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京の花街

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秋の朝の祇園新橋の町並みと白川沿いのキンモクセイ、芙蓉などの花と吉井勇の歌碑
 
 
縄手通の東側、祇園新橋の御茶屋の建ち並ぶ地区で白川に面するあたりは、江戸時代から明治初期にかけて建てられたお茶屋などの町家が並び、昭和51年には重要伝統的建造物群保存地区に選定され、京都らしい風情ある町並みが続いています。
 
 ここはまた、早春の柳の芽ぶき、枝垂れ梅や白梅、春のしだれ桜、初夏の紫陽花、夏の百日紅、夏から秋にかけて芙蓉、ススキ、萩、金木犀、晩秋から初冬にかけて美しい紅葉が見られ、山茶花もきれいで、冬の雪景色もまた格別です。
 
10月初めに訪れた時は、ちょうど祇園甲部の秋の技芸発表会である温習会の赤い提灯が下げられ、花街らしい雰囲気を一層盛り上げていました。
 
 
※場所
 
 
1 祇園新橋の街並み
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・巽橋
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・料理旅館「白梅」
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祇園新橋伝統的建造物群保存地区について
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2 辰巳大明神(辰巳神社)
白川にかかる巽橋のすぐ近くにある。
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もとは、京都御所の辰巳(南東)に位置し、辰巳の方角を守る神社だったとされるが、芸・舞妓さんたちを中心にした祇園芸能に関連する人たちから親しまれ芸の上達を祈って訪れることでも知られている。
 
昔、巽橋に住んでいたタヌキが人を化かし、芸・舞妓さんを騙して川を渡らせたりなどの悪戯をしていたタヌキを祀っているといわれる。
 
 井上八千代さんや片山九郎右衛門の名前が見える。
 
 
 
3 白川の流れ
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4 温習会の提灯とお茶屋などの町家
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5 祇園白川の吉井勇歌碑
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●吉井勇
・歌人、劇作家。1886年(明治19年)に東京生まれ。放蕩の生活を好み、北原白秋、石川啄木らと親交を結ぶ。

・京都を愛し、1938年(昭和13年)から1960年(昭和35年)に肺癌のため京大病院で亡くなるまで京都で暮らした。
 
 
●歌碑 
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「かにかくに祇園はこひし 寝るときも枕の下を水のながるる」
 
・この歌碑は吉井勇の古稀を記念して、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、昭和30118日に建立された。
 
・なお、この場所は文芸芸妓として知られ、また吉井勇と親交のあった磯田多佳女が女将を務めていたお茶屋「大友」の跡。

・吉井勇は、都おどりの復興など祇園のために力を尽くした。
 
 
 
6 祇園白川畔で見られた花
●芙蓉
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●萩
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●ススキ
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●イヌタデ
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●キンモクセイ
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●藪蘭
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7 祇園白川のゴイサギ
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8 花街の技芸発表会 ―― 花街の「をどり」
 
 芸・舞妓さんたちが、日頃研鑚に努める芸事を春と秋に披露している。
 
(1)祇園甲部
(祇園新橋は、花街の地区としては祇園東ではなく祇園甲部に含まれる。)
 
「都をどり」 4月1日〜30日まで 祇園甲部歌舞練場 (井上流)
 
京都府参事の槇村正直、京舞井上流家元の井上八千代らの発案で、明治5年に京都で開かれた「第1回京都博覧会」の余興として、祇園町の芸妓・舞妓による「都をどり」が行われたのが始まり。
 
 
「温習会」 祇園甲部の芸・舞妓による秋の技芸発表会
  今年は、101日から6日までの6日間、祇園甲部歌舞練場で行われた。
 
 
 
(2)先斗町
「鴨川をどり」 5月1日〜24日  先斗町歌舞練場 (尾上流)
 
