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祇園祭の山と鉾(第7回 四条傘鉾)
 
 
京都では、14日夜から16日夜まで、駒形提灯で山鉾を飾り、祇園囃子を奏でて祭りの雰囲気を盛り上げる宵山(宵々々山、宵々山、宵山)が始まりました。
 
17日の山鉾巡行前の14日から16日の宵山までの間に、各山鉾町に置かれて駒形提灯で飾られた山や鉾をまわり、鉾に上がったり、ちまきを買い求めたり、会所に飾られている懸装品などを見て回ったりするのも楽しいものです。
 
また、各山鉾町の旧家や老舗では、美術品などの所蔵品を一般公開する「屏風祭」が開かれています。
 
 
四条傘鉾は、応仁の乱以前に起源をもち、山鉾の非常に古い形態の一つである傘鉾の姿を現在に伝えているものといわれています。
 
この傘鉾は応仁の乱で焼失し、明応9年(1500)に再興されましたが、幕末の元治元年(1864)の大火で再び焼失し、明治5年以降は全く途絶えていましたが、昭和60年、町内の人々の努力が実り、この傘鉾の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせないはやし物が復元され、32番目の山鉾として117年ぶりに巡行に参加することになったという経緯を持ちます。
 
 
①場所
下京区四条通西洞院西入傘鉾町 
 
②説明
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③宵山のようす
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⑤巡行中の傘鉾
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祇園祭の由来
 
 祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
 
 祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
 
 祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
 
 その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
 
 さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
 
 祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
 
 
 
山鉾巡行(17日)の順番
 
 7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
 
 「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
 
 「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
 
祇園祭の山と鉾(第6回 放下鉾)
 
 
京都では、14日夜から16日夜まで、駒形提灯で山鉾を飾り、祇園囃子を奏でて祭りの雰囲気を盛り上げる宵山(宵々々山、宵々山、宵山)が始まりました。
 
放下鉾は新町通四条上ルにあり、鉾の名前の由来は、真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀ることに由来します。
 
放下とは,妄念や者への執着を捨てて俗世間を解脱することで,放下僧は街角で芸をしながら仏法を説いた僧だそうです。
 
鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を表し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれています。
 
かつては長刀鉾と同様に生稚児が乗っていましたが、昭和4年以降は稚児人形にかえられました。
 
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られています。
 
 フクロウの見送は、昭和57年製で、異国情緒があります。
 
 花文様の前懸及び胴懸は,インドやペルシアの絨毯です。
 
 
①場所
 中京区新町通四条上ル小結棚町
 
 
②説明
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③宵山のようす
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④巡行中の放下鉾
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祇園祭の由来
 
 祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
 
 祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
 
 祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
 
 その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
 
 さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
 
 祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
 
 
 
山鉾巡行(17日)の順番
 
 7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
 
 「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
 
 「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
 
祇園祭の山と鉾(第5回 船鉾)
 
 
梅雨明けをして夏本番の厳しい暑さの続く京都では、祇園祭は、この週末の宵山と山鉾巡行に向けて、祭りのムードが高まっています。
 
昨日は菊水鉾、長刀鉾、函谷鉾、鶏鉾の曳初めが行われ、今日は船鉾、放下鉾などの曳初めが行われ、明日にかけて、各町内で山を組み建てる、山建てが行われます。
 
これから15日の宵々山(よいよいやま)、16日の宵山までは、祇園囃子の奏でられる中、各山鉾町では駒形提灯の明かりに照らされた山や鉾を楽しむことができます。
 
なお、祇園祭の山や鉾のなかにはそれぞれの由来に基づいて、古来、ご利益があるとして信仰の対象となっているものがあり、宵山までに、それぞれの町の会所では、展示されている懸想品などとともに、ちまきや学問成就や立身出世などのお守り(護符)などが売られているところがあります。
 
船鉾は下京区新町通綾小路下ルにあり、『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来し、その伝説により船の形をしています。
 
 
 鉾の上に磯良・住吉・鹿島の三神体を安置し、屋形内に飾られた神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付け、皇后の神像には岩田帯を沢山巻いて巡行し、巡行後に、妊婦に安産祈願の御腹帯として授与する習慣があります。
 
船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾り、船尾には飛龍文様の舵を付けています。
 
 
①場所
下京区新町通綾小路下ル
 
 
②説明
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③宵山のようす
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④巡行する船鉾
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祇園祭の由来
 
 祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
 
 祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
 
 祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
 
 その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
 
 さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
 
 祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
 
 
 
山鉾巡行(17日)の順番
 
 7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
 
 「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
 
 「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
 
 17日午前9時から、鉾9基、山23基、合計32基の山鉾が、長刀鉾を先頭に四条烏丸付近を出発。四条通を東へ向かった後、河原町通を北上し、御池通を西進します。
 
四条麩屋町では、長刀鉾稚児による「注連縄(しめなわ)切り」が行われるほか、鉾が各交差点を曲がる際の「辻(つじ)回し」などが見所になります。
祇園祭の山と鉾(第4回 芦刈山)
 
