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祇園祭・神幸祭
京都の祇園祭は、八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入から31日の疫神社夏越祭まで、1か月間にわたりさまざまな行事が行われますが、なかでも17日の山鉾巡行とその前に行われる宵山が全国的に有名で、大勢の人が訪れます。
山鉾巡行が行われた17日の夕方から、大きな神輿3基(中御座、東御座、西御座)が八坂神社の石段下で勢ぞろいし、総勢1000人以上もの法被姿の勇猛な担ぎ手によって各氏子町を通って御旅所に渡る神事が神幸祭で、荒々しく神輿を揺らしたり、差し上げをしたり、この御輿渡御は勇壮豪快で荒々しいことで知られ、祇園祭の大きな見所の一つです。
なお、神輿は御旅所に1週間安置され、24日の還幸祭で八坂神社に戻ります。
また、この御輿が御旅所に鎮座した17〜24日までの間、誰とも言葉を交わすことなく御旅所に七夜参詣すれば、願いが叶うというのが、古くから祇園に伝わる風習で、無言参りといわれるもので、運が良ければ舞妓さんの姿も見られるそうです。
●神幸祭のようす(八坂神社石段下 2011.7.17)
・門川京都市長
・山田京都府知事
神幸祭は観光客にはあまり知られていない、祇園祭のもう一つの顔ですが、地元では、こちらが本来の祇園祭だという人もおり、大変な盛り上がりを見せていました。
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京の年中行事・祭・イベント
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京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
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祇園祭の山と鉾(第20回 岩戸山)
京都の祇園祭は、八坂神社の祭礼で、その起源は平安時代に疫病や災厄の除去を願って始められた祇園御霊会にさかのぼる長い歴史があります。
祭りは7月1日の吉符入から31日の疫神社夏越祭まで、1か月間にわたりさまざまな行事が行われますが、なかでも17日の山鉾巡行とその前に行われる宵山、17日の夕方に行われる神幸祭の御輿渡御が有名で、大勢の人が訪れます。
ここでは17日に巡行が行われた32基のそれぞれの山や鉾について、特徴と宵山や会所の飾りなどを振り返ってみます。
今回は、今年22番目に巡行した岩戸山です。
1 岩戸山
岩戸山は、新町通のいちばん南、船鉾の南側に位置しています。
この山は、天照大神の岩戸隠れの神話に由来した山です。
先の祭では唯一の曳山で、室町時代にはすでに鉾と同じ車輪のついた曳山となっていたと伝えていますが、山であることから松を立てているものの、見かけは鉾と同じように感じられます。
岩と山は、天照大神、脇に手力雄尊・屋根上に伊弉諾尊の三体の御神体を祀り、胴掛は18世紀にインドで製作されたもの、後掛の緞通も名品といわれています。
①場所
下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町
②説明
・『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事に持つ山。
・「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が怒って岩戸に隠れられたため、世の中は暗闇となり、困り果てた八百万神は対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞い、天照大神を招き出したという伝承である。
・この神話に由来し、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の三体のご神体が飾られる。
③宵山のようす
⑤巡行中の岩戸山
2 祇園祭
(1)由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
(2)主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
(3)山鉾巡行(17日)の順番
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
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祇園祭の山と鉾(第19回 蟷螂山)
京都の祇園祭は、八坂神社の祭礼で、その起源は平安時代に疫病や災厄の除去を願って始められた祇園御霊会にさかのぼる長い歴史があります。
祭りは7月1日の吉符入から31日の疫神社夏越祭まで、1か月間にわたりさまざまな行事が行われますが、なかでも17日の山鉾巡行とその前に行われる宵山が有名で、大勢の人が訪れます。
山や鉾は32基あり、その中でユニークなものもいくつかあります。
ここでは蟷螂山をご紹介します。
蟷螂山は、西洞院通を四条から上ったところにある山で、カマキリが御所車の屋根の上に乗り、かま、首、羽などが巧みに動く唯一のからくり山鉾で、「かまきり山」とも呼ばれています。今年は20番目に巡行しました。
