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京の年中行事・祭・イベント

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やすらい祭

やすらい祭
 
 
やすらい祭は、京都で桜の花が散る頃に、古くから行われてきたお祭りです。
 
4月の第2日曜日、紫野でたまたま玄武神社のお祭りの行列に出会ったので、踊りのようすを見て、花傘の下に入れていただき、今年一年の無病息災を祈願することができました。
 
 
 
1 やすらい祭について
 
フリー百科事典「ウィキペディア」には、次のような記載があります。
 
(1)概要
「夜須礼(やすらい)」「鎮花祭」「やすらい花」ともいう。1987年(昭和62年)に、国の重要無形民俗文化財に指定されており、地域に根差した民俗行事として、鞍馬寺の鞍馬の火祭、広隆寺の太秦の牛祭とともに京都の三大奇祭の一つに数えられている。次のような言い伝えが有名である。
 
・「祭の日が晴れれば、その年の京都の祭事はすべて晴れ、雨ならばすべて雨が降る」
 
・「桜や椿などで飾られた花傘に入ると、一年間健やかに過ごせる」
 
・「初めてこの祭りを迎える赤ん坊は、花傘に入ると、一生健やかに過ごせる」
 
平安時代後期、洛中に疫病や災害が蔓延し、京都の人々を大いに悩ませた。天変地異はすべて御霊(怨霊)の所業と考えられていた当時、これらを鎮めるために各所で御霊会(ごりょうえ)が営まれた。疫神の託宣により、今宮神社が創祀されたと伝えられる。社伝によると、桜の散り始める陰暦3月に疫病が流行したので、花の霊を鎮め、無病息災を祈願したのが祭りの起こりという。
 
現在は、今宮神社(紫野今宮町)、玄武神社(紫野雲林院町)、川上大神宮(西賀茂南川上町)、上賀茂(上賀茂岡本町)の4つのやすらい踊保存会によって伝承されている。
 
 
(2)祭事の流れ
毎年4月の第2日曜日(上賀茂のみ、葵祭と同じ515日)に行われる。花傘を先頭に、風流(ふりゅう)の装いを凝らして、鉦(かね)や太鼓をたたき、踊りながら氏子区域をくまなく練り歩く。最後に神社に参拝して、無病息災を祈願する。囃(はや)したり踊ったりするのは、豊かな稲の実りを祈るとともに、花の精にあおられていたずらをして回る疫神を、踊りの中に巻き込んで鎮めるためといわれている。
 
祭の行列は、「練り衆」と呼ばれる。旗、榊台(さかきだい)、唐櫃(からびつ)、鉾、御幣(ごへい)などの後に、花傘を先頭に20名ほどの踊りの一団が続く。この一団には、世話役のほかに、間鼓(子鬼)、大鬼(鉦、太鼓)、囃子方(笛)がおり、赤毛・黒毛の鬼たちが、笛や太鼓のお囃子(はやし)に合わせて、長い髪を振り乱しながら、「やすらい花や」の掛け声とともに踊り、練り歩く。
 
小学3年生までは「子鬼」、もう少し上の学年になると「囃子方」を担当する。中学、高校生になると「大鬼」になって、鉦や太鼓をたたきながら踊る。保存会では、こうした子供たちの先輩が,踊りや囃子の手ほどきを行い、代々伝承してきた。
 
この行列は、朝から夕方まで練り歩く途中で、橙色の布を軒先に垂らした家の前で止まって踊りを披露する。このときには、皆が競って花傘に入って、悪霊退散と無病息災を祈願する。町内ごとに休憩所(床几)が設けられており、歩き疲れ、踊り疲れた一団の労がねぎらわれる。
(以上、フリー百科事典「ウィキペディア」より引用)
 
 
(3)毎年4月の第2日曜日に行われているわけ
この行事は、春の花が飛び散るときに、悪霊や疫神も同時に飛び散って人々を悩ませるという言い伝えから、この疫神を鎮めるために行われた鎮花祭(花しずめのまつり)の意味合いを持っている。
 
