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三十三間堂と「楊枝(やなぎ)のお加持」と「通し矢」
三十三間堂は、七条大橋を東山方向に渡って七条通を300mほど歩くと、京都国立博物館の向かいにあります。
三十三間堂という名称は、この建物が南北に118mもの長大なお堂でお堂正面の柱間の数が33あることから呼ばれている通称名で、正式名は、蓮華王院といいます。
堂内には大仏師、湛慶による丈六の千手観音坐像(国宝)を中心に千一体もの観音像(重文)とともに、風神・雷神、観音二十八部部衆という三十体の仏像(国宝)が安置されています。
ここで、今日、1月15日に、本堂西側で、広く「通し矢」と呼ばれる弓道大会が行われ、堂内では、「楊枝(やなぎ)の御加持」という無病息災と厄除開運を祈願する行事が行われました。
・三十三間堂
今日は、境内・堂内とも無料開放され、千手観音の並ぶ堂内には大勢の人が参詣に訪れ、高僧から祈祷された浄水を楊枝(やなぎ)の小枝で頭に振りかけていただいていました。
2 境内のようす
●本堂
本堂は南北に118mあり、総檜造りで木造建築では世界一の長大なお堂。お堂正面の柱間の数が33あることから、広く「三十三間堂」と呼ばれています。
晴着姿の若者たちで、境内は華やいでいました。
・境内の様子
・三十三という数字
観音の慈悲が33相に示現するということにちなんだもの。苦難に遭遇した衆生を救済するため、観音菩薩は苦難に応じて33の姿に変身するとし、柱間の数もこれにあわせたもので、また観音霊場が三十三所となっているのもこれによるもの。
●「楊枝(やなぎ)のお加持」
新春早々、お加持を受けて観音さまのご利益をいただこうと、毎年大勢の人が訪れます。
この日は、800年もの歴史がある楊枝(やなぎ)のお加持を受けることと、堂内に無料で入れることが、ラッキーということで、毎年この日はここにお参りに行くことにしています。今日は、後白河法皇にあやかって、頭痛平癒を祈願して、古い歴史があるというお守りもいただきました。
・頭痛平癒のお守り
●「通し矢」
全国的に有名な「通し矢」は、正式には「大的全国大会」といいます。
参加者は、新成人の男女(それぞれ約900名)と称号(錬士・教士・範士)を持っている者(約200名)に分れて行われます。 なお、来年、平成24年の大的全国大会・楊枝のお加持は、1月13日(日)に行われます。
3 本堂内の仏像
●千手観音坐像(国宝)
・お堂の中央に安置された像高約3m、檜材の寄木造の坐像。 ・鎌倉時代の再建期に大仏師、湛慶が弟子を率いて完成させたもの。 ●千一体の千手観音立像(重文)
●風神・雷神(国宝)
・インド最古の仏典「リグ・ヴェーダ」に登場する神で、自然現象を神格化したもの。
・仏教では、仏教を守るとともに、勧善懲悪、風雨を整える神とされる。
●観音二十八部衆像(国宝)
・多くは古代インドに起源をもつ神々で、千手観音に従い仏教とその信者を守るとされる。
・檜材の寄木造、玉眼を用いた像で、鎌倉彫刻の傑作とされる。 4 庭園
●蓮華王院と法住寺殿址、方広寺の名残
①法住寺殿址の碑(庭園の一角にある)
・かつて、このあたり一帯に後白河上皇の離宮「法住寺殿」が営まれていた。
・平清盛により、法住寺殿内の一画に蓮華王院が建立された。
・その後、木曽義仲の焼き打ちにより焼失。蓮華王院は1249年に焼失したが、直ちに復興に着手し、文永3年(1266)に現在の本堂が再建された。
・豊臣秀吉が蓮華王院の北側に方広寺を建立し、蓮華王院は方広寺の寺域に取り込まれた。その名残として方広寺の南大門と太閤塀(ともに重文)が残っている。現在、太閤塀は蓮華王院の塀となっている。
②法然塔(名号石)
④夜泣泉
お堂創建の翌年(1165年)に、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという「霊泉」で、古今著聞集には「いつも冷たく美味しくて、飲んでもお腹を痛めることのない“極楽井”で、どんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ」と記されている。
