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京の庭園めぐり

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旧九條邸跡に建つ拾翠亭と九条池(勾玉池)
 
 
 京都御苑の南西部、堺町御門から入って左手に九条池(勾玉池)があります。
 
 このあたりは、かつては五摂家の一つであった九條家の屋敷があり、九条池は、屋敷内に安永7年(1778)頃につくられた庭園の遺構です。
 
 この庭園は、東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一に造られたと伝えています。
 
 また、拾翠亭は江戸時代後期(寛政年間)に九條家の屋敷内に茶室として建てられたもので、主に茶会や歌会など、貴族や公家、文化人の社交の場として利用されていました。
 
 この建物は数奇屋風の建築で五摂家の名残を伝える貴重なものといわれています。
 
 池の周辺には百日紅が植えられ、真夏は特に池の周りの風景を際立たせていますが、初夏のフジやツツジもまたきれいです。
 
 
1 場所
 
2 旧九條邸跡
<説明板>
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・九條家は五摂家の一つで、平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政や関白につきました。その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子(さだこ)もその一人です。
 
・江戸末期、米総領事ハリスの通商条約締結要請に対し徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の孝明天皇は反対でした。
 
・折りしも京都市内では、幕府と朝廷とのさまざまな交渉が行われ、時の関白九條尚忠の邸もその舞台の一つとなりました。
 
・広大だった屋敷も、今では池の畔の茶室の拾翠亭と九條邸の鎮守だった厳島神社が中島に残るばかりです。
 
●標柱
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3 拾翠亭と九条池(勾玉池)
 
①拾翠亭入口
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②拾翠亭と池を彩る花
 
・拾翠亭と霧島ツツジとフジの花
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・拾翠亭とフジの花
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・ツツジと新緑
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拾翠亭
 
・江戸時代後期(寛政年間)に茶室として建てられたもの。
 
・主に茶会や歌会など、貴族や公家、文化人の社交の場として利用されていた。
 
・数奇屋風の建築で二層の外回りには、縁高欄(えんこうらん)と言う手すりが施されており、また屋根の形も「切妻造」「入母屋造」が組み合わされて、簡素な中にも貴族的な優美な外観を呈している。
 
・春から秋にかけての毎週金・土曜日に一般公開されている。
 
城南宮の神苑「楽水苑」の5つの庭と「春の山」のしだれ梅
 
 
 
城南宮は、名神高速道路の京都南インターチェンジの南側、国道1号線に沿った東側にあります。最寄りの駅は近鉄京都線の竹田駅で、その南西約1kmのところにあります。
 
・城南宮
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 ここは、神功皇后の頃の創建といわれ、古くから「方除けの大社」として知られています。最近は、交通安全の神様としても広く知られ、7月にはマイカーの「茅の輪くぐり」という行事があり、京都では城南宮の交通安全のステッカーを貼った自動車もよく見かけます。
 
  3月中旬に訪れた時、鳥居の近くのしだれ梅と社殿を取り囲むように作られた神苑「楽水苑」の庭の一つ、「春の山」に植えられたしだれ梅が、きれいに咲いていました。
 
・鳥居としだれ梅
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・社殿としだれ梅
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  神苑「楽水苑」
「楽水苑」は、造園家・庭園研究家として名高い中根金作さんによる庭園で、社殿を取り囲むように作られた「春の山」「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」「離宮の庭」 
と名づけられた5つの庭から成っています。
 
  それぞれの庭にはその時代の特徴と情趣を表しています。伏見の地下水を引き入れて作られ、苑内は『源氏物語』に登場する100余種の植物が植えられています。
 
・案内板
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(1)「春の山」と「平安の庭」
 社殿に向かって左側に「楽水苑」の入口があり、拝観券を購入してまっすぐ行くと、「春の山」があります。
 
①「春の山」のしだれ梅  
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しだれ梅が満開の頃が一番素晴らしい。
 
 
平安の庭
社殿の後方を回り込むように散策路があり、その先に大きな池を中心にした「平安の庭」が広がります。
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アセビ(馬酔木)
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●遣水(やりみず)
 429日と113日、王朝の雅を今に伝える「曲水の宴」が行われる。
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(2)「室町の庭」と「桃山の庭」と「城南離宮の庭」
境内の南側、参道を渡って、拝観入口を入ると、右手に「室町の庭」と「桃山の庭」がある。
 
①「室町の庭」
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 茶室(楽水軒)の前には礼拝石、池中央の蓬莱島の奥には三尊石と、風格のある石組みが配されている。早春の梅、春のしだれ桜が美しい。
 
