|
梅雨時の深草の宝塔寺を散策する
宝塔寺は東山三十六峰の南端、伏見稲荷のある稲荷山から南に続く丘陵にあります。
ここは室町時代の四脚門で重文の山門から、本堂に向ってなだらかな坂をまっすぐに石畳の参道が続いています。
宝塔寺は梅雨時でも、小雨であれば、石畳や石段などがしっかりしているので歩きやすく、霧につつまれたような深草の町並みもきれいで、重文の多宝塔の眺めもなかなか趣があります。
1 境内
境内の西側に四脚門(総門)があり、ここから仁王門に向かってなだらかな参道を上がっていくと、仁王門があり、仁王門をくぐると正面に本堂があり、本堂の右手に多宝塔があります。
●総門
四脚門で、建てられた年代が室町時代中期と古く、重文に指定されている。
●極楽寺の伽藍石と開創千百年記念の石像
総門脇にある。
極楽寺は、平安時代の嘉祥年間(848-51)に藤原氏の菩提寺として創建され、稲荷山の南に続く丘陵地一帯を寺域とする大寺であったと伝えられている。
●参道と参道わきで咲いていたクチナシの花
●参道と日像荼毘処
参道の途中にある。
日蓮宗の日像上人は、他の宗派からの反発などを受けながら京都での布教活動に力を注ぎ、亡くなった後、宝塔寺は深草山鶴林寺(かくりんじ)と改名され、遺言により日像はここで荼毘(火葬)に付された。
●仁王門
宝永8年(1711)の再興で、近年修復された。
・サツキと仁王門
中央に橘紋を描いた赤い提灯が吊下がり、天井板約250枚の一枚一枚には、色鮮やかな牡丹の花が描かれている。
●本堂
慶長13年(1608)の建立で、日蓮宗本堂としては京都最古。
平成14年度に、本堂解体修理の大工事が竣工した。
本尊の釈迦如来と十界曼陀羅の画像、左右に日蓮・日像の両木像を安置。
●多宝塔(重文)
市内に現存する市内最古の多宝塔。
一層目は行基葺きで、二層目は本瓦葺き。
説明には、「永享10年(1438)を下らず、昭和13年修理」と書かれている。
●妙顕寺歴代廟所
妙顕寺は宝塔寺の本山にあたり、ここには妙顕寺歴代廟所があり墓碑が並ぶ。
●日像上人廟
●日像上人銅像
●鐘楼
●七面宮への石段
●七面宮
七面山中腹にあり、石段を上がっていく。七面宮は、もと宝塔寺の鎮守社で法華守護の吉祥天である七面天女を祀っている。
2 沿革
<説明板>
・深草山と号する日蓮宗の寺院。
・寺伝によれば、関白藤原基経が発願し、昌泰2年(899)に藤原時平が大成した藤原氏の菩提寺として創建した極楽寺に始まる。
・当初は真言宗であったが、徳冶2年(1307)、住持の良桂律師が日蓮の法孫・日像に帰依し、日蓮宗に改宗。
・また、日像が京都に通じる七つの街道の入口に建てた法華題目の石塔婆の一つが、当寺の日像廟所に奉祀されたことにちなみ、寺名を宝塔寺と改称したとされる。
・本堂(重文)は江戸初期の1608年の創建で、本尊の十界曼荼羅、釈迦如来立像、その左右に日蓮・日像の像が祀られている。
・行基葺の多宝塔は永享10年(1438)以前に建立されたもので、室町時代中期建立の四脚門(総門)とともに、重文に指定されている。
・境内には、肺病治療の名医で、肺病平癒の信仰を集める宗有とその妻妙正の墓があり、夫婦塚と呼ばれている。
・本堂背後の七面山には、寛文6年(1666)に勧請された七福吉祥の七面大明神を祭る七面宮がある。
3 京都検定の出題歴
(1)平成19年度2級 藤原基経が創建した極楽寺を起源とし、「行基葺」の屋根が美しい多宝塔(重文)で知られる寺院はどこか。 (ア)本法寺 (イ)妙蓮寺 (ウ)宝塔寺 (エ)常寂光寺 【正解】(ウ)
4 練習問題
(1)( 1 )宗妙顕寺派。山号「深草山」。 (2)沿革
・嘉祥年間(848〜51)に藤原基経が( 2 )を開創したのが始まり。極楽寺は源氏物語にも登場する。 ・その後、住持の良桂が日像に帰依して真言宗から日蓮宗へ改宗。日像没後、廟所として鶴林院宝塔寺と改称。応仁の乱後、日銀が復興。 (3)本尊:釈迦如来・十界曼陀羅
左右に、日蓮、日像の像を祀る。 (4)本堂
慶長13年(1608)の建築。重文。日蓮宗の( 3 )としては京都最古。 (5)総門(四脚門)
室町時代の建築。重文。 (6)( 4 )
永享10年(1438)建築。重文。 (7)( 5 )
肺病治療の名医であった宗有・妙正の墓。肺病平癒の信仰を集める。 【正解】
1 日蓮 2 極楽寺 3 本堂 4 多宝塔 5 夫婦塚 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]