夜のしじまに水の湧き出す音が人の“すすり泣き”に似ることから、“夜泣き“泉といわれるようになり、いつ頃からか傍らに地蔵尊が奉られ、特に幼児の「夜泣き封じ」に功徳があるとして、お地蔵さんによだれかけを奉納し、かわりに古いよだれかけをもらって帰り、子どもの枕に敷くと子供の「夜泣き」が治ると言われ、今もその御利益を求める参拝者が続いているといいます。
5 沿革
<説明板>
・現在は天台宗妙法院の管理になるお堂で、正式には蓮華王院といい、長寛2(1164)、鳥辺山麓(現・阿弥陀ヶ峰)にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造営した。
・一度焼失したが、直ちに復興に着手し、文永3年(1266)に現在の本堂が再建され、その後4度の大修理を経て現在に至る。
・長大なお堂は「和様入母屋造り本瓦葺」で、南北に118m、お堂正面の柱間の数が33あることから、「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中心に千一体もの観音像(重文)とともに、風神・雷神、観音二十八部部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られている。
・境内の南大門と太閤塀は豊臣秀吉ゆかりの建造物(重文)。
・毎年正月に行われる「通し矢」にちなむ弓道大会は、京都の風物詩になっている。
6 練習問題
(1)正式名「( ① )」。
(2)本尊:千手観音。
(3)「三十三間堂」の名前の由来
本堂の母屋正面の柱間の数が33あること。 (4)沿革
①長寛2年(1164)に( ② )の勅願によって建立。 ②天正14年、豊臣秀吉が( ③ )を創建した際、その千手堂となる。 ③秀吉没後は方広寺とともに、( ④ )の管理下に置かれた。 (5)本堂
国宝。院政期における浄土教寺院の( ⑤ )堂の典型。( ⑥ )時代和様の代表的遺構。 (6)南大門、( ⑦
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京の年中行事・祭・イベント
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京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
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泉涌寺(泉山)七福神めぐりと来迎院
来迎院は泉涌寺の塔頭で、泉涌寺の北側の出入口の近くに、石標と案内板があります。
毎年成人の日に泉涌寺山内で行われる恒例の泉涌寺(泉山)七福神めぐりが、今年は1月9日にありました。
スタートは即成院(福禄寿)で、二番の戒光寺(弁財天)、番外の新善光寺(愛染明王)、西国札所になっている観音寺(恵美須神)をまわって、次は来迎院です。
・泉涌寺(泉山)七福神めぐりのポスター
・来迎院の案内板
来迎院は、寺伝によれば、空海(弘法大師)が大同元年(806)に唐で感得した荒神像を安置して開創し、その後、藤原信房が泉涌寺第四世月翁和尚に帰依して諸堂を整備したと伝えています。
荒神堂に安置する荒神坐像は「ゆな荒神」と呼ばれて信仰され、荒神堂のかたわらにある独鈷水の井戸は、弘法大師が独鈷(仏具の一種)をもって、うがったと伝えています。
なお、来迎院は大石良雄が山科に浪宅を構えたころ、寺請証文を当院からうけた関係もあって、赤穂義士に関する遺品を蔵し、茶席含翠軒、勝軍地蔵尊はそれぞれ大石の寄進あるいは念持仏といわれ、他に大石良雄の画像などを伝えています。
大石良雄は、討ち入りまでの間、ここを隠遁場所の一つとし、茶室を自ら建造し、吉良邸討入りの密談をしたと伝えています。
また、来迎院は泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所となっており、今年も七福神めぐりでは大勢の参拝客が訪れましたが、この日は大石内蔵助ゆかりの茶室「含翠軒」と庭園「含翠庭」の公開はお休みでした。
※場所↓
1 境内
●山門
小川にかかった石橋をわたると山門があり、そこから石段上の荒神堂が見える。
●山門から見た境内
・布袋尊を安置する本堂への道
・本堂
・布袋尊
●庫裏
※庭園「含翠庭」
忠臣蔵で有名な元赤穂藩家老大石良雄(内蔵助)が討ち入りまでの間、隠遁場所のひとつとしたところで、茶室を自ら建造し、吉良邸討入りの密談をしたと伝える。茶屋の額は内蔵助の筆とされる。