「水明会」 先斗町の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
 
(3)宮川町
「京おどり」 4月第一土曜〜第三日曜 宮川町歌舞練場 (若柳流)
京都の名所や名物を舞踊化することで有名。
 
「みずゑ会」 宮川町の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
 
(4)上七軒
「北野をどり」 415日〜25日 上七軒歌舞練場 (花柳流)
物語性の強い舞踊で有名。
 
「寿会」 上七軒の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
 
(5)祇園東
「祇園をどり」 (11月初旬) 祇園会館 (藤間流)
 技芸発表会は年に1回のみ。
 
 フリー百科事典「ウィキペディア」には、次のように書いてある。
 
1952年、『祇園乙部』から名を改めた祇園東新地(後に祇園東と改める)の芸妓衆が上演したのが始まりといわれる。以後毎年11月に行われるようになる。最初は70名で主演をしていたが芸妓数の減少で現在は約23名(2004年現在)で興行し、厳しい状況で行われている。
 
  
(6)京都五花街合同伝統芸能公演「都の賑い」 京都会館
 
京都の五花街の芸舞妓による年1度の歌舞講演会。
 
平成6年、平安建都1200年を記念して、「五花街合同伝統芸能特別公演」として開催したことが始まり。
 
4回公演から「都の賑い」に名称変更。以来、毎年6月第三土曜・日曜日の2日間、開催されている。
祇園白川の芙蓉の花と辰巳神社と吉井勇の歌碑
 
 
四条通の北側で縄手通の東側のあたりには、江戸時代から明治初期にかけて建てられたお茶屋を中心とした京町家が整然と軒を並べる風情ある町並みが続いています。ここは昭和51年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 
このあたりは、祇園白川の流れや石畳が風情ある京町家と調和し、四季折々の花の移り変わりなど、季節感の感じられるところです。
 
 
1 場所↓
 
 
2 祇園白川畔で見られた芙蓉の花
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3 辰巳大明神(辰巳神社)
白川にかかる巽橋のすぐ近くにある。
 
・巽橋
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もとは、京都御所の辰巳(南東)に位置し、辰巳の方角を守る神社だったとされるが、芸・舞妓さんたちを中心にした祇園芸能に関連する人たちから親しまれ芸の上達を祈って訪れることでも知られている。
 
・辰巳大明神(辰巳神社)
昔、巽橋に住んでいたタヌキが人を化かし、芸・舞妓さんを騙して川を渡らせたりなどの悪戯をしていたタヌキを祀っているといわれる。
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 井上八千代さんの名前が見える。
 
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 片山九郎右衛門さんの名前が見える。
 
(3)サルスベリの花
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3 祇園白川の吉井勇歌碑
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   雪景色
 
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(1)吉井勇
・歌人、劇作家。1886年(明治19年)に東京生まれ。放蕩の生活を好み、北原白秋、石川啄木らと親交を結ぶ。

・京都を愛し、1938年(昭和13年)から1960年(昭和35年)に肺癌のため京大病院で亡くなるまで京都で暮らした。
 
 
(2)歌碑 
「かにかくに祇園はこひし 寝るときも枕の下を水のながるる」
 
・この歌碑は吉井勇の古稀を記念して、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、昭和30118日に建立された。

・なお、この場所は文芸芸妓として知られ、また吉井勇と親交のあった磯田多佳女が女将を務めていたお茶屋「大友」の跡。

・吉井勇は、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしたといわれる。
 
 
 
4 行事
(1)祇園放生会(毎年6月の第一日曜日)
 祇園白川巽橋。日々食している生き物の恵みに感謝する放生会。
 
 読経の後、僧侶や舞妓、市民たちによって2,000匹の金魚などの稚魚が巽橋の上から、白川へ放流される。
 
 
(2)かにかくに祭(118日)
  祇園を愛した大正・昭和期の歌人、吉井勇の古希を祝って始められた祭。
 
 「かにかくに 祇園はこいし寝るときも 枕の下を水のながるる」の歌碑の前で祇園の舞妓・芸妓による献花などが行われる。
 
 
5 「重要伝統的建造物群保存地区」について
(1)発足の経緯
昭和501975)年の文化財保護法の改正によって発足。
 
(2)目的
日本の各地に残る歴史的な集落や町並みの保存を図ること。
 
(3)運用
地方自治体の市町村は,伝統的建造物群保存地区を定め,国はその中から価値の高いものを重要伝統的建造物群保存地区として選定し,保存事業への財政的援助や必要な指導・助言を行っている。
 
