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秋の室生寺と境内

秋の室生寺と境内
 
 
室生寺は奈良盆地の東方、三重県境に近い山間部の宇陀市室生の地にある真言宗室生寺派大本山の寺院です。
 
宇陀川の支流である室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が点在し、ここに平安時代前期の建築や仏像を伝え、女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」とも呼ばれてきました。
 
境内はシャクナゲの名所としても知られ、室生山の斜面一体に生育している暖地性シダ群落は、国の天然記念物に指定されています。
 
室生寺は天武天皇9年(681)役行者によって開かれ、後に弘法大師によって伽藍の整備が行われたと伝えられています。江戸時代になって興福寺の法相宗から独立して、真言宗寺院となりました。また、女人の入山が許されたことから「女人高野」と呼ばれてきました。
 
近世には5代将軍徳川綱吉の母桂昌院の寄進で堂塔が修理されています。
 
昭和39年には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派の大本山となって、現在に至っています。
 
 境内には金堂、五重塔などの伽藍、本尊釈迦如来像や十一面観音立像など数多くの国宝、重文が残されています。
 
 去年の秋、紅葉の始まりの頃に訪れた時の様子です。
 
 
※場所↓
 
 
●室生川の清流にかかる太鼓橋
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●表門
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●仁王門
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●よろい坂
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 仁王門をくぐり、よろい坂と呼ばれる急な石段を上がって、金堂・弥勒堂へ向います。
 
よろい坂を上がっていくと、柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に次第にせりあがっていきます。金堂の左に、弥勒堂があります。
 
 
●金堂(平安時代、国宝)
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屋根は寄棟造、柿葺き。堂は段差のある土地に建っており、建物の前方部分は斜面に張り出して、床下の長い束(つか)で支えている。このような建て方は「懸造(かけづくり)」といわれ、山岳寺院によく見られます。
 
堂内には向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立っています。
 
・金堂の諸仏
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・十一面観音立像(国宝)
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●弥勒堂(鎌倉時代、重文)
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堂内中央の厨子に本尊弥勒菩薩立像(重文)を安置し、向かって右に釈迦如来坐像(国宝)を安置する。
 
・本尊弥勒菩薩立像(重文)
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・釈迦如来坐像(国宝)
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さらに石段を上ると本堂(灌頂堂)、その上に五重塔がある。
 
 
●本堂(灌頂堂)(鎌倉時代、国宝)
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鎌倉時代後期、延慶元年(1308)の建立。屋根は入母屋造、檜皮葺き。堂内中央の厨子には本尊の如意輪観音坐像(重文)を安置し、その手前左右の壁には両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)を向かい合わせに掛ける。この堂は灌頂堂(かんじょうどう)とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂とされる。
 
・本尊の如意輪観音坐像(重文)
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・本堂と五重塔
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●五重塔(平安時代初期、国宝)
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800年頃の建立。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺の塔に次ぎわが国で2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小とされる。
 
高さは16m強で興福寺五重塔の約3分の1と小さく、通常の五重塔は、初重から1番上の5重目へ向けて屋根の出が逓減(次第に小さくなる)されるが、この塔は屋根の逓減率が低く、1重目と5重目の屋根の大きさがあまり変わらない。
 
その他、全体に屋根の厚みがあること、屋根勾配が緩いこと、小規模な塔の割に太い柱を使用していることなどが特色といわれる。
 
通常塔・最上部の九輪の上に「水煙(すいえん)」という飾りが付くが、この塔では水煙の代わりに「宝瓶(ほうびょう)」と称する壷状のものが乗っているのも珍しい。
聖林寺と国宝の十一面観音菩薩立像
 
 
・聖林寺
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聖林寺は奈良県桜井市の市街地の南方の多武峰山麓の高台にある真言宗室生寺派の寺院です。ここは国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られています。
 
寺伝によれば、和銅5年(712)に妙楽寺(現在の談山神社)の別院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建し、平安時代に興福寺の僧兵に焼かれて衰微した後、鎌倉時代に再興されたと伝えています。
 
聖林寺の本堂に安置されている本尊の彩色子安延命地蔵菩薩坐像は、江戸時代の元禄期に文春諦玄が但馬の国の石工に命じて作らせた巨像で、その霊験あらたかなことから、昔から安産と子授けの祈願に訪れる人も多いそうです。
 
