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京の庭園めぐり

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東山武田病院の敷地内にある庭園「積翠園」の夏のようす
 
 
 東山七条にある妙法院の北側に東山武田病院(旧:京都専売病院)があります。
 
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 この病院には附属庭園として池を主体にした回遊式庭園があり、誰でも自由に参観することができます。
 
しかも歴史をたどれば、この庭園はかつて平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松内府の園池」と伝え、積翠園と名づけられています。平安時代末期に造られた庭園を自由に散策できることから、このブログの管理人お気に入りの庭園の一つとして、東山七条方面に出かけるときにはいつもこの庭を歩いてくることにしています。 
 
 ただ、この東山武田病院のある敷地を使って、2014年にフォーシーズンズホテルが進出する計画があり、地上4階、地下1階建てで、客室数は約200室、スパやレストランも併設されるそうです。
 
フォーシーズンズホテルといえば、東京で「椿山荘東京」などのホテルを運営する豪華なホテルです。
 
 本格的な工事が始まれば、もうのんびり庭園を散策することは出来なくなるかもしれません。今のうちに、何度も足を運んで、しっかりと目に焼き付けておきたいと思います。
 
 
 なお、現在、この庭園は、病院の入口からいったん建物に入って、受付で一言、庭を見せていただきたいとことわってから、建物をそのまま突き抜けて庭園に出ます。
 
・病院入口
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 ここを突き抜けると、庭園が広がっています。
 
 積翠園は、平安時代末期の治承期に平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられています。
 
江戸時代には妙法院境内の庭園となり、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、京都専売病院を経て、現在は東山武田病院の庭園となっています。
 
 京都市内で平安時代末期に作庭され現存する庭は数少ないことから、貴重な遺構であるといわれており、このような貴重な庭園が病院の付属の庭園として広く開放され、受付から無料で入園することができるというのも大変ありがたいことです。
 
 この庭園は四季折々の美しい景観を楽しむ事ができるところで、また、地元でもあまり知られていないため、静かに散策する事ができます。
 
 
 
 
 
 
2 積翠園のようす
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 回遊式庭園で、東西に池が広がり、東側に大島、西側に小島と2つの島がある。
 
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・「夜泊石」
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 大島の南側の水面には、「夜泊石(よどまりいし)」と呼ばれる5つの小岩がまっすぐに並んでいる。
 
夜泊石とは、中国の蓬莱思想に基づいて、仙人が住むとされる蓬莱山に島を見立て、不老不死の妙薬を積んで帰った宝船が港に一列に留まっている様子を石で表現したものといわれている。
 
苔寺や金閣寺の庭園にも見られる形式で、平安から室町期までの池泉式庭園の特徴の一つとされている。
 
 
3 沿革
<積翠園の説明板>
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 ・平安時代末期の治承期に、平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられている。
 
・江戸時代には妙法院境内の庭園となっており、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、現在は東山武田病院の庭園となっている。
 
平安神宮神苑の花菖蒲と睡蓮とコウホネ
 
 
 
平安神宮の神苑は、かつて東山界隈に円山公園、無隣庵を始め数多くの名園を残した名造園家で通称「植治」と呼ばれる7代目・小川治兵衛が20年以上かけて造った名園です。
 
社殿の背後を囲むようにして広がる、総面積は33,000m2(約10,000坪)という広大な池泉回遊式庭園で、東苑・中苑・西苑・南苑の4つに分かれています。
 
昭和50年に国の名勝に指定されました。
 
梅雨空の下で、西神苑の花菖蒲、中神苑の睡蓮、河骨(コウホネ)が咲いていました。
 
 
 
 
2 西神苑の花菖蒲
・まわりを林にかこまれ、一角には滝がある。大正2年に完成し、池の名称は白虎池という。
 
・白虎池には花菖蒲が群生し、初夏から秋口にかけては池の水面に睡蓮と河骨(コウホネ)が咲く。
 
・茶室「澄心亭」がある。
 
①西神苑の花菖蒲
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②西神苑の河骨(コウホネ)
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3 中神苑
 
西神苑から小川沿いに鬱蒼とした林間を抜けると、池のたもとに出る。
 
池に浮かぶ珊瑚島までは三条大橋と五条大橋の橋脚を利用した「臥龍橋」という飛び石が配置されている。
 
このあたりは初夏には、カキツバタや睡蓮がきれいなところ。
 
ここの池の名称は、「蒼龍池」という。
 
①中神苑の睡蓮
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②三条大橋と五条大橋の橋脚を利用した「臥龍橋」という飛び石
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 天正年間に豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられている。
 
 
 
4 東神苑
 
泰平閣(橋殿)とサギ
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泰平閣(橋殿)は、大正の始めに京都御所から移築。
 