 
②「桃山の庭」
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水を使わずに、ソテツの木と刈り込みを中心とした芝生の庭。春のしだれ桜が素晴らしい。
 
 
③「城南離宮の庭」
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散策経路の最後にある庭で、離宮の風景と建物を石組で表した枯山水の庭園。
 
 
3 中根金作(1917- 1995年)
「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家、作庭家。
 
●京都にある中根金作の作庭による庭園
・城南宮楽水苑
 
・退蔵院余香苑
 
 
4 城南宮近くにある見どころ
 また、城南宮の近くには白河上皇、鳥羽上皇が造営・院政を行った鳥羽殿(鳥羽離宮)跡が公園として整備され、鳥羽上皇の御願によって創建された安楽寿院や、豊臣秀頼によって再建された多宝塔のある近衛天皇安楽寿院南陵が残っています。また、承久の変の際に後鳥羽上皇が兵を集めたのもこのあたりとされ、幕末の鳥羽・伏見の戦いでは、この近くが戦場となりました。
 
平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松内府の園池」と伝える積翠園の冬景色
   
 
積翠園は東山武田病院(旧:京都専売病院)の敷地内にある庭園です。
 
・病院入口
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 ここを突き抜けると、庭園が広がっています。
 
 
積翠園は、平安時代末期の治承期に平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられています。
 
江戸時代には妙法院境内の庭園となり、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、京都専売病院を経て、現在は東山武田病院の庭園となっています。
 
 京都市内で平安時代末期に作庭され現存する庭は数少ないことから、貴重な遺構であるといわれており、このような貴重な庭園が病院の付属の庭園として広く開放され、受付から無料で入園することができるというのも大変ありがたいことです。
 
 この庭園は四季折々の美しい景観を楽しむ事ができるところです。
 
また、地元でもあまり知られていないため、静かに散策する事ができます。
 
 
 
 
 
2 積翠園のようす
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「夜泊石」と呼ばれる5つの小岩が岸に沿ってまっすぐに並んでいる。
 
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・休憩所「積翠亭」
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3 沿革
<積翠園の説明板>
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・平安時代末期の治承期に、平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられている。
 
・江戸時代には妙法院境内の庭園となっており、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、現在は東山武田病院の庭園となっている。
 
 
●庭園の特色
 回遊式庭園で、東西に池が広がり、東側に大島、西側に小島と2つの島がある。
 
大島の南側の水面には、「夜泊石(よどまりいし)」と呼ばれる5つの小岩がまっすぐに並んでいる。
 
夜泊石とは、中国の蓬莱思想に基づいて、仙人が住むとされる蓬莱山に島を見立て、不老不死の妙薬を積んで帰った宝船が港に一列に留まっている様子を石で表現したものといわれている。
 
苔寺や金閣寺の庭園にも見られる形式で、平安から室町期までの池泉式庭園の特徴の一つとされている。
無鄰菴(むりんあん)の冬枯れの庭園と洋館
 
 
無鄰菴は、南禅寺の西側、琵琶湖疏水のほとりにあります。
 
ここは、もとは山県有朋の京都の別邸でした。
 
・山県有朋
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 庭園は山県有朋の設計・監督によって、明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)が作庭した池泉回遊式庭園です。
 
庭園の一角にある洋館は明治31年に建てられ、ここでは日露開戦直前の日本の外交方針に関する会議として知られる無鄰会議が行われました。
 
現在は 京都市 の所有になっており、 京都市 営地下鉄1日乗車券(600円)を購入すると、ここの入場料金が100円引きの250円になります。
 
 12月中旬に訪れましたが、冬枯れの庭園には観光客の姿も無く、静かな庭園を独り占めすることができました。
 
 
1 場所↓
 
 
2 アクセス
南禅寺方面から道路渡り、塀に沿って進むと入口がある。
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3 門内のようす
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・受付
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4 庭園
・山県自身が設計・監督し、明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)が作庭した池泉回遊式庭園。
 
・東山を借景とし、疎水の水を取り入れた水の流れがゆったりと流れ、東端には醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝がある。
 
・昭和16(1941)に 京都市 へ寄贈され、昭和26(1951)に明治時代の名園として国の名勝に指定されている。
 
 
<冬枯れの庭園の様子>
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①簡素な木造二階建の母屋
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②薮ノ内流の燕庵を模して造られた茶室
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③レンガ造りの洋館
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 母屋の南側。洋館は、明治31年の建築で、この洋館2階の間は、しばしば要人との会見に用いられた。
 