無病息災(健康で長生き)を願い、行列の花傘に入ることによって、悪霊を取り去り、疫病にかからないとされ、疫神は、そのまま神社に封じ込めるといういわれがあり、また、のちに稲の花が早く飛び散らないようという豊作を願う意味合いも加わり今日まで伝わっている。(玄武神社HPより引用)
 
 
 
(4)玄武やすらい祭
現在は、紫野・柏野・鳳徳の3小学校区(計102町内)にわたる広い氏子区域を対象として行われている。
 
 
●氏子地域を囃し踊り練り歩く行列(練り衆)
 
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●赤毛・黒毛の大鬼、小鬼たちが、笛や太鼓のお囃に合わせて、長い髪を振り乱しながら、「やすらい花や」の掛け声とともに踊る
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●休憩中のようす
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 やすらい祭は古く平安・鎌倉時代に起源を持つとも言われ、京都に暮らす人たちが地域に根ざしたお祭りとして、大切に守り、伝えてきてました。
 
 これからも長く伝えていただきたいと願わずにはいられません。
 
 
  
泉涌寺即成院と二十五菩薩お練供養法会
 
   
即成院は真言宗泉涌寺派総本山である泉涌寺の塔頭の一つで、泉涌寺への坂を上る途中にある総門手前の左側にあります。
 
寺伝によれば、その始まりは寛治元年(1087)に、藤原頼通の子で歌人、風流人として知られる橘俊綱の伏見の山荘に、持仏堂として建立されたもので、伏見寺または即成就院と称したといい、その後、豊臣秀吉の伏見城築城にともない大亀谷(現在の伏見区深草大亀谷)に移転させられ、さらに明治初年の廃仏毀釈などによる変遷を経て、現在に至っています。
 
即成院は毎年10月第3日曜日に行われる「二十五菩薩お練供養法会」の行事で知られています。
 
今年は1017日に「二十五菩薩お練供養法会」が境内で行われ、大勢の参拝者が訪れていました。
 
当日のお練供養のようすです。
(写真提供は「都草」の池田さんです)
 
 
 
 
2 二十五菩薩お練供養法会
毎年10月第3日曜に行われ、参詣者で賑わう。

即成院の本尊阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩が極楽浄土の世界から現世に来迎し、衆生を救済して現世から極楽浄土の世界へ導かれる教えを具体化した仏教行事。
 
本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見立てて、その間に架けられた長さ約60m、高さ約2mの橋(来迎橋)が架けられる。
 
来迎橋の上を、阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に菩薩に仮装した25人の信徒らをはじめ、きらびやかな金襴装束をまとい、金色の面で菩薩に扮した稚児ら二十五菩薩の行列が、来迎和讃に合わせて、本堂から地蔵堂へ、地蔵堂から本堂へと練り歩く。

還列後は、本堂(極楽浄土)で観世音菩薩・大勢至菩薩・普賢菩薩による極楽の舞が行われる。
 
 
<法会のようす>
①来迎橋と本堂
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②本堂(極楽浄土)から地蔵堂(現世)へ
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③地蔵堂(現世)から本堂(極楽浄土)へ
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 先頭は大地蔵菩薩
 
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④極楽の舞
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3 ふだんの日の即成院境内
 
①山門
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②山門から見た地蔵堂
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本堂
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④伝・那須与一の手洗い所
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⑤伝・那須与一の墓
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 本堂の裏には、屋島の合戦で知られる源義経の臣・那須与一宗高の墓と伝える平安末期の石造宝塔が祀られている。
 
『願いが的へ』
願い事を扇に書いて祈願する参詣者も多い。。
 
 
4 木造阿弥陀如来像および二十五菩薩像(重文)
・山門脇の看板
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・阿弥陀如来を中心とする計26体の群像で、本堂内のひな段状の仏壇に4段に分けて安置されている。