 
②尚美館
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 尚美館は、大正の始めに京都御所から移築。
東山武田病院(旧:京都専売病院)の敷地内にある庭園「積翠園」
 
 
 東山七条にある妙法院の北側に東山武田病院(旧:京都専売病院)があります。
 
 この病院の庭園は、かつて平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松内府の園池」と伝え、積翠園と名づけられています。
 
 この庭園は、病院の入口からいったん建物に入って、そのまま突き抜けて庭園に出ることができます。
 
・病院入口
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ここを突き抜けると、庭園が広がっています。
 
 
積翠園は、平安時代末期の治承期に平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられています。
 
江戸時代には妙法院境内の庭園となり、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、京都専売病院を経て、現在は東山武田病院の庭園となっています。
 
 京都市内で平安時代末期に作庭され現存する庭は数少ないことから、貴重な遺構であるといわれており、このような貴重な庭園が病院の付属の庭園として広く開放され、受付から無料で入園することができるというのも大変ありがたいことです。
 
 この庭園は四季折々の美しい景観を楽しむ事ができるところです。
 
また、地元でもあまり知られていないため、静かに散策する事ができます。
 
 ただ、この東山武田病院のある敷地を使って、2014年にフォーシーズンズホテルが進出する計画があり、地上4階、地下1階建てで、客室数は約200室、スパやレストランも併設されるそうです。
 
フォーシーズンズホテルといえば、東京で「椿山荘東京」などのホテルを運営する豪華なホテルです。
 
 本格的な工事が始まれば、もうのんびり庭園を散策することは出来なくなるかもしれません。今のうちに、何度も足を運んで、しっかりと目に焼き付けておきたいと思います。
 
 
 
 
2 積翠園のようす
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・「夜泊石」
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「夜泊石」と呼ばれる5つの小岩が岸に沿ってまっすぐに並んでいる。
 
・黄菖蒲
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・休憩所「積翠亭」
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3 沿革
<積翠園の説明板>
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 ・平安時代末期の治承期に、平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられている。
 
・江戸時代には妙法院境内の庭園となっており、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、現在は東山武田病院の庭園となっている。
 
 
庭園の特色
 回遊式庭園で、東西に池が広がり、東側に大島、西側に小島と2つの島がある。
 
大島の南側の水面には、「夜泊石(よどまりいし)」と呼ばれる5つの小岩がまっすぐに並んでいる。
 
夜泊石とは、中国の蓬莱思想に基づいて、仙人が住むとされる蓬莱山に島を見立て、不老不死の妙薬を積んで帰った宝船が港に一列に留まっている様子を石で表現したものといわれている。
 
苔寺や金閣寺の庭園にも見られる形式で、平安から室町期までの池泉式庭園の特徴の一つとされている。
 
御香宮神社にある小堀遠州ゆかりの石庭
 
 
<北門>
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 御香宮神社は、近鉄の桃山御陵駅から大手筋商店街と反対の方向、国道24号線方向に向かって少し歩いた左側にあります。
 
 ここは伏見地域の産土神であり、神功皇后を主祭神とし、その神話における伝承から、安産の神として広く信仰を集めています。
 
 貞観4年(862)に、境内に良い香りの水が湧き出し、これを飲むと病気が治ったという奇跡が起き、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝えられています。
 
 また、御香宮神社は、豊臣秀吉の伏見城築城の際には城内に移され鬼門の守護神とされ、のちに徳川家康によって元の位置に戻され本殿が建立されたという歴史があります。
 
 境内には徳川家康の再建による本殿、徳川頼宣の寄進による拝殿、徳川頼房(水戸光圀の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した表門など見どころが多く、社名の由来にもなった「御香水」は、名水百選にも選ばれ、週末などは、近所に住んでいるこのブログの管理人を含め、地元の人たちがペットボトルなどを持って、水汲みに訪れています。
 
 
 なお、社務所西側に、かつて小堀遠州が伏見奉行所内に作ったとされる石庭が造園家中根金作によって移設、再現されています。
 
 伏見奉行所は鳥羽伏見の戦いの戦闘で破壊されましたが、ここにはかつて小堀遠州が奉行所内に作った庭園がありました。
 
 明治以降、この敷地が軍の施設などに転用され、戦後、国道の工事などにより、庭園に置かれていたと伝える石などが、この御香宮に移設され、その後、昭和を代表する庭園研究家で妙心寺の退蔵院の余香苑などをつくった中根金作氏によって、社務所裏に石庭が再現されました。
 
 
 