 
(4) 京都市 内の伝建地区
≪祇園新橋伝建地区(昭和51年選定)≫
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祇園の茶屋町。規模の大きな町家が通りに面して軒を並べて建つ。二階軒先にすだれを下げた独特の景観をもつ。
 
≪上賀茂伝建地区(昭和63年選定)≫
上賀茂神社前の明神川沿いの社家町一帯
 
≪三寧坂伝建地区:(昭和51年選定)石塀小路含む≫
円山公園〜高台寺下。八坂五重塔、二年坂を経て三寧坂に至る範囲
 
≪嵯峨鳥居本伝建地区(昭和54年選定)≫
愛宕神社一の鳥居の前に形成された町並
 
 
 
6 花街
 
(1)花街のをどり
趣旨
 芸舞妓が、日頃研鑚に努める芸事を春と秋に披露するもの。
 
 
「都をどり」(4月1日〜30日まで)
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明治5年、京都で開かれた「第1回京都博覧会」の附博覧として、槇村正直
京都府参事、京舞井上流家元井上八千代らの発案で「都をどり」を開催。
 
③温習会 
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温習会の提灯
 
毎年10月初めに開催される祇園甲部の芸舞妓による技芸発表会
 
 
④都の賑い
京都の五花街の芸舞妓による年1度の歌舞講演会。
 
平成6年、平安建都1200年を記念して、「五花街合同伝統芸能特別公演」として開催したことが始まり。
 
4回公演から「都の賑い」に名称変更。以来、毎年6月第三土曜・日曜日の2日間、開催されている。
 
 
(2)花街の始業式
趣旨
新年を迎えて芸舞妓が一堂に会して精進を誓う行事。
 
日にち
1月7日 祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町
1月9日 上七軒
 
祇園甲部の始業式
歌舞練場に、黒紋付に稲穂の花簪を髪に挿した芸舞妓が集まり、新年の挨拶を交わした後、「芸妓・舞妓の誓い」五ヶ条を唱和。

・1年間の売花の多かった芸舞妓に売花奨励賞、お茶屋にも奨励賞を贈呈。
・井上流五世家元が「倭文」を舞い、めでたく納める。
 
 
(3)初寄り
趣旨
京舞井上流の稽古始めの日。
 
毎年1月13日 に行う。
 
内容
井上流の舞を学ぶ祇園の芸舞妓、一般の子女たちが打ち揃って家元宅(新門前大和大路東入る)を訪ね、お雑煮を祝い初舞いで新年を寿ぐ。
 
 
(4)八朔
趣旨
 旧暦81日のこと。古来「田の実の節」といい、「頼み」に通じることから、商家などではこの日、日頃お世話になっている本家、得意先には感謝と更なる贔屓を願って、挨拶回りをする。お中元も八朔から始まる。
 
花街
81日、芸舞妓が正装の黒紋付で、研鑚を積む芸事の師匠や御茶屋などに挨
拶回りをする。
 
 
(5)事始め
趣旨
 師走行事の一つ。毎年1213日を一年の区切りとして、花街や室町、西陣などの旧家では、この日から正月の準備を始める。本家や得意先への挨拶回りもする。
 
祇園甲部の事始め
井上流家元宅では、稽古場に「玉椿」の軸、門弟から届けられた鏡餅が段飾りされる。
 祇園甲部の芸舞妓たちは、家元に「今年もよろしゅうおたのもうします」と挨拶し、家元からご祝儀の舞扇を受けて、精進を誓う。
 
 
(6)花簪(はなかんざし)
趣旨
 舞妓の髪を飾る装飾であり、季節を彩るシンボルとして毎月決まった花簪を髪に挿すしきたりがある。
1月  (  )
2月  (  )
3月  (  )
4月  (  )
5月  (  )
6月  (  )
7月  (  )
8月  (  )
9月  (  )
10
月  (  )
11
月  (  )
12
月  南座の吉例顔見世歌舞伎興行の(  )
 
正解 松竹梅、梅、菜の花、桜、藤、柳、団扇、薄、桔梗、菊、紅葉、まねき
 
稲穂のかんざし
1月7日の始業式の時に挿す。

 
(7)女紅場
経過
 明治5年、丸太町通り土手町に女子教育の機関として生まれたのが始まり。
京都の勧業政策の一つとして各区に生まれ、花街にも設立。各区の女紅場は種々の学校に発展解消。
 