本堂から廊下を伝って観音堂に行くと、今では天平彫刻の傑作としてあまりにも有名になった十一面観音立像(国宝)が安置されています。
 
この像は、明治の神仏分離令を前に慶応4年(1868年)に大神神社の神宮寺であった大御輪寺から移されたものです。なお、大御輪寺は明治期以降、大直禰子(おおたたねこ)神社となって建物が現存しています。
 
聖林寺境内から北方に三輪山や箸墓古墳をはじめ大和盆地東側を見渡すことができ、はるかな時の流れを感じることができます。
 
 
※場所↓
 
 
1 境内
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2 本尊・石造地蔵菩薩坐像
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 江戸時代作の石造彩色像。
 
子安延命地蔵と称され、子授けの地蔵として親しまれている。
 
 
 
3 木心乾漆十一面観音立像(国宝)
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・大神神社の神宮寺であった大御輪寺から移された客仏。像高約209cm。木彫りで像の概形を作り、その上に木屑漆(こくそうるし、漆に木粉等を混ぜたもの)を盛り上げて造像する木心乾漆像で、奈良時代末期の作。
 
・明治時代に来日した哲学者、美術研究家のアーネスト・フェノロサがこの像を激賞したことで知られるようになった。
 
・和辻哲郎は著書『古寺巡礼』でこの像を天平彫刻の最高傑作とほめたたえている。
 
 
●祈願絵馬
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 十一面観音の絵が印象的。
   
 
4 境内からの眺望
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 箸墓古墳や三輪山方面が良く見えます。
 
 
 
5 沿革
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聖林寺の近世までの歴史は不明の部分が多いが、妙楽寺とともに、大神神社とも関連が深い寺院であったと思われる。江戸時代には性亮玄心(しょうりょうげんしん)が三輪山の遍照院を移して再興したという。
 
江戸中期には現在の本尊・子安延命地蔵菩薩像が造像され、安産・子授けの祈祷寺としても栄える。この地蔵像は元禄期(1688 - 1703)に、文春諦玄という僧が、女性の安産を願って各地に勧進し造立したものである。
 
明治の神仏分離令を前に慶応4年(1868)に大神神社の神宮寺であった大御輪寺(だいごりんじ/おおみわでら)より十一面観音菩薩立像が移された。
宇陀市宇陀松山の町並み
 
 
奈良県には、橿原市の今井町とともに、宇陀市宇陀松山地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 
宇陀松山地区は、宇陀川に沿って緩やかにカーブを描いて南北に伸びる通りに、江戸時代から昭和前期にかけて建てられた建物が続き、地区の東に位置する古城山などが一体となって、歴史的な景観が見られます。
 
宇陀市の大宇陀は、飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれる宮廷の狩場でした。松山地区はこの地の豪族で戦国時代に宇陀三将の一人と称された秋山氏が古城山に秋山城を築城して山麓に町場を形成したことから始まります。
 
やがて天正13(1585)に豊臣秀長が郡山城に入ると、秋山氏は伊賀国へ追放され、替わって豊臣家配下の大名によって城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、慶長5(1600)の関ヶ原の合戦後、福島孝治が領主となりましたが、この頃、城は松山城、町名も阿貴町から松山町へと変わりました。現在の松山地区は、このときの城下町の町割りを骨格としています。宇陀松山城の往時をしのぶ唯一の建物として、国の史跡に指定されている西口関門もこのときに建立されました。
 
※場所↓
 
宇陀松山の町並みと松山城跡のある山
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・西口関門
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その後、元和元年(1615)に福島氏は改易となり、松山城は幕府の命により破却され、織田信長の次男、信雄(のぶかつ)が松山藩の藩主となり、屋敷が置かれた。その後、元禄8(1695)に丹波国柏原への国替えまで4代に渡って織田氏の藩政時代が続いたあと、松山町は天領となりました。
 
交通の要衝であった松山町は「宇陀千軒」「松山千軒」と呼ばれ、江戸時代から活況を呈するようになっていきました。
 
近代に入ってからは、松山地区は明治時代に郡役所や裁判所が置かれるなど、郡の政治・経済の中心地となりました。
 
●町並み
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・吉野葛の製造本舗
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・古民家カフェ
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・格子戸に菊の花がきれい
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・レトロな街並みが続く
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・古い道標
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大神神社と二の鳥居近くにある「そうめん処森正」
 