この山の由来については、「蟷螂の斧を以て降車のわだちをふせがんと欲す」という中国の詩文にちなんだもので、自分の力をわきまえずに大敵に立ち向かうことで勇敢さを賞した中国の君子の故事に由来すると言われています。
宵山では、カマキリをモチーフにしたグッズやおみくじなどがとても人気でした。
①場所
中京区西洞院通四条上ル蟷螂山町
②説明
③宵山のようす
・宵山で販売される、カマキリをモチーフにしたさまざまな商品。
⑤巡行中の蟷螂山
●祇園祭の由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
●祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
●山鉾巡行(17日)の順番
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
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祇園祭の山と鉾(第18回 鶏鉾)
京都では、17日は祇園祭のクライマックスの山鉾巡行と夕方には神幸祭が行われ八坂神社を出発した3基の神輿が市内の氏子地域を練り歩きました。
山鉾巡行には沿道に20万人もの見物客が詰めかけたと、地元の京都新聞が伝えていました。
鶏(にわとり)鉾は、今年の山鉾の巡行では、13番目に巡行しました。
鶏鉾の由来については、古代の伝説「諫鼓」に由来するといわれ、また天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむともいわれています。
「諫鼓」の伝説は、中国・堯(ぎょう)の時代、伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。天下がよく治まっていたため使われなくなった訴訟用の太鼓に、鶏が巣を作ったという故事に由来するといわれています。
この鉾のある場所は、池坊短大のすぐそばにあることもあって、例年、試し曳きには浴衣を着たここの女子学生たちが大勢参加し、地元の新聞記事やテレビなどで時々紹介されています。
①説明板
②場所
下京区室町通四条下ル鶏鉾町
③宵山の飾り(2011.7.16)
④鉾建て後、試し曳きが行われる鶏鉾(2008年)
⑤巡行する鶏鉾(2008年)
・見送り
画材は叙事詩イーリアスより「トロイの王子と妻子の別れ」を描いたもので、現在使用されているものは、最近新調されたもの。
●祇園祭の由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
●祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
●山鉾巡行(17日)の順番
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
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祇園祭の山と鉾(第17回 孟宗山)
京都では、17日は祇園祭のクライマックスの山鉾巡行と夕方には神幸祭が行われ八坂神社を出発した3基の神輿が市内の氏子地域を練り歩きました。
山鉾巡行には沿道に20万人もの見物客が詰めかけたと、地元の京都新聞が伝えていました。
孟宗山は、今年の山鉾の巡行では、長刀鉾、霰天神山についで、3番目に巡行しました。
(2010年は「山一番」を引き当て、長刀鉾についで、2番目に巡行しました。)
孟宗山の由来については、中国の史話二十四孝から取材したものといわれ、次のように伝えられています。
呉の国の孟宗が、母親が病気になったため、好物の筍(たけのこ)を求めて竹林を歩きまわったが、寒の季節で1本もない。疲れて座り込んでしまったとき、雪の中で筍(たけのこ)を掘りあてた姿をあらわし、母親は元気を回復したという。
町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。
このことから、「笋山(たけのこやま)」ともいわれています。
①説明板
②場所
中京区烏丸通四条上ル笋町
③宵山の飾り
④巡行する油天神山(2011.7.17)
●祇園祭の由来
祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
●祇園祭の主な日程
7月1日の「吉符入り」ではじまる。
2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。
10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は山鉾巡行が行われる。
17日夕方には神幸祭があり、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かい、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
29日夕方、八坂神社で神事済奉告祭が行われ、祇園祭の終了を奉告し、神恩を感謝する。
31日、八坂神社境内の疫神社で疫神社夏越祭が行われ、参拝者は鳥居に設けられた大茅輪をくぐって厄気をはらい、護符を授かる。
●山鉾巡行(17日)の順番
7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
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