●弘法大師像と祈願の御石
・祈願の御石
●独鈷水
内蔵助は境内に湧き出す名水を気に入っていたという。
●荒神堂
2 沿革
<説明板>
・荒神堂に安置されている本尊の木造荒神坐像とその眷属木造護法神立像五体は、いずれも鎌倉時代の逸品で、重文に指定。荒神坐像は俗に胞衣(えな)荒神と呼ばれ、極彩色の玉眼に唐風の衣冠束帯をつけ、この種の木像では日本唯一のものという。
・荒神堂のかたわらに、弘法大師が独鈷(仏具の一種)をもってうがったと伝えられる名水・独鈷水がある。
・忠臣蔵で有名な大石良雄が山科に浪宅を構えた頃、寺請証文(寺の檀家であることを証明する文書)を当院から受けた関係から、大石の寄進による茶室・含翠軒や大石の念持仏とされる勝軍地蔵尊をはじめ赤穂浪士に関する遺品を多数蔵している。
・含翠の庭と呼ばれる池泉回遊式の庭園は、秋には紅葉がみごと。
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泉涌寺(泉山)七福神めぐりと今熊野観音寺
1月9日に泉涌寺(泉山)七福神巡りが行われました。
一番の即成院(福禄寿)、二番の戒光寺(弁財天)、番外の新善光寺(愛染明王)をまわって、次は西国札所になっている観音寺です。
東大路通から泉涌寺へ向かう参道を上っていくと、泉涌寺大門前の駐車場の手前に左へ折れる道があり、この先に今熊野観音寺があります。
今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭で、正式名は新那智山今熊野観音寺といいます。
平安時代に空海が庵を結び自ら観音像を刻んで安置したのが始まりと伝えられていますが、藤原緒嗣が伽藍を造営したともいわれています。
ここは西国三十三所観音霊場の第15番札所として、さらに中風や頭痛平癒、近年は、ぼけ封じのご利益で信仰を集め、年間を通じて多くの参拝客が訪れます。
また、毎年成人の日に泉涌寺山内の霊場をめぐって参拝する七福神巡りが行われますが、ここ観音寺は恵比須神をまつっており、多くの参拝客が訪れます。当日は、こぶ茶の接待もあります。
※場所↓
1 境内
●鳥居橋を渡って境内へ
●子護大師
「南無大師遍照金剛」を唱えながら、大師像の周りをまわる。
●本堂
≪本堂≫
本堂を正面に見ると、右手に大師堂があり、右側の山上に多宝塔が見える。
本尊は、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩。
後白河法皇の病気治癒の伝説から、本尊は中風や頭痛平癒の観音といわれている。知恵授けでも名高い。
脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天。
ぼけ封じ、頭痛封じ、智恵授けの枕カバー「枕宝布」を授与している。
・「智恵の餅」、「枕宝布」授与
●石造三重塔
創建時のものとされる。
●多宝塔(医聖堂)
●本堂前方にある五智の井(五智水)の前で、こぶ茶の接待
●恵比寿堂とぼけ封じ観音
●鐘楼
●鎮守社「稲荷社」「熊野権現社」
●祈願絵馬
2 代表的な年中行事
●お砂踏法要 9月21日〜23日
今熊野観音寺は西国三十三所観音霊場の第十五番札所であり、ここに、四国霊場八十八ヵ所の全ての砂が敷き並べられ、遍路の行程を一日で巡ることができるとされる。
3 沿革
<説明板>
・空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡年間(854〜857)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。
・伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後復興されて現在に至っている。
本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置。
・寺域は幽静で、郭公鳥の名所として昔から知られている。
・本堂背後の墓地には慈円僧正、藤原忠通、藤原長家の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。
4 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2級 【問】西国三十三箇所巡礼は、平安後期に僧侶の間で始まり、室町後期には一般にも普及した。次のうち札所寺院でないものはどれか。 (ア)長楽寺 (イ)今熊野観音寺 (ウ)清水寺 (エ)善峯寺 【正解】(ア)