 
梅雨明けをして夏本番の厳しい暑さの続く京都では、祇園祭は、この週末の宵山と山鉾巡行に向けて、祭りのムードが高まっています。
 
今日、12日と明日は鉾の曳初めが行われ、あさってにかけて、各町内で山を組み建てる、山建てが行われます。
 
 
祇園祭の山や鉾のなかにはそれぞれの由来に基づいて、古来、ご利益があるとして信仰の対象となっているものがあり、巡行前の宵山に、それぞれの町の会所では、展示されている懸想品などとともに、ちまきやお守りなどが売られているところがあります。
 
 
芦刈山は、古来より夫婦和合と縁結びにご利益があると伝えられてきました。
 
その由緒については、世阿弥作と言われる謡曲「芦刈」からその名がつけられたと伝えられています。
 
芦刈山は、故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会を果たす謡曲『芦刈』にちなんだ山です。
 
 御神体(人形)、衣装ともに山鉾のなかでも一番古いとされ、重要文化財に指定されています。
 
 
①場所
下京区綾小路通西洞院西入ル
 
 
②説明
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③会所のようす
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④宵山のようす
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祇園祭の由来
 
 祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
 
 祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
 
 祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
 
 その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
 
 さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
 
 祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
 
 
 
山鉾巡行(17日)の順番
 
 7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
 
 「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
 
 「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当て、次に孟宗山、その次に芦刈山が巡行します。
 
祇園祭の山と鉾(第3回 鯉山と登龍門)
 
 
祇園祭の山や鉾のなかにはそれぞれの由来に基づいて、古来、信仰の対象として有名だったものがあり巡行前の宵山に、それぞれの町の会所では、展示されているタペストリーなどとともに、ちまきやお守りなどが売られているところがあります。
 
鯉山は、古来より試験合格や立身出世を願う多くの人たちが訪れています。
 
 
場所
中京区内の室町通に面した六角通と蛸薬師通の間。
 
 
説明
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鯉山は中国の故事「登龍門」に由来しています。
 
<登龍門>
・登龍門は出世栄達を意味する幸運吉慶の言葉であり、これは、中国の黄河の上流に龍門という三段の滝があって、鯉がここを登りきると龍に化したという故事から、人生の難関を突破し、成功と繁栄を勝ちえるという貴い比喩とされている。
 
・鯉山はこの登龍門を象徴し、人々の立身出世と開運を念願するため、その昔、名工左甚五郎作の鯉を用いて滝を登るさまを表した祇園祭の山鉾の一つである。
 
 
宵山のようす
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⑧会所のようす
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・左甚五郎作と伝える鯉
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 なお、鯉山の毛綴はとても見事なもので、国の重文に指定されています。
 
 
●祇園祭の由来
 
 祇園祭は古くは祇園御霊会、略して祇園会(ぎおんえ)と呼ぶ八坂神社の祭礼で、7月1日の吉符入(きっぷいり)という神事始めから29日の神事済奉告祭、さらに31日の夏越祓まで1か月にわたるさまざまな行事や祭儀をまとめて祇園祭と呼んでいます。
 
 祇園祭の始まりについては、平安時代の貞観11年(869)、都を中心に疫病が流行したとき、これは牛頭天王(ごずてんのう)の祟りであるということから、当時の国の数66か国に準じて、鉾66本を立てるとともに、神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりとされています。
 
 祇園会は天禄元年(970)より毎年行われるようになり、途中、保元・平治の乱や応仁・文明の乱などで一時中絶したものの、明応9年(1500)には町衆の力によって、先祭として26基、後祭として10基の山鉾が巡行し、復興を遂げました。
 
 その後、第二次世界大戦の影響で昭和18年から4年間巡行は中止になり、昭和22年に復活し、同31年には先祭戻り西進コースを松原通から御池通に変更し、同36年には四条通から北進するコースを寺町通から河原町通に変更しました。
 
 さらに、昭和41年から、17日の先祭と24日の後祭を統一して17日に巡行することとなり、現在では32基の山鉾が巡行しています。
 
 祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つに挙げられ、昭和54年には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成9年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録されました。
 
 
 
●山鉾巡行(17日)の順番
 
 7月2日、京都市役所の市議会本会議場で巡行の順番を決める「くじ取り式」が行われました。
 
 「くじ取り式」は、巡行の先陣争いを防ぐため、室町時代の明応9年(1500)に始まったとされる伝統行事で、江戸期には六角堂で行われていました。
 
 「くじ取り式」では慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の8基(長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、北観音山、橋弁慶山、南観音山)を除く24基の代表が、門川大作京都市長、祇園祭山鉾連合会理事長、八坂神社宮司らの立ち会いのもと、くじ引きを行ないました。
 
 先頭を進む長刀鉾に続いて巡行する「山一番」は、霰天神山(あられてんじんやま)が引き当てました。
 

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