日露戦争開戦前の1903年(明治36年)421日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた。その時の顔ぶれは、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎であった。この四者によって日露開戦直前のわが国の外交方針に関する無鄰会議が行われたという歴史的な場所として知られている。
 
・無鄰会議
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この無鄰会議が開かれた当時の椅子・テーブルがそのまま置かれている。
<室内>
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5 沿革
<駒札>
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 もとは明治・大正の元老であった山県有朋の京都の別荘で、明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて造営された。
 
 その後、昭和16年(1941)に京都市へ寄贈され、同26年(1951)に、庭園が明治時代の名園として、国の名勝に指定された。
 
 

南禅院と冬枯れの庭園

南禅院と冬枯れの庭園
 
 
南禅院は南禅寺の境内、「水路閣」と呼ばれる琵琶湖疏水事業の一環として建設されたレンガ造の水路橋をくぐって、石段を上がったところにある南禅寺の塔頭です。
 
ここは今から750年ほど前の鎌倉時代の中頃、亀山天皇が離宮禅林寺殿を造営し、その「上の宮」跡であったところで、南禅寺の発祥の地といわれています。
 
南禅院の庭園は鎌倉時代後期の池泉回遊式庭園で、亀山法王によって作られ夢窓疎石によって完成された京都で唯一の鎌倉時代の名園といわれ、特に新緑と紅葉が素晴らしいことで知られています。
 
観光シーズンが終わった12月中旬、南禅寺を久しぶりに訪れてみました。広い南禅寺境内には観光客も少なく、水路閣をくぐって石段をあがり南禅院の拝観受付をして方丈前に出ると、朝日を浴びた庭園がとてもきれいでした。まわりを深い樹林に包まれ、鳥のさえずりだけが聞こえる静かな庭園を散策して、気持が癒される思いがしました。
 
 
1 場所
 
 
2 境内
①拝観受付へ
水路閣近くの石段を上ると表門があり、その前を塀に沿って進むと受付がある。受付は方丈と続いた建物になっている。
 
・拝観受付
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中に入ると、拝観順路は左手に、方丈の前(西側)を回りこむように続いており、方丈前から庭園(下池)と表門が見える。
 
ここの庭園は、方丈の西側の下池と南側の上池からなり、上池は滝口の石組みが組まれ、曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島(鶴島)と亀島があり、下池には心字島が設けられている。
 
 
②方丈前から見た景色
・庭園(下池)
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・表門
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③方丈と引き続く建物
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・元禄16年(1703)に徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建された。
 
・内部の襖絵は狩野派によるもの。
 
・内陣中央には、亀山法皇の木像(重文)が安置されている
 
 
④亀山法皇廟所
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 庭園の東南隅に建つ廟。亀山法皇の遺言により分骨された遺骨を埋葬。
 
 
⑤一山国師塔
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一山一寧(いつさんいちねい=妙慈弘済大師)を祀る。後宇多法皇の懇請により南禅寺第三世となるなど、学芸百般に通じた高僧といわれた。
 
 
⑥庭園(上池)
方丈の南側に広がる。滝口の石組みが組まれ、曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島(鶴島)と亀島がある。
 
・滝口の石組み
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・上池
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・まだ残っていた紅葉
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3 南禅院庭園
鎌倉時代後期の池泉回遊式庭園で、亀山法王が離宮を営んだ時期に、亀山法王によって作られ夢窓疎石によって完成された京都で唯一の鎌倉時代の名園といわれている。
 
天龍寺の庭園、苔寺の庭園と共に京都の三名勝史跡庭園の一つといわれている。
 
足利義持が北山殿の寝殿を移建した際、池や敷地を縮小。応仁の乱で焼失、荒廃。その後徳川綱吉の母桂昌院らにより再興。
 
国の史跡および名勝に指定。
 
 
4 寺宝
①木造亀山法皇坐像(重文)
南禅寺の開基亀山法皇の肖像彫刻で、現存する天皇の肖像彫刻としては最古のもの。
 
②木造一山一寧坐像
 
 
5 南禅院の沿革
・鎌倉時代の中頃、文永元年(1264)、亀山天皇は離宮禅林寺殿を造営。
 
・その後、天皇は禅宗に帰依、出家し法王となり、離宮を禅寺に寄付して、東福寺の大明国師を開山に、開基を亀山法王とした。
 
・応仁の乱で被災、荒廃していたが、元禄16年(1703)、徳川綱吉の母桂昌院の寄進により再建されている。方丈内陣中央には亀山法皇木像が安置されている。
 
・南禅院は、離宮「上の宮」の遺跡で、南禅寺の発祥の地であるといわれる。

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