祇園の女紅場
下京第15区女紅場と呼ばれ、明治14年に八坂女紅場と改称。
その後、八坂女紅場学園となり、芸舞妓の歌舞音曲・茶道・生け花など研鑚の
場として継続。
 

上七軒の町並みと行事

上七軒の町並みと行事
 
 
京都の五花街の一つ、上七軒は、北野天満宮の東門から南東に向かい、今出川通の上七軒交差点あたりまでの間を指し、通りの両側には五つ団子」の紋章の提灯を下げた花街らしい格子戸の町並みが続きます。
 
・北野天満宮東門
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このあたりの町並みを見ながら散歩ついでにランチタイムであれば、小きみで元芸妓のお母さんの作る料理をいただくのがおすすめ。
 
お茶をするならグレースセゾンのケーキにするか、歌舞練場の茶ろんでコーヒーをいただけば、運がよければ舞妓さんの姿が見られるかもしれません。
 
千本釈迦堂まで足を延ばして、おみやげは老松で和菓子はいかがでしょう。
 
 
 
 
2 上七軒について
 
●町並みのようす
 
・北野天満宮からの入口
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・「上七軒」と書かれた標石
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・上七軒芸妓組合の周辺
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・「中里」(置き屋さん)
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・歌舞練場近く
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・老松
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・ふた葉
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・グレースセゾン周辺
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・萬春
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・くろすけ
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・がま口を売っているお店
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●上七軒の歴史
 
<説明板>
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上七軒は、北野天満宮の東、今出川通の上七軒交差点のある七本松通西入から北野天満宮東門に至る両側にあり、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町と並び、京の5花街の中で室町期まで溯る、最古の長い歴史を持つ花街といわれています。
 
その始まりについては、15世紀中頃、北野天満宮の一部が焼失し、その修造の際に残った用材を使用して、七軒のお茶屋を建て、七軒茶屋と称したことが上七軒の起源だとされています。
 
その後、天正15年(1587)には、北野大茶の湯の休憩所になり、そこで御手洗団子の供応を受けた太閤秀吉はとても喜び、その褒美として七軒茶屋は御手洗団子を商う特権と法会茶屋株を公許したのがわが国におけるお茶屋の始まりと伝えられています。(上七軒歌舞会ホームページより転載)
 
上七軒の紋章「五つ団子」はこの御手洗団子に由来しています。
 
また、上七軒では毎年春には『北野をどり』、秋には『寿会』が上演されます。

 
3 紋章「五つ団子」
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豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は名物御手洗団子を献上したところ大いに誉められて以来、上七軒の花街は、現在に至るまで五つ団子の紋章を用いてきた。

 
4 主な行事
(1)始業式
上七軒では、毎年1月9日に歌舞練場で行われる。
他の花街(祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町)では、始業式は1月7日に行われる。
 
趣旨
 新年を迎えて芸・舞妓が一堂に会して精進を誓う行事。
芸・妓舞妓達が黒紋付の正装で参列し旧年の御礼、新年の挨拶を交わし、その後、全員で素囃子と舞初めを行なう。
 
 
(2)梅花祭(225日)
北野天満宮の祭神菅原道真公が延喜3年(903年)225日薨去された祥月命日に行われる祭典。
 
 
(3)北野をどり(325日−47日)
平成22年第58回から325日の開幕となった。これは、昭和27年の第1回北野をどりの開幕日に倣い、北野天満宮の御縁日「25日」にちなむもの。
 
 
(4)都の賑わい
①趣旨
 京都の芸舞妓による年1度の歌舞講演会。
 
②経緯
・平成6年、( 2 )を記念して、「五花街合同伝統芸能特別公演」として開催
した。
・第4回公演から名称変更。以来、毎年6月第三土曜・日曜日の2日間、開催。
 
 
(5)八朔
①趣旨
 旧暦81日のこと。古来「田の実の節」といい、「頼み」に通じることから、商家などではこの日、日頃お世話になっている本家、得意先には感謝と更なる贔屓を願って、挨拶回りをする。お中元も八朔から始まる。
 
②花街
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1日、芸舞妓が正装の黒紋付で、研鑚を積む芸事の師匠や御茶屋
などに挨拶回りをする。
 