(2)平成18年度2級
【問】9月、四国霊場八十八ヵ所の遍路を一度で巡るとされる今熊野観音寺の行事はどれか。 (ア)お練り供養法会 (イ)千日詣り (ウ)お砂踏法要 (エ)六斎念仏 【正解】(ウ)
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泉涌寺(泉山)七福神めぐりと戒光寺のあずき粥
3連休の3日目、成人式でもあった1月9日(月)、京都の泉涌寺では七福神めぐりが行われました。
泉涌寺は東山の月輪山の山麓に寺域が広がり、その中に鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の香華寺、菩提寺として、古来「御寺(みてら)」と呼ばれる皇室との縁の深いお寺です。
泉涌寺(泉山)七福神めぐりは、毎年成人の日に行われ、泉涌寺山内にある次の所をまわります。
《泉涌寺(泉山)七福神めぐり》
・一番 即成院(福禄寿)
・二番 戒光寺(弁財天)
・番外 新善光寺(愛染明王)→敬愛和合
・三番 観音寺(恵比須神)
・四番 来迎院(布袋尊)
・五番 雲龍院(大黒天)
・番外 泉涌寺(楊貴妃観音)→美人祈願
・六番 悲田院(毘沙門天)
・七番 法音院(寿老人)
参拝者は第一番の即成院で求めた福笹に吉兆の授与品を買い求め、笹に付けながら巡拝をしていきます。
なお当日は、通常500円の拝観料が必要な泉涌寺も無料で入ることができます。
また、小豆粥(戒光寺)、こぶ茶(今熊野観音寺)、甘酒(悲田院)など、各塔頭での接待があり、参詣人の長い行列ができます。
この七福神巡りは、今ではすっかり京都の新春の風物詩の一つになっています。
当日、京都では穏やかな晴天に恵まれたので、月末に控えているびわ湖検定合格の祈願もあわせて、七福神めぐりに行ってきました。
今回は七福神第二番、弁財天を祀る戒光寺です。戒光寺は、七福神巡りの第一番の即成院のとなりです。
※場所↓
戒光寺は泉涌寺の塔頭(山内寺院)で、泉涌寺道に面した石段を上って右手に本堂があり、本堂の向かい側に弁財天像を祀った弁天堂があり、泉山七福神の第二番とされています。
●山門
●本堂
●泉山融通弁財天
「金銭の融通をして下さる」弁天様で学芸・商売はもとより「融通を利かせてあらゆるお願いを聞いて下さる。」と信仰が厚く、この尊像は伝教大師最澄の作とされ、いかなる願いも必ず成就させるといわれています。
普段は秘仏とされていますが、この日と11月3日の弁財天大祭当日だけは直接拝むことが出来ます。
●あずき粥の接待
昔から、毎年小正月と呼ぶ1月15日に、あずき粥を食べる風習があり、一年間の邪気を払い、万病を除くと言い伝えられています。
ここでは3000食分が用意されていました。
2 戒光寺の釈迦如来立像
本堂の奥に運慶と湛慶父子の合作と伝える大きな木彫の釈迦如来立像(重文)を本尊として安置しています。
この本尊は鎌倉時代の作とされ、身の丈5.4m、光背と台座を含め約10mであるが、昔は大きな仏像を「丈六」と呼んだことから、「丈六さん」と呼ばれて信仰され、親しまれています。
特に、首から上の病や悪いことの身代わりになってくださる身代わり釈迦と言われています。
かつて、後陽成天皇の皇后のご信仰や後水尾天皇の守護仏としても深く信仰され、再び勅願所となり、「身代わり丈六さん」と呼ばれ、皇室の祈願所として栄えたそうです。
また、京都八釈迦の一つに数えられ、嵯峨清涼寺(嵯峨釈迦堂)、大報恩寺(千本釈迦堂)などとともに、庶民にも深く信仰されています。
鎌倉時代を代表する仏師の運慶と湛慶父子の合作と伝えられる。
身の丈5.4m、下の台座から上の光背部までの高さ約10m。寄木造。
※「身代わり丈六釈迦如来」と呼ばれる由来
「江戸時代初期、後水尾天皇が東宮の時、即位争いが起き、東宮は常に暗殺の影に脅かされていたそうです。とうとうある夜、刺客により寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれたといわれています。東宮の代わりに血を流していたのは当山の丈六釈迦如来像であったそうです。首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれています。」