 
2 石庭
・社務所入口
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・文明9年(1477)の銘のある手水鉢
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<石庭の由緒>
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・元和97月、小堀遠州が伏見奉行になり、庁舎の移転新築を命ぜられた。そこで遠州は得意の造園の腕をふるい、数奇を凝らし風雅を尽くした立派な庭園を造った。寛永11年上洛した三代将軍家光をここに迎えた時、そのあまりにも立派なのに感嘆して禄高5千石を加増され、ここに一躍大名に出世した。
 
・明治維新になり奉行所が廃止されその跡に工兵隊が出来たとき、庁舎はもちろんその庭園も取りつぶされて、わずかに小さい池と築山だけが残っていた。
 
・それが終戦後国道24号線により取り払われることになったので、その庭石の払い下げを受けて、ここに新たに造園した。
 
・その中に文明9年(1477)の銘のある珍しい見事な手水鉢がある。
 
・また、後水尾上皇から「所からの藤」と仰せられた銘木とその由緒を誌した石の碑も共にここに移した。
 
・この石庭は遠州流の手法を現代的に生かした枯山水で、中根造園研究所長中根金作氏の庭にかかる。
 
 
 
3 御香宮神社について
(1)社名の由来と御香水
 貞観4年(862)に、境内に良い香りの水が湧き出し、これを飲むと病気が治ったという奇跡が起き、清和天皇から「御香宮」の名を賜る。
 
・御香水
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 環境省から「日本名水百選」に認定されている。
 
 
(2)伏見城の築城と御香宮
 秀吉の伏見城築城の際には城内に移設され、伏見城鬼門の守護神とされたが、後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が建立された。
 
 
(3)本殿(重文)
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徳川家康の再建。五間社流造。
 
 
(4)拝殿(京都府指定文化財)
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 寛永2年(1625)、徳川頼宣が寄進。割拝殿。入母屋造、本瓦葺。
 
 
(5)表門(重文)
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 元和8(1622)、徳川頼房(水戸光圀の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進したものと伝えられる。
 
 
(6)「明治維新 伏見の戦跡」の石碑
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 御香宮は、明治元年(1868年)に起こった鳥羽伏見の戦いの際に、薩摩軍の屯所になった。
 
 ここから、新選組や会津などの幕府軍が陣取っていた伏見奉行所と対峙し、激しい戦闘が繰り広げられた。なお、この戦いで本殿等の被災は無かった。
 
 
(7)神幸祭(通称「伏見祭」)
 929日〜107日まで行われる。伏見九郷の総鎮守の祭礼で洛南随一の大祭といわれている。
 
 
 
(8)祈願絵馬
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4 京都検定の出題歴
 
平成18年度2
【問】慶応4年〔1868〕正月の鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所に陣取った新選組など幕府軍に対して薩摩軍が本陣とし、現在「明治維新 伏見の戦跡」の石標が建つのはどこか。
(ア)城南宮 (イ)御香宮 (ウ)藤森神社 (エ)安楽寿院
 
【正解】(イ)
 
 
 
5 練習問題
(1)伏見の( 1 )といわれている。
 
(2)社名の由来
 貞観4年(862)に、境内に良い香りの水が湧き出し、これを飲むと病気が治ったという奇跡が起き、( 2 )から「御香宮」の名を賜る。
 
(3)伏見城の築城と御香宮
 豊臣秀吉の( 3 )築城の際には城内に移され鬼門の守護神とされた。のちに徳川家康によって元の位置に戻され本殿が建立された。
 
(4)本殿
( 4 )の再建。( 5 )造。重文。近年、本殿が修復され、狩野派の極彩色の壁画が390年ぶりによみがえった。
 
(5)表門
 伏見城の( 6 )を移築したもの。見事な彫刻。桃山時代の雰囲気。重文
 
(6)( 7 )ゆかりの枯山水の庭
 社務所の奥にある。
 
(7)( 8 )
 日本名水百選に選ばれた。
 
(8)「( 9 )」
 10
月の( 10 )祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼で洛南随一の大祭。
 
【正解】
1
氏神
2
清和天皇
3
伏見城
4
徳川家康
5
五間社流
6
大手門
7
小堀遠州
8
御香水
9
伏見祭
10
神幸
 
円山公園と「祇園小唄」歌碑とカワセミ
 
 
・円山公園
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円山公園は、八坂神社の東、東山を背に、八坂神社、知恩院に隣接して広がり、年間を通じて観光客が多く訪れ公園です。
 
ここは明治19年(1886)に開設した京都市内で最も古い公園で、現在、国指定名勝となっています。
 
このあたりは、もとは八坂神社、知恩院、安養寺、長楽寺の境内地で、公園として整備されたのは明治19年に京都府が円山一帯を公園地に指定してからです。建築家としても有名な武田五一が公園作庭の計画をまとめ、平安神宮神苑などの作庭で有名な小川治兵衛が池泉回遊式庭園を中心とした円山公園の造営を行いました。
 