 
(6)寿会
上七軒の芸・舞妓による舞踊の発表会。4月の「北野をどり」と違って寿会では古典もの、踊りが中心
 
平成221014日から18日まで開催。
 
・寿会のポスター
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(7)町並みの保全
「京都市市街地景観整備条例」(平成7年)
  ・美観地区
  ・建造物修景地区
  ・沿道景観形成地区
  ・歴史的景観保全修景地区:祇園町南
  ・界わい景観整備地区:北野上七軒、三条通、伏見南浜

※先斗町は、町並み保全地区には指定されていない。
 
 
5 京都検定出題例
平成18年度3
【問1】
花街の春の踊りの会で表記が間違っているものはどれか。
(ア)都をどり    (イ)北野をどり
(ウ)京をどり    (エ)鴨川をどり
 
【正解】(ウ)
 
 
【問2】
北野天満宮を修造する際の廃材で茶屋を建てたことに始まるとされる花街はどこか。
(ア)宮川町  (イ)先斗町  (ウ)祇園甲部  (エ)上七軒
 
【正解】(エ)

先斗町と歌舞練場

先斗町と歌舞練場  
 
 
先斗町は三条通一筋下ルから四条通まで、鴨川と木屋町通の間を南北に走る、石畳の狭い通りです。
 
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もともとは鴨川の州であったのが、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、茶屋、旅籠などが置かれ、新河原町通とも呼ばれていたようです。
 
先斗町では明治5年(1872)に鴨川をどりが初演され、現在でも花街特有の町並みを見ることができます。
 
この狭い通りに沿って、一般の飲食店も数多く建ち並び、夏には納涼床を設けているお店も多くあります。
 
なお、先斗町歌舞練場は昭和2年(1927)に創設された歌舞練場で、屋根には中国の蘭陵王の舞楽面を型取った鬼瓦が、先斗町の繁栄を見守っています。
 
 
1 場所↓
 
 
2 先斗町のようす
・四条通からの入口
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・入口付近から見た四条通と東華菜館
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・朝の先斗町
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・夕方の先斗町
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 「水明会」のポスターが見える。
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・木屋町への路地
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 通り抜けできない路地がいくつかあり、こうした表示がある。
   
 
3 名称の由来
 フリー百科事典「ウィキペディア」には、次の記載がある。
一説によれば、先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。
また、鴨川と高瀬川に挟まれているため、堤であると捉え、鼓が「ポン」と鳴ることに掛けて、「ぽんと」となったという説もある。
 
 
 
4 先斗町歌舞練場
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①設計
大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏
 
②建設
大正14年(1925年)に着工し、昭和2年(1927年)に完成
 
③屋根の鬼瓦
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中国の蘭陵王の舞楽面を型取った鬼瓦が、先斗町の繁栄を祈念して守り神として据えてある。
 
 
 
5 先斗町の紋章「千鳥」
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明治5年、鴨川をどりが初めて開催された際に創案されたもので、鴨川の千鳥をデザイン化したものという。
 
 
 
6 主な行事
(1)花街の始業式
1月7日 祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町
1月9日 上七軒
 
●趣旨
 新年を迎えて芸舞妓が一堂に会して精進を誓う行事。
 
 
(2)鴨川をどり(51日−524日)
明治5年(1872)東京遷都後の京都の繁栄を願って開かれた第1回京都博覧会の附博覧として、観光客誘致の一助として創演され、以来一世紀余にわたって継承されてきた。
 
 
(3)都の賑い
①趣旨
 京都の芸舞妓による年1度の歌舞講演会。
 
②始まり
平成6年、( 2 )を記念して、「五花街合同伝統芸能特別公演」として開催
した。
 
③都の賑い
4回公演から名称変更。以来、毎年6月第三土曜・日曜日の2日間、開催。
 
 
(4)八朔
①趣旨
 旧暦81日のこと。古来「田の実の節」といい、「頼み」に通じることから、商家などではこの日、日頃お世話になっている本家、得意先には感謝と更なる贔屓を願って、挨拶回りをする。お中元も八朔から始まる。
 
②花街
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1日、芸舞妓が正装の黒紋付で、研鑚を積む芸事の師匠や御茶屋
などに挨拶回りをする。
 