以上、戒光寺ホームページより引用
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泉涌寺(泉山)七福神めぐりと即成院
三連休の三日目、成人式でもあった1月9日(月)、京都の泉涌寺では七福神めぐりが行われました。
泉涌寺は月輪山の山麓に寺域が広がり、その中に鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の香華寺、菩提寺として、古来「御寺(みてら)」と呼ばれる皇室との縁の深いお寺です。
泉涌寺(泉山)七福神めぐりは、毎年成人の日、泉涌寺山内各塔頭9ヶ所にそれぞれ福神を祀り、一山を巡るだけで七福神めぐりができるということで、大勢の参詣客が訪れます。
《泉涌寺(泉山)七福神めぐり》
七福以外にも、番外として敬愛和合の愛染明王と美人祈願の楊貴妃観音を含めて一緒に参拝し、福笹に吉兆の授与品を買い求め、笹に付けながら巡拝をしていくというもので、七福神めぐりは、京都の新春の風物詩の一つになっています。
なお当日は、泉涌寺も無料で入ることができ、福神の特別開扉のほか、福笹吉兆授与、小豆粥(戒光寺)、こぶ茶(今熊野観音寺)、甘酒(悲田院)など、各塔頭での接待があり、参詣人の長い行列ができます。
まず、第一番は、泉涌寺の総門の左側にある即成院で、ここは、真言宗泉涌寺派総本山である泉涌寺の塔頭の一つで、福禄寿を祀っています。
1 即成院について
※場所↓
寺伝によれば、その始まりは寛治元年(1087)に、藤原頼通の子で歌人、風流人として知られる橘俊綱の伏見の山荘に持仏堂として建立されたもので、伏見寺または即成就院と称したといい、その後、豊臣秀吉の伏見城築城にともない大亀谷(現在の伏見区深草大亀谷)に移転させられ、さらに明治初年の廃仏毀釈と現在地への移転を経て現在に至っています。
本堂の裏には、屋島の合戦で知られる源義経の臣・那須与一宗高の墓と伝える平安末期の石造宝塔が祀られています。
即成院はまた、毎年10月第3日曜日に行われる「二十五菩薩お練供養法会」の行事で知られています。
2 七福神めぐりの日の境内
●泉涌寺総門と即成院山門
●即成院山門前で福笹授与
●境内
●地蔵堂
●那須与一の手洗い所
●本堂前のようす
本堂の奥には、木造阿弥陀如来像および二十五菩薩像(重文)が安置されています。
●お守り
●伝・那須与一の墓入口と与一の墓
本堂の裏には、屋島の合戦で知られる源義経の臣・那須与一宗高の墓と伝える平安末期の石造宝塔が祀られている。
願い事を扇に書いて祈願する参詣者も多い。
3 木造阿弥陀如来像および二十五菩薩像(重文)
・阿弥陀如来を中心とする計26体の群像で、本堂内のひな段状の仏壇に4段に分けて安置されている。
・阿弥陀如来の左右には亡者を乗せるための蓮台を捧げ持つ観音菩薩像と合掌する勢至菩薩像が位置し、その他の23体の菩薩像の多くは楽器を演奏する姿で表わされる。 ・阿弥陀如来と25体の菩薩が、亡者を西方極楽浄土へ導くさまを表現したもので、等身大の立体像で表わしたものは珍しいとされる。
・26体のうち、阿弥陀如来像を含む11体のみが平安時代の作で、残りの15体は江戸時代の補作であるが、平安彫刻の様式を忠実に模して作られたと伝える。
4 二十五菩薩お練供養法会
毎年10月第3日曜に行われ、参詣者で賑わう。
即成院の本尊阿弥陀如来をはじめ二十五菩薩が極楽浄土の世界から現世に来迎し、衆生を救済して現世から極楽浄土の世界へ導かれる教えを具体化した仏教行事。
本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見立てて、その間に架けられた長さ約60m、高さ約2mの橋(来迎橋)が架けられる。
来迎橋の上を、阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に菩薩に仮装した25人の信徒らをはじめ、きらびやかな金襴装束をまとい、金色の面で菩薩に扮した稚児ら二十五菩薩の行列が、来迎和讃に合わせて、本堂から地蔵堂へ、地蔵堂から本堂へと練り歩く。
還列後は、本堂(極楽浄土)で観世音菩薩・大勢至菩薩・普賢菩薩による極楽の舞が行われる。
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