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正月にいただく伝統菓子「花びら餅」
 
 
花びら餅は京都でお正月にだけいただく伝統の御菓子の一つです。
 
 京都駅の伊勢丹に入っている仙太郎さんで買いました。
 
花びら餅は、柔らかいお餅に白味噌のあんをゴボウと共に求肥で包んだお菓子で、その原型は、宮中の正月の行事食「菱葩(ひしはなびら)」といわれています。
 
明治時代になって御所と縁が無くなってしまった京都の和菓子屋が、宮中で使われたものを茶道の上に生かしてゆき、裏千家十一世玄々斎が、「花びら餅」として初釜に使ったのがはじまりといわれています。
 
 
≪花びら餅≫
 
仙太郎さんでは、ごぼうを2本入れています。
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●開いたところ
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、つぎのような説明があります。
 
・ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子で、通称「花びら餅」という。
 
・当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流。
 
・平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年も宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。
 
・歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになり、さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡を模したものとなった。
 
・宮中に菓子を納めていた川端道喜が作っていた。
 
・明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。
 
 
・新春を寿ぐ和菓子の代表。京都の正月を彩る伝統菓子。
 
・正式名「菱葩餅(ひしはなびら)」、通称「はなびら餅」と呼ばれる。
 
・もともとは宮中のおせち料理の一つとして食べられていたもの。
 
・新春の長寿を願う行事であった「歯固めの儀式」では、餅の上に赤い菱餅を敷いて、大根や鮎の塩漬けなどをのせていたが、時代と共に簡略化、鮎がごぼうになったという。
 
・明治時代に 裏千家家元が初釜で使うことを許されたことから、全国の和菓子店が作るようになったとのこと。
東山の豊国神社に初もうで  
 
 
 豊国神社は、七条通よりも一本北の通りである正面通の東の突き当りの石段上にあります。
 
 豊国神社は、明治13年(1880)に、明治政府が方広寺の大仏殿跡に再興した神社で、豊臣秀吉を祭神としています。
 
 ここにはかつて伏見城の城門であったと伝える唐門があります。桃山時代の雰囲気を伝える豪華な彫刻があり、国宝に指定されています。
 
ここの唐門は、同様に伏見城から移築された西本願寺の唐門、聚楽第の遺構と伝える大徳寺唐門と並んで、京の三唐門の一つといわれています。
 
唐門には「鯉の滝登り」の彫刻があり、鯉は竜門の滝を登って龍になるとの故事があることから、この唐門は出世開運の社にふさわしく、立身出世の関門「登竜門」で、この唐門をくぐると出世できるといわれています。
 
普段は唐門から中に入れませんが、正月三が日には特別に、「登竜門」ともいわれる唐門をくぐって、その奥にある拝殿から本殿の前まで進んで、参拝することができますので、初詣先としてはおすすめのところです。
 
今日は特別に本殿前で参拝してきました。
 
唐門の左右には石灯籠が並んでいますが、これらの灯籠は秀吉を思う諸大名がそれぞれ神社に寄進したものと伝えています。
 
 
 
場所
 
 
2 境内
 
●正面通に面した石段と鳥居
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参道と唐門
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・唐門から見た鳥居と正面通方面
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唐門(国宝)
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 唐破風がついた四脚門で、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたと伝えられている。
 
欄間や扉の彫刻は華麗で、いかにも桃山時代のものらしいといわれる。
 
 
≪唐門の扉の彫刻≫
 
・「鯉の滝登り」の彫刻
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  鯉は竜門の滝を登って龍になるとの故事があることから、この唐門は立身出世の関門「登竜門」になっている。出世開運の社にふさわしいこの唐門をくぐると、出世できるといわれている。
 
 
・扁額と鶴の彫刻
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 扁額には後陽成天皇から秀吉に与えられた神号「豊国大明神」の文字があり、この額は後陽成天皇の宸筆ともいわれている。
 
目玉がないため「左甚五郎の目無し鶴」と呼ばれている。これは名人・左甚五郎の彫刻の出来が良すぎたために、鶴に目を入れると魂が宿り飛び去ってしまうと思い、鶴の脱走防止のためにあえて目を入れなかったといわれている。
 
 
・桐紋
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●拝殿
・唐門から見た拝殿
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・拝殿
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本殿
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●貞照神社
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 本殿に向かって右側にあり、秀吉夫人の北政所をまつる。
 
 
 
3 京都十六社朱印めぐり
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初詣におすすめです。
 
・今宮神社  (開運隆昌・健康長寿)  北区紫野今宮町21
・わら天神宮  (安産・厄除け・家内安全) 北区衣笠天神森町
・御霊神社  (厄除け・学業成就)  上京区上御霊竪町495
・西院春日神社  (厄除け・病気平癒) 右京区西院春日町61
・六孫王神社  (出世開運・家運隆昌)  南区壬生通八条角
・市比賣神社 (女性の守り神・市場の守り神)下京区河原町五条下ル一筋目西入
・岡崎神社  (厄除け・安産・縁結び) 左京区岡崎東天王町51
・熊野神社  (縁結び・安産・病気平癒) 左京区聖護院山王町43
・若王子神社  (学業成就・商売繁盛) 左京区若王子町2
・豊国神社  (開運招福) 東山区大和大路通正面茶屋町530
・粟田神社   (旅立守護・厄除け) 東山区粟田口鍛冶町一番地
・新熊野神社  (健康長寿・病魔退散・お腹の神) 東山区今熊野椥ノ森町42
・吉祥院天満宮 (知恵と勉強の神・受験合格・開運招福) 南区吉祥院政所町3
・藤森神社  (男人守護の神様・勝運と馬の神様) 伏見区深草鳥居崎町609
・御香宮神社  (安産・開運招福) 伏見区御香宮門前町174
・長岡天満宮    (入学祈願・厄除開運)   長岡京市天神2-15-13
 
 
 
4 豊国神社の沿革
<説明板>
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(1)豊臣秀吉の死去と豊国社
慶長31598)年豊臣秀吉は伏見城において63歳で死去。遺命により方広寺近くの東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌、慶長4年(1599)年、中腹を切り開き「太閤坦(たいこうだいら)を造成し、ここに豊国廟、豊国神社等が造成された。
 
後陽成天皇から正一位の神階と「豊国大明神」の神号が贈られ、盛大に鎮座祭が行われた。
 
境内域30万坪を誇る壮大な神社であったといい、慶長9年の秀吉公七回忌には特に盛大な臨時祭礼が行われた。そのときのようすは、豊国臨時祭礼図屏風(重文)に描かれている。
 
元和元年(1615)に豊臣家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は朽ちるままにされた。なお、神体はひそかに新日吉神宮に移し、祀られたという。
 
 
(2)豊国神社の再興
明治元年(1868)明治天皇が大阪に行幸したとき、豊臣秀吉を、天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。
 
明治6年(1873)、別格官幣社に列格。
 
明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿跡地の現在地に豊国神社が再興され、遷座が行われた。

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