・阿弥陀如来の左右には亡者を乗せるための蓮台を捧げ持つ観音菩薩像と合掌する勢至菩薩像が位置し、その他の23体の菩薩像の多くは楽器を演奏する姿で表わされる。

・阿弥陀如来と25体の菩薩が、亡者を西方極楽浄土へ導くさまを表現したもので、等身大の立体像で表わしたものは珍しいとされる。

26体のうち、阿弥陀如来像を含む11体のみが平安時代の作で、残りの15体は江戸時代の補作であるが、平安彫刻の様式を忠実に模して作られたと伝える。 
 
 
5 沿革
・縁起によれば寛治元年(1087)に、藤原頼通の子で歌人、風流人として知られる橘俊綱の伏見の山荘に、持仏堂として建立されたもので、伏見寺または即成就院と称した。

・文禄3年(1594)、豊臣秀吉の伏見城築城にともない、大亀谷(現在の伏見区深草大亀谷)に移転させられた。

・明治初年の廃仏毀釈により明治5年(1872)にいったん廃寺となり、仏像(本尊諸尊)は当院の本山である泉涌寺の仮堂に移された。

・明治20年(1887)に泉涌寺大門付近に仮堂が建設されてようやく復興し、明治32年(1899)には泉涌寺塔頭の法安寺と合併、明治35年(1902)には、大門前から総門近くの現在地に移された。

・明治44年(1911)には阿弥陀如来及び二十五菩薩像が「法安寺」の所有として重要文化財(当時の国宝)に指定された。

・昭和16年(1941)、「即成院」の寺号が復活。  
   
 
6 京都検定の出題歴
平成19年度2
【問】
「藤原頼通の子で「伏見長者」と称された(  )も山荘を営んだが、山荘の傍らにあった光明院を持仏堂として阿弥陀如来と二十五菩薩を安置したという。この寺を起源とするのが(  )であり、現在は泉涌寺の塔頭となっている。」
 
【正解】橘俊綱、即成院


7 練習問題
(1)( 1 )ゆかりの泉涌寺の塔頭。

(2)沿革
正暦3年(992)、源信が伏見に建てた光明院を、寛治年間(10871094)に藤原頼道の子、橘俊綱が伏見の山荘に持仏堂として移し、阿弥陀如来と二十五菩薩像を安置し、即成就院と称したのがはじまりと伝わる。明治35年に現在地に移転。

(3)本尊は阿弥陀如来。本尊と( 2 )は藤原時代の作で重文。

(4)( 3 )
10
月第3日曜におこなわれる。

(5)那須与一の墓
本堂の裏にある。
 
【正解】
1
那須与一
2
二十五菩薩坐像
3
二十五菩薩お練り供養法会
 
伏見稲荷大社の本宮祭(もとみやさい)
 
 
伏見稲荷大社は、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮であり、奈良時代の和同4年に秦氏が稲荷山上に創始し、後にこの地に社殿が造営されたといわれています。
 
