の茶を飲んで平癒し、村上天皇が飲んだ茶ということで「皇服茶」「王服茶」といわれ、のちに「大服茶」となり、さらに福を招くに転じて「大福茶」となった、といわれている。
●萬灯会
8月8〜10日,16日
開白法要・大万灯点灯法要・送り万灯点灯法要がある。数多くの灯明を人形文字「大」の形に点灯し、先祖の精霊を迎え、追福の祈祷をする。
●空也踊躍念仏(国、重要無形民俗文化財)
12月13〜31日。かくれ念仏とも言われる。
期間中毎日、日暮れ時から念仏踊りが奉納される。天暦5年に京都で疫病が流行した際、空也上人がその救済を願って始めたのが起源と伝えられる。31日は非公開。
5 祈願絵馬
6 沿革
<説明板>
①天暦5年(951)、疫病平癒のため空也上人によって開創された真言宗智山派の寺院。空也により創建された西光寺を起源とする。
②西国三十三所観音霊場第17番札所として古くから信仰を集めている。
③本尊は空也上人の自刻と伝える十一面観音立像(国宝)
④空也上人について
・醍醐天皇の第二皇子。六斎念仏の始祖。「市の聖」と呼ばれた。 ・ゆかりの皇服茶、空也踊躍念仏が今に伝わる。 ⑤往時の寺域
・平清盛ら平家一門の屋敷(六波羅殿)が営まれた。 ・鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれた。 ⑥明治の廃仏毀釈の影響により、大幅に寺域を縮小。
⑦都七福神の一つ、弁財天をまつっている。
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