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祇園祭の花傘巡行(2)
2011年7月24日、祇園祭の花傘巡行が行われました。
10余基の花傘をはじめ、子供神輿、祇園太鼓、先斗町と祇園東の舞妓さんたちを乗せた屋台や久世六斎念仏、鷺踊、放下鉾の祇園ばやしなど総勢850人の列が、午前10時に八坂神社を出発しました。
この巡行が始まったのは、祇園祭の山鉾巡行はかつて17日の先祭(さきのまつり) の山鉾20基巡行と24日の後祭(あともまつり)の山巡行9基に分かれていたのが、交通事情により、17日に統一されたことから、山鉾の古い形態を現代に再現するねらいで、代わりに花傘巡行がはじめられたと説明されています。
花傘巡行は女性が中心の巡行で、花車などもあり、とても華やかな行列でした。
この巡行は、四条通から河原町通、寺町通を回って、約2時間かけて八坂神社に戻ってきました。
7月24日10:00八坂神社前。花傘巡行の続きです。
①花傘娘
②花傘巡行・先斗町
③花傘巡行・祇園東
③祇園万灯会
④さぎ踊り
⑤万灯踊
⑥放下鉾 祇園ばやし
⑦四条通を西へ向かう巡行列
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京の年中行事・祭・イベント
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京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
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祇園祭の花傘巡行(1)
2011年7月24日、祇園祭の花傘巡行が行われました。
10余基の花傘をはじめ、子供神輿、祇園太鼓、先斗町と祇園東の舞妓さんたちを乗せた屋台や久世六斎念仏、鷺踊、放下鉾の祇園ばやしなど総勢850人の列が、午前10時に八坂神社を出発しました。
この巡行が始まったのは、祇園祭の山鉾巡行はかつて17日の先祭(さきのまつり) の山鉾20基巡行と24日の後祭(あともまつり)の山巡行9基に分かれていたのが、交通事情により、17日に統一されたことから、山鉾の古い形態を現代に再現するねらいで、代わりに花傘巡行がはじめられたと説明されています。
花傘巡行は女性が中心の巡行で、花車などもあり、とても華やかな行列でした。
この巡行は、四条通から河原町通、寺町通を回って、約2時間かけて八坂神社に戻ってきました。
7月24日10:00八坂神社前。花傘巡行がスタートしました。
①子供神輿
②花傘巡行・神饌行列
③祇園太鼓
④花車
⑤金獅子、銀獅子
⑥大きな幌を背負った幌武者
⑦児武者
⑧お稚児さん
⑨久世六斎花傘と六斎念仏
以下、花傘巡行(2)に続きます。
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祇園祭の山と鉾(第22回 綾傘鉾)
京都の祇園祭は、八坂神社の祭礼で、その起源は平安時代に疫病や災厄の除去を願って始められた祇園御霊会にさかのぼる長い歴史があります。
祭りは7月1日の吉符入から31日の疫神社夏越祭まで、1か月間にわたりさまざまな行事が行われますが、なかでも17日の山鉾巡行とその前に行われる宵山、17日の夕方に行われる神幸祭の御輿渡御が有名で、大勢の人が訪れます。
このブログでは、これまで17日に巡行が行われた32基のそれぞれの山や鉾について、特徴と宵山や会所の飾りなどを振り返ってきました。
今回は、今年15番目に巡行した綾小路通新町東入にある綾傘鉾(あやかさぼこ)です。
1 綾傘鉾
長い柄のついた綾傘を人が手に捧げもって巡行する傘鉾で、山鉾の中でも古い形を残しているといわれています。
大きな2つの傘の前を赤熊(しゃぐま)という赤く長い髪を付けた棒振りと、太鼓や笛に合わせて踊るお囃子の行列が特徴です。
棒振り囃子には、疫病退散の意味が込められているそうです。
また、今宮神社の「やすらい花」と同じく疫病退散を祈願する平安朝以来の風流踊の伝統を今に伝えるものとされています。
なお、綾傘鉾は、祇園祭中の会所を町内に鎮座する大原神社に置いています。
①場所
下京区綾小路通新町東入善長寺町
②説明
③巡行前日のようす
綾傘鉾に描かれている「飛天の図」を見て、どこかで見た絵に似ていると感じた方も多いのでは、と思います。
この絵の元絵は、伏見区にある国宝の法界寺阿弥陀堂の壁画です。
④大原神社にある会所内のようす
⑤巡行中の綾傘鉾
・綾傘鉾のお稚児さん
6人が徒歩で参加。長刀鉾と同様に生身の人間が稚児となっている。
・棒振り
・綾傘
2 祇園祭
(1)由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
(2)主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
●「くじ取り式」
・巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていた。
・「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ない、先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てた。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
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祇園祭の山と鉾(第21回 油天神山)
京都の祇園祭は、先週の日曜日の17日に山鉾巡行と夕方には神幸祭が行われ八坂神社を出発した3基の神輿が市内の氏子地域を練り歩きました。
今日は花傘の巡行が行われます。
ここでは、先週巡行を行った32基の山鉾のうち、油天神山についてご紹介します。
油天神山は、今年の山鉾の巡行では、函谷鉾についで、6番目に巡行しました。
油天神山は油小路通綾小路下ルにあり、その由来は次のように伝えられています。
町内の公家・風早家の屋敷に祀られていた天神像(菅原道真)を勧請して建てられた山で、これが町名(風早町)の由来といわれ、油小路通にあるところから油天神山とも、また、勧請の日が丑の日だったため、牛天神山(うしてんじんやま)とも呼ばれています。
宵山では御神体の菅原道真にちなんで、進学成就のお守りと絵馬が授与されます。
朱塗りの鳥居と紅梅、綴織の見送りが有名な山です。
①説明板
②場所
下京区油小路通綾小路下ル風早町
③宵山の飾り
④巡行する油天神山
・2010年
・2011年
●祇園祭の由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
●祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
●山鉾巡行(17日)の順番
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
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祇園祭・屏風祭のようす
京都では祇園祭の山鉾巡行が行われる3日前から宵山が始まり、このときにこれまで祇園祭を支えてきた京の町衆の旧家・老舗では、秘蔵している絵画や工芸品を飾り、祭り見物に来た人々に公開します。これが通称「屏風祭」と呼ばれているものです。
この期間中、屏風や鎧、小袖など秘蔵の諸道具を飾り、表の格子を外し、外から見えるようにします。こうした習慣は明治以降盛んになったといわれていますが、長年にわたって祇園を支え、発展させてきた町衆たちの財力をかいま見ることができ、この「屏風祭」は、祇園祭の見所の一つと言うことが出来ます。
●屏風祭のようす
・鉾のミニチュアと素晴らしい屏風
・これは、お店の中に並べてあった人形たちです。
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