 
(5)水明会
先斗町の芸妓による伎芸発表会で、昭和5年から続けられている舞踊会。
 
平成23年は10月20日から4日間開催された

 
<先斗町入口(四条通側)に立つ説明板>
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・この地は、もと鴨川の洲であったが、寛文10年(1670)に護岸工事のため、石垣を築き町家ができて、これを新河原町通りといった。
 
・その後三条一筋南から四条まで、すなわち南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ち並び、俗に先斗町と呼ぶようになった。
 
・正徳2年(1712)に茶屋、旅籠屋と茶立の女子を置くことを許され爾来花柳の街として繁昌、現在に至っている。
 
・先斗町の呼名は、ここの人家がすべて河原の西側にたち、先ばかりに集中したことから先斗町と呼ばれたともいい、ポルトガル語(PONT)、英語の(POINT)の発音によったともいわれる。
   
 
7 京都検定出題例
 
●平成18年度3
【問】花街の春の踊りの会で表記が間違っているものはどれか。
(ア)都をどり    (イ)北野をどり
(ウ)京をどり    (エ)鴨川をどり
 
【正解】(ウ)

宮川町の季節の移ろい

宮川町の季節の移ろい
 
 
宮川町は、京都の五花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町)のうちの一つで、東山区には宮川町のほかに花街は2か所(祇園甲部、祇園東)あります。
 
宮川町の歴史をたどれば、以前は鴨川の河原だったところに寛文6年(1666)に宮川町の通りができ、その後、急速に宮川町の町並みが整い、四条河原に櫓を構えた芝居小屋が宮川町の発展を促し、当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町として発展していったといわれています。
 
現在は、宮川筋2丁目から6丁目までが花街となっています。
 
毎年春には「京おどり」が上演され、舞踊の流派は現在では若柳流が主流で、平成18年(2006)には芸妓の発表会「みずゑ会」が31年ぶりに復活しました。
 
今年のみずゑ会は、107日から10日まで、宮川町歌舞練場で行われます。
 
 
1 場所
 
 
2 宮川町の季節の移ろい
①正月
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②京おどり4月第一土曜〜第三日曜)の頃
 
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 宮川町歌舞練場
   
③真夏の昼下がり
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3 宮川町の紋章「三つ輪」について
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「三つ輪の由来は、芸妓育成機関の女紅場(にょこうば)が府立となったおり、社寺・町家・花街の三者が合流して学校施設とした記念とされています。
 明治中期から使用されており、一説には、宮川の故事から三体の神輿を象徴したとも、宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも言われています。」(宮川町御茶屋組合HPより転載)
 
 
3 花街について(京都検定のための要点のまとめ)
 
(1)花街のをどり
①趣旨
 芸舞妓が、日頃研鑚に努める芸事を春と秋に披露するもの。
 
②始まり
 明治5年、京都で開かれた「第1回( 1 )」の附博覧として、槇村正直京
都府参事、京舞井上流家元井上八千代らの発案で「( 2 )」を開催。
 
≪正解≫
1
京都博覧会
2
都をどり
 
 
(2)都の賑い
①趣旨
 京都の( 1 )の芸舞妓による年1度の歌舞講演会。
 
②始まり
平成6年、( 2 )を記念して、「五花街合同伝統芸能特別公演」として開催
したこと。
 
③「( 3 )」
4回公演から名称変更。以来、毎年6月第三土曜・日曜日の2日間、開催されている。
 
≪正解≫
1
五花街
2
平安建都1200
3
都の賑い
 
 
(3)花街の始業式
①趣旨
 新年を迎えて( 1 )が一堂に会して精進を誓う行事。
 
②日にち
1月( 2 )日 祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町
1月( 3 )日 上七軒
 
③祇園甲部の始業式
・歌舞練場に、黒紋付に( 4 )の花簪を髪に挿した芸舞妓が集まり、新年の挨拶を交わした後、「芸妓・舞妓の誓い」五ヶ条を唱和。
・1年間の売花の多かった芸舞妓に売花奨励賞、お茶屋にも奨励賞を贈呈。
・井上流五世家元が「( 5 )」を舞い、めでたく納める。
 