 
奈良盆地の東側、三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社は、最近はパワースポットとしても人気がある神社です。
 
もともとこの神社は、三輪山を神々の宿る神聖な山としてあがめた原始信仰に起源を持ち、三輪山そのものを神体とし、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る形態を残し、日本最古の神社の一つともいわれています。
 
祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、国造りの神様として、また、酒造、医薬、方除など生活全般の守護神とされています。
 
ここは大和国一宮でもあり、初詣も賑わうところです。今回は、ここの見所と、寒い中で名物の三輪そうめんをいただくおすすめのお店をご案内します。
 
 
※場所↓
 
 
1 神社へのアクセス
 
 電車の場合はJR の三輪駅 から参道入口の二の鳥居に向かいます。
 
 マイカーの場合は国道169号から大神神社の巨大な鳥居をくぐって神社に向います。大鳥居の近くに駐車場があります。
 
●大鳥居
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高さ約32m。昭和59年に建立。
 
・三輪山と大鳥居
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・大鳥居わきにある有名な「みむろもなか」
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2 境内
 
●二の鳥居
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  ここより奥は、参道の両側は木々が生い茂り、森のようになっている中を拝殿まで向う。
 
 
●巳の神杉
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 三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名づけられたご神木。蛇の好物の卵と酒が参拝者によってお供えされている。
 
 
3 拝殿(重文)
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 寛文4年(1664)徳川家綱による再建。当神社は三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神祀りの姿をとどめる。
 
 
●三ツ鳥居(重文)
神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式の鳥居。
 
拝殿の外からは見ることができないが、参集殿(拝殿に向って左側)で申し込めば、無料で拝観できる。ただし、写真撮影は禁止。
 
 
・拝殿に吊り下げられた「杉玉」
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4 秋の菊花展
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5 沿革
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・桜井市にある神社である。式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。
 
・大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。
国造りの神様として、また、酒造、医薬、方除など生活全般の守護神とされている。
 
・日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。
 
・三輪山そのものを神体として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。
 
・拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。
 
 
≪二の鳥居近くにある「そうめん処森正」で、にゅうめんをいただく≫
 
●場所
二の鳥居の手前、左手に向う道に入ってすぐ左にあります。
 
旧家をそのまま利用したお店で、麻の暖簾をくぐって中へ入ります。
 
庭先に大きな木の机が置かれ、10月末に訪れたときはここが客席でした。雰囲気は良かったのですが、冬はさすがに店内で食べるのでしょう。
 
ここで、にゅうめんと自家製柿の葉ずしをいただきました。
 
●店の前
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●店内
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●にゅうめんと自家製柿の葉ずし
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≪お店のデータ≫
・住所 桜井市三輪535
・電話 0744437411
・営業時間 平日10001700、冬季10001630
      休日9001700
・定休日 毎週火曜日
(毎月1日と祝日が当たる場合は営業だが、不定休の場合あり)
 
奈良の大宇陀にある阿紀神社
  
 
阿紀神社は大宇陀の市街地から南西に約500m、迫間(はさま)という地区の本郷川のすぐ西にある神社で、境内は杉木立に覆われ、神明造の本殿のほかに能舞台があります。
 
社伝によれば、神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わり、その後、安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められたと伝えています。
 
この神社は能楽とのかかわりが深く、ここで能が上演されるようになったのは、宇陀松山藩織田家3代藩主長頼の寛文年間(166173)といわれています。
 
この能舞台では毎年6月に「あきの蛍能」が行われます。
 
「蛍能」の名の通り、演目の途中で照明が落とされ、数百のホタルが放たれます。乱舞するホタルと薪能の幽玄の世界が楽しめるということで、今では全国的にも知られるようになりました。
 
舞台袖で放たれた数百匹の蛍が漆黒の空に舞い上がる様は非常に幻想的だといわれています。
 
訪れた日は大雨でしたが、霧も出ていて、あたりの雰囲気は幻想的でした。
 
 
※場所↓
 
≪周辺地図と沿革≫
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●本郷川沿いに神社へ向かう
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●神社入口と鳥居
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●能舞台
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 境内に入ると能舞台があり、境内の