昔から五穀豊穣、家業繁栄の神として庶民の深い信仰を集めてきましたが、現在では特に商売繁盛の神として信仰を集めています。
 
こうした伏見稲荷大社で、毎年7月土用入後初の日曜又は祝日に本宮祭が行われ、宵宮祭には涼を求めて多くの人たちが訪れます。
 
<今年の日程>
2010724日〜25

宵宮祭 2418:00
 
本宮祭 259:00
 
 
伏見稲荷大社のHPには、「稲荷大神のご分霊を祀る全国の崇敬者が総本宮に参拝し、日々の御神恩に感謝する大祭」と書かれています。
 
本宮祭の前日の夜には宵宮祭が行われます。
 
稲荷山をはじめ境内の全域に散在する石灯籠や数千個もの献納提灯に灯を点す「万灯神事」が行われます。
 
両日とも外拝殿及びその周辺で日本画家などの奉納による数多くの行灯画が展示され、境内は幻想的な雰囲気が漂います。
 
また、境内の大広場では本宮踊りが行われ、涼を求めて多くの参拝者で賑わいます。
 
写真は24日の夜の伏見稲荷大社の宵宮祭のようすです。
 
数多くの献納提灯や行灯画が並ぶようすは、情緒があり、とても印象的です。
 
・数多くの献納提灯に灯りが灯る境内のようす
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・数多くの行灯画が並ぶ
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・夜店
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・売店
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・料理屋の店先
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祇園祭山鉾巡行 「長刀鉾」
 
 
祇園祭のクライマックス、山鉾巡行は今年も717日に行われました。
 
昨年、ユネスコ無形文化遺産に登録されて初めての山鉾巡行は、梅雨明け翌日の真夏の太陽の下、大勢の見物客が訪れていました。
 
そのときのようすについて、撮影した写真をもとに、山や鉾の特徴などを振り返ってみます。
 
今回は、巡行の先頭を行く「長刀鉾」です。
 
 
1 長刀鉾について
①場所
下京区四条通東洞院西入ル。
 
②説明板
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・鉾先に大長刀をつけていることから「長刀鉾」と呼ばれている。
 
・長刀には疫病邪悪を払う故事が多く残り、もとは名刀剣工三条小鍛冶宗近が、娘の病気平癒を祈願して八坂神社へ奉納したものといわれる長刀が使われていたが、現在は宝物として保存され、軽い木製に銀箔を張った模造品が用いられている。
 
・長刀鉾は古来より「くじ取らず」で、毎年巡行の先頭に立ち、四条麩屋町では、長刀鉾稚児による「注連縄(しめなわ)切りが行われる。
 
・真木は全長20mあり、長刀の正面は八坂神社や内裏を向かないように、南向きに向けられている。
 
・現在、生稚児が乗る唯一の鉾である。
 
 
2 宵山
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3 巡行する長刀鉾
 
①河原町通
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②新町通
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 見送は中国、明の頃の雲龍図綴錦。
 
 
3 祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
 
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
 
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
 
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
 29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
 
 31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
 
 
4 巡行の順番
 17日の巡行の順番は、今年も72日に京都市議会議場で行われた「くじ取り式」で決まりました。「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 鉾のうちで、「くじ取らず」は長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾であり、この月鉾は、今年は17番目に巡行しました。
 
長刀鉾は、「くじ取らず」で先頭を進む唯一の稚児が乗る鉾です。
祇園祭山鉾巡行 「霰(あられ)天神山」
 
 
717日に行われた祇園祭の山鉾巡行のようすについて、撮影した写真をもとに、山や鉾の特徴などを振り返ってみます。
 
 17日の巡行の順番は、今年も72日に京都市議会議場で行われた「くじ取り式」で決まりました。「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 霰天神山は、今年は6番目に巡行しました。
 
なお、今年の「山一番」は、「孟宗山(もうそうやま)」でした。
 
 
1 霰天神山について
 
①場所 
中京区錦小路通室町西入天神山町
 
 
②説明板
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錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除(ひよけ)天神山」とも呼ばれる。
 
永正年間(15041520京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り、猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約36cm)の天神像が降って来たため、祀ったのがこの山の起こりという。
 
・山の上には鳥居と朱塗りの廻廊をめぐらし、中央に梅の枝と唐破風春日造の神殿を安置する。
 
・前懸は16世紀にベルギーで製作されたイーリアス物語を描いた毛綴れを用いてきたが、平成21年、復元新調した。
 
 
なお、天明、元治の大火でこの山だけは無事だったことから、宵山には「火伏せ、雷除け」のお守りを出している。
 
 
3 宵山
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・新調した前懸、後懸。
 
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4 新町通を巡行する霰天神山
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