≪正解≫ 
1
芸舞妓
2

3

4
稲穂
5
倭文
 
 
(4)初寄り
①趣旨
京舞井上流の( 1 )の日。

②日
毎年( 2 )日

③内容
 ( 3 )流の舞を学ぶ祇園の芸舞妓、一般の子女たちが打ち揃って家元宅(新門前大和大路東入る)を訪ね、お雑煮を祝い初舞いで新年を寿ぐ。
 
≪正解≫ 
1
稽古始め
2
1月13
3
井上
 
 
(5)八朔
①趣旨
 旧暦81日のこと。古来「田の実の節」といい、「頼み」に通じることから、商家などではこの日、日頃お世話になっている本家、得意先には感謝と更なる贔屓を願って、挨拶回りをする。お中元も八朔から始まる。
 
②花街
( 1 )日、芸舞妓が正装の( 2 )で、研鑚を積む芸事の師匠や御茶屋
などに挨拶回りをする。
 
≪正解≫
1
 81
2
黒紋付
 
 
(6)かにかくに祭
①趣旨
 毎年( 1 )日、祇園歌人の( 2 )を偲んで、白川南通りの川沿いに立つ歌碑の前で行なわれる行事。当日は、祇園の芸舞妓が参加する。
 
②吉井勇の歌碑
昭和30118日、吉井勇の( 3 )を祝って建てられた。
「かにかくに 祇園はこひし 寝る時も 枕の下を水のながるる」

≪正解≫
1
 118
2
吉井勇
3
古希


(7)事始め
①趣旨
 師走行事の一つ。毎年( 1 )日を一年の区切りとして、花街や室町、西陣などの旧家では、この日から( 2 )の準備を始める。本家や得意先への挨拶回りもする。
 
②祇園甲部の事始め
( 3 )流家元宅では、稽古場に「( 4 )」の軸、門弟から届けられた( 5 )が段飾りされる。
祇園甲部の芸舞妓たちは、家元に「今年もよろしゅうおたのもうします」と挨拶し、家元からご祝儀の( 6 )を受けて、精進を誓う。

≪正解≫
1 12
13
2
 正月
3
 井上
4
 玉椿
5
 鏡餅
6
 舞扇
 
 
(8)花簪(はなかんざし)
①趣旨
 舞妓の髪を飾る装飾であり、季節を彩るシンボルとして毎月決まった花簪を髪に挿すしきたりがある。
1月  (  )
2月  (  )
3月  (  )
4月  (  )
5月  (  )
6月  (  )
7月  (  )
8月  (  )
9月  (  )
10
月  (  )
11
月  (  )
12
月  南座の吉例顔見世歌舞伎興行の(  )
 
≪正解≫
 松竹梅、梅、菜の花、桜、藤、柳、団扇、薄、桔梗、菊、紅葉、まねき
 
※稲穂のかんざし
1月7日の(  )の時に挿す。
≪正解≫ 始業式
 
 
(9)女紅場
①経過
 明治5年、丸太町通り土手町に女子教育の機関として生まれたのが始まり。
京都の勧業政策の一つとして各区に生まれ、花街にも設立。各区の女紅場は種々の学校に発展解消。
 
②祇園の女紅場
下京第15区女紅場と呼ばれ、明治14年に八坂女紅場と改称。その後、八坂
女紅場学園となり、芸舞妓の歌舞音曲・茶道・生け花など研鑚の場として継続。


(10)伝統の歌舞会について整理しておきましょう。
・祇園甲部 (  ) 〜 京都博覧会(明治5年) (  )流
・先斗町 (  ) 〜 屋根に舞楽面の鬼瓦   (  )流
・宮川町 (  )〜 京都の名所、名物を舞踊化 (  )流
・上七軒 (  ) 〜 物語性の強い舞踊で有名 (  )流
・祇園東 (  ) 11月初旬 祗園会館で唯一秋に行う (  )流
       
《正解》
祇園甲部
都をどり
41日〜30
井上流
先斗町
鴨川をどり
51日〜24
尾上流
宮川町
京おどり
4月第一土曜〜第三日曜
若柳流
上七軒
北野をどり
415日〜25
花柳流
祇園東
祇園をどり
11月初旬
藤間流


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