|
建仁寺の暁天座禅会と方丈、庭園「大雄苑」、「潮音庭」、「○△□の庭」
京都は、昨日梅雨明けをして、いよいよ夏本番の到来です。
明日からは祇園祭の山や鉾の組み立ても始まり、祇園祭のピークの山鉾巡行まで1週間となりました。
また、京都では真夏の早朝に、各地の寺院で各界の著名人や僧侶の法話を聞く「暁天講座」が行われ、今では京都の夏の風物詩ともいわれていますが、ここ東山の建仁寺では、7月8日、9日、10日の3日間にわたり、午前6時半から8時まで「暁天座禅会」が行われています。
・暁天座禅会のポスター
重要文化財に指定されている方丈は、3年後の栄西禅師800年遠忌に向けて屋根を杮葺きに戻す工事などが行われ、周囲を丸太足場が組まれています。
そのため周囲の庭園の景観も良くなく、風通しも悪いようで、むし暑さがひとしおだったのですが、その中で、座禅は30分間、そのあとは、講演ということで、今日9日は、元オリックス球団社長の小泉隆司さんのお話しがありました。
お話のなかで、今、この時を充実して生きることの大切さを話されていたことが特に印象に残りました。また、講演終了後に、持参されていたイチローのバットをさわらせていただくことができました。
なお、方丈前庭「大雄苑」はよく見えませんでしたが、枯淡な四方正面の禅庭といわれる「潮音庭」はとても美しく、気持ちの良い庭でした。
1 建仁寺
臨済宗建仁寺派の大本山。鎌倉時代の建仁2(1202)年に栄西禅師によって開山された日本最古の禅宗の本山寺院。
2 場所↓
3 暁天座禅会が行われている方丈のようす
①境内案内図
②座禅会入口の本坊
③方丈の説明板
慶長4年(1599)恵瓊が安芸の安国寺の方丈を移建したもの。
④本尊の十一面観音菩薩坐像について
⑤方丈の扁額
⑥警策
⑦座禅会が始まる前のようす
襖絵は海北友松の作品。
⑧方丈前庭「大雄苑」の方向
方丈前には白砂に緑苔と巨石を配置した「大雄苑」という大きな枯山水庭園が広がっている。
⑨「潮音庭」
建仁寺の本坊と渡り廊下に囲まれた四角の区画に造られた庭園。中央に三尊石を、その東に座禅石を配し、その周囲に紅葉を加えた枯淡な四方形の禅庭。
⑩「○△□乃庭」
単純な三つの図形は、宇宙の根源的形態を示し、密教の6大思想(地水火風空識)を象徴したものとされる。
4 沿革
・臨済宗建仁寺派大本山。寺号「東山」。本尊は東福門院寄進の十一面観音。
・鎌倉時代の建仁2年(1202)、臨済宗の開祖の栄西禅師により中国の百丈山を模して創建され、寺名は年号から名付けられた。日本最古の禅寺といわれる。
・その後、円爾弁円、蘭渓道隆が住んだことで、禅宗寺院として確立し、室町時代には、京都五山の第三位を占めるに至った。
・応仁の乱による焼失の他、たびたびの火災にあい、現在の建物の多くは、江戸時代以降に復興されたもの。
・多くの詩文芸術に秀でた禅僧を輩出ことから「学問面」と呼ばれた。
・高台寺や、「八坂塔」のある法観寺は建仁寺の末寺。
・最盛期には、塔頭は約60ほどあったが、現在は14ヶ寺。
5 寺宝
①「紙本金地著色風神雷神図」
・俵屋宗達の代表作。
・二曲一双屏風。金箔が張られ、右に風神、左に雷神が描かれている。
・京都国立博物館に寄託。
②「山水図」「花鳥図」「龍雲図」「紙本墨画竹林七賢図」
・海北友松によって描かれた方丈の障壁画。
・京都国立博物館に寄託。
③「生々流転」「松韻」「伯楽」「深秋」
・橋本関雪によって描かれた現在の方丈にはめられている襖絵。
|
京の年中行事・祭・イベント
[ リスト | 詳細 ]
京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
|
祇園祭の山と鉾(第2回 南観音山)
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
1 山鉾巡行(17日)の順番と南観音山
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
なお、南観音山は、「くじ取らず」のうちの一つで、全32基の山鉾のうちで最後に巡行する曳山です。
2 南観音山
①場所
中京区新町通錦小路上ル百足屋町
②説明
・「下り観音山」といわれ、江戸時代は、北観音山と隔年交替で巡行していたが、明治以来毎年出ることになり、後の祭の最後をしめくくる。
・おまつりしてある楊柳観音は、天明の大火(1788年)で像の頭部以外は焼失してしまい、頭部以外は補修されたもの。そのため、像は宝冠をかぶりながら坐像というかたちになっている。
・楊柳観音の横で合掌している善財童子像は江戸時代の作。
・真木には松を用い、その下から二段目の枝に鳩が止まっている。
・南観音山だけにある行事、「あばれ観音」は、宵山の深夜に、御神体の楊柳観音を神輿にくくりつけて揺らしながら、保存会がある町内を3周するというものだが、そのいわれは定かではない。(フリー百科事典「ウィキペディア」より)
③宵山のようす(2009年撮影)
|
|
祇園祭の山と鉾(第1回 長刀鉾)
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
1 山鉾巡行(17日)の順番と長刀鉾
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
なお、長刀鉾は、「くじ取らず」で先頭を進む唯一の稚児が乗る鉾です。
2 長刀鉾
①場所
下京区四条通東洞院西入ル。
②説明板
・鉾先に大長刀をつけていることから「長刀鉾」と呼ばれている。
・長刀には疫病邪悪を払う故事が多く残り、もとは名刀剣工三条小鍛冶宗近が、娘の病気平癒を祈願して八坂神社へ奉納したものといわれる長刀が使われていたが、現在は宝物として保存され、軽い木製に銀箔を張った模造品が用いられている。
・長刀鉾は古来より「くじ取らず」で、毎年巡行の先頭に立ち、四条麩屋町では、長刀鉾稚児による「注連縄(しめなわ)切りが行われる。
・真木は全長20mあり、長刀の正面は八坂神社や内裏を向かないように、南向きに向けられている。
・現在、生稚児が乗る唯一の鉾である。
③宵山のようす(2009年撮影)
④巡行のようす
・御池通
・新町通
⑤ちまき
4 祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
|
|
夏越祓の茅の輪くぐりと「水無月」
京都では、一年間の折り返しにあたる6月30日に、1月から6月までの半年間の罪の穢れを祓い、残り半年を無事に過ごせるようにと神に祈る「夏越祓」の神事が多くの神社で行われます。
京都の主な神社では6月の早いところは中旬頃から大きな「茅の輪」を社頭に飾ります。
昔からその茅の輪をくぐると無病息災・悪厄退散になると伝えられています。
また、京都では、茅の輪をくぐった後は、厄払い・疫病除けに和果子「水無月」を食べるのが習わしになっています。
「水無月」はういろうに小豆をのせ、三角形に切り取られたお菓子で、その上に乗せてある小豆には悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。
1 茅の輪くぐり
輪の中のくぐり方は昔から、左まわり、右まわり、左まわりと八の字に3回通るとされています。
昔から、茅の輪をくぐることで半年間の罪や穢れを払い、残り半年の無病息災・悪厄退散などを祈願し、無事に過ごせるようになると伝えられています。
①護王神社
②上賀茂神社
③今宮神社
2 「水無月」
茅の輪をくぐった後は、京都では昔からまじないとして「水無月」という、白ういろうに小豆をのせ、三角形に包丁された菓子を食べるという習慣があります。
その意味は、水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。
|
|
上御霊神社の御霊祭
上御霊神社は、昔から京都に暮らす人たちから「御霊さん」、「上御霊さん」と親しみをこめて呼ばれている神社です。
上御霊神社の正式名は「御靈神社」であり、「上御霊神社」という社名は寺町丸太町下るにある下御霊神社に対応するもので、呼び分けるときに使うものとされています。
祭神は現在では、祟道天皇(早良親王)、井上内親王、他戸親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麿、吉備真備、火雷神、小倉實起、小倉公連、典侍局、小倉季伴、菅原和子の十三柱の神霊が祀られています。
これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社であるとされています。つまり、怨霊を鎮めるため、神として祀れば「御霊」として鎮護の神となるという信仰です。
こうした鎮護の儀式として宮中、市中で行われたのが御霊会であり、御霊祭でした。
例祭の御霊祭は明治までは8月18日(旧暦)に行われていましたが、現在では5月18日(新暦)に行われています。
御霊祭は京都(洛中)で最も古い祭りと言われています。
なお、前日の夜には境内には露店が出て、多くの近所の子どもたちでにぎわいます。
5月18日は正午頃から、出町周辺のグループである「今出川口」、「末廣」そして「小山郷」の地域の担ぎ手によって、神輿三基がそれぞれの町中一帯を練り歩きました。
現在の京都御苑内には、公家町だった江戸時代から神輿が巡行していましたが、御苑内の巡行は明治時代に途絶え、その後、平成21年(2009)に140年ぶりに復活しました。
今年も三基の神輿が京都御所の北側にある朔平門前で、国家安泰と天皇家のご繁栄を願い、宮司と担ぎ手全員が一礼後差し上げをしました。
この御霊祭に「都草」の池田さんが「小山郷」地域の神輿の担ぎ手の一人として参加し、多くの写真を撮影してきましたので、ご了解のもとご紹介します。
御所の朔平門前の写真など、祭りの参加者だからこそ撮影できた貴重な写真もありま す。
1 前夜(5月17日)夕方の境内
・沢山の露店 境内は、子供たちでにぎわいます。
・拝殿内に鎮座している神輿など
・社殿
2 御霊祭
・拝殿から御輿の担ぎ出し行う
・本殿前の御輿
・沿道で御輿を待つ人たち
・比叡山と神輿
・御所の朔平門前
・旧桂宮邸前
・出町商店街
京都のお祭りはどれも奥の深い、素晴らしいお祭りばかりです。
|





