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京都ゑびす神社(恵美須神社)の珍しい参拝の仕方と名刺塚、財布塚
恵美須神社は建仁寺の西側の大和大路通沿いにあります。
・大和大路通に面した鳥居
ここは、鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に栄西禅師が建仁寺を建立するに当たり、鎮守杜として創建されたと伝えられています。
現在では、西宮と大阪にある今宮神社と並び日本三大ゑびすの一つとされ、「えべっさん」の名で「商売繁盛」の守り神として親しまれています。
境内は1月の「十日ゑびす」と10月の「二十日ゑびす」の時には大勢の参詣客でにぎわいますが、普段は静かな境内で、のんびり散策できます。
ここは商売繁盛の神様というだけあって、名刺塚と財布塚という他ではあまり見られないものがあります。
境内に入って右手奥にありますから、見落とさぬようにしたいものです。
6月に入って訪れてみると、社務所の前に綺麗に咲いた花菖蒲の鉢が置かれていました。
・花菖蒲の鉢
※場所↓
<周辺の案内図>
1 境内
道路に面した鳥居をくぐると、正面に二の鳥居と拝殿が見えます。
●二の鳥居と拝殿
・二の鳥居の福箕
二の鳥居に福箕が掛けられており、ここにお賽銭を投げ入れ、うまくその中に入ると願いが叶うといわれています。
●拝殿
ここでの参拝のしかたは、本殿の正面からお参りしてから、次に、左へ拝殿の横にまわって、横の板を軽く叩いてお参りすると願いが叶う、といわれています。
えびす様は長寿で耳が遠いため、こうやって参拝を伝えるのだと、昔からいわれています。
・正面
正面でお参りをし、次に拝殿左側の奥に進みます。
・左側側面
ここには「この板をたたいてお詣り下さい」という掲示があります。
●名刺塚と財布塚
境内に入って右手奥にあります。
・名刺塚と財布塚
古くなった財布や名刺の供養のため築かれたもの。
財布塚には寄進した松下幸之助の名前が見える。
平成22年は9月26日に名刺・財布感謝祭が行われる。
●ふくよかな顔立ちのゑびすさま
●境内社「小松天満宮」「白太夫社」
●岩本社
平安時代の歌人、在原業平を祀り、在原業平像は阿仏尼作ともいわれている。
2 沿革
・健久2年(1191)に栄西禅師が宋より帰途についた際、暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、その加護により難を免れたといわれ、建仁寺創建にあたり、境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのがおこりと伝えられている。
・応仁の乱後、建仁寺再建にあたって現在地に移したと伝わる。
・今もなお当地の産土神として人々の崇敬を受けている。
3 都七福神めぐり
室町時代に京都で民間信仰として七福神信仰が興り、全国に拡がっていったといわれる。
ゑびす神は七福神のうちで唯一日本生まれの神様といわれている。
4 十日ゑびす(初ゑびす)
1月8日〜12日の5日間に渡って行われる。
商売繁盛、交通安全、家内安全のご利益を求める参拝者で賑わう。
1月8日 招福祭
1月9日 宵ゑびす祭
1月10日 十日ゑびす大祭(初ゑびす)
1月11日 残り福祭
1月12日 撤福祭
5 二十日ゑびす』(ゑびす講)
・10月19日〜20日 ・(初ゑびす)と対をなし、旧暦の9月20日(現在の10月20日)に執り行われる。
・20日は午後2時半より生間流包丁式が奉納される。
6 練習問題
(1)祭神:八重言代主神、大国主神 (2)沿革
・平安末期、( 1 )が宋からの帰路に暴風雨にあい、波間に( 2 )神を得て、船中に祀ると風雨が止んだ。帰国後、建仁寺境内に祭って鎮守社としたのが始まり ・応仁の乱後、建仁寺再建にあたって現在地に移したと伝わる。 (3)( 3 )まいりの一つ。商売繁盛、交通安全(海路安全)の神として知られる。
(4)行事
①初ゑびす 1月8日〜12日
1月8日 ( 4 )祭 9日 ( 5 ) 10日 ( 6 ) 11日 ( 7 ) 12日 ( 8 ) ②二十日ゑびす 10月19日〜21日
10月19日 ( 9 ) 20日 ( 10 )大祭 21日 ( 11 ) ◎境内でゑびす囃子を奏し、( 12 )流の式包丁が奉納される。
【正解】
1 栄西 2 恵美須 3 都七福神 4 招福 5 宵ゑびす 6 初ゑびす 7 のこり福 8 撤福祭 9 宵ゑびす 10 ゑびす講 11 のこり福 12 生間 |
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2012年06月17日
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