明治22年の市制施行とともに管理が京都市に移され、現在も京都市によって管理されています。
 
なお、円山公園の「円山」は、このあたりに広がっていた慈円山安養寺の「円山」からそう呼ばれるようになったと伝えられています。
 
 
たまたま、池の中の石の上にカワセミが飛来しているのを見つけました。
 
嵯峨野や山科川にカワセミが来ると聞いたことがありますが、円山公園にカワセミが来ているのは意外でした。
 
 
 
 
2 園内
 
①園内の池
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②カワセミイメージ 3
 
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③「祇園の枝垂れ桜」
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近年勢いが若干衰えているものの、満開の頃は風情がある。
 
なお、広大な回遊式庭園にはシダレザクラのほかにソメイヨシノなど約700本もの桜が咲き誇り、このあたりは京都随一の桜の名所といわれる。
 
 
③坂本龍馬と中岡慎太郎像
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龍馬は立ち、慎太郎は左手に刀を握り、片膝をついている。
 
昭和11年京都高知県人会有志によって建立され、第二次大戦中に撤去されたが、昭和37年に再建された。
 
 
④善導寺形杜石燈籠
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⑤「祇園小唄」歌碑
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歌碑は、吉うたの2代目女将が関係者の協力のもと、昭和361123日につくられた。デザインは、洋画家の和田三造による。
 
祇園小唄は、お茶屋で芸・舞妓が舞い、また歌舞練場の舞台でも流れる古典的な名曲。作曲は佐々紅華。
 
<由来>
・説明板
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作詞家の長田幹彦が、昭和3年(1928)に、祇園のお茶屋「吉うた」で作詞したといわれている。その2年後に映画「絵日傘」の主題歌に使われ、それから大ヒットして歌われるようになった。
 
平成14年に第1回祇園小唄祭が行われた。
 
その記念として歌碑の側に説明が立てられた。
 
 
 
●「祇園小唄」
 
作詞:長田幹彦
作曲:佐々紅華
 
1番)
月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
偲ぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ
 
 
平成15年以降は、京都伝統伎芸振興財団主催で毎年行われている。
 
※長田幹彦
「祇園夜話」、「青春時代」などの作詞で知られた当時のベストセラー作家。
 
 
 
3 円山公園の開設までの経過
<説明板>
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現在の円山公園一帯は、昔は一面真葛やすすきなどが生い茂り、真葛ヶ原と呼ばれていた。
 
現在の円山公園の敷地は、もとは、主に八坂神社の裏庭と、時宗三山(安養寺、長楽寺、双林寺)の境内だった土地で構成されている。特に安養寺から召し上げられた敷地が広かったという。

・なお、「円山」の名の由来は「慈円山安養寺」による。
 
このあたり一帯は明治初期に官有地とされ、現在の園地計画は武田五一がまとめた。
 
明治19(1886)、京都府は円山一帯を公園地に指定し、同22年市制が施行されると同時に京都府から京都市の管理に移された。
 
・この後何度か拡張工事を行い、大正2(1913)に小川治兵衛の手により現在の中央に池を配した池泉回遊式日本庭園に造りかえられたのが現在の円山公園となっている。
 
坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像などもある。
 
・国指定名勝に指定されている。
 
 
 
4 七代目小川治兵衛
 
近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称「植治」(屋号)。
 
植治は、明治初期、京都東山・南禅寺界隈に新たに形成された別荘地において、東山の借景と琵琶湖疏水の引き込みを活かした近代的日本庭園群(南禅寺界隈疏水園池群)を手掛けたことで名高い。
 
明治27年、植治は並河靖之邸の七宝焼き工房に研磨用として引きこんだ疏水を庭園に引く。次いで山縣有朋の求めに応じて、庭園用を主目的として疏水を引きこんだ無鄰菴の作庭を行う。
 
これを草分けとして、植治は自然の景観と躍動的な水の流れをくみこんだ自然主義的な近代日本庭園を数多く手がけて、それらを設計段階から資材調達、施工、維持管理まで総合的に引き受けていく。
 
植治は、平安神宮・円山公園・無鄰庵(山縣有朋公邸)・清風荘(西園寺公望公邸)・対龍山荘(市田弥一郎邸)・等国指定名勝指定庭園の作庭、さらに古河庭園、平安神宮、京都博物館前庭、野村碧雲荘などや住友家(有芳園・茶臼山邸・鰻谷邸・住吉・東京市兵町邸)・三井家・岩崎家・細川家等数多くの名庭を残す。
 
そのほか、京都御苑と御苑内御所・修学院離宮・桂離宮・二条城・清水寺・南禅寺・妙心寺・法然院・青蓮院・仁和寺等の作庭および修景も手がけた。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より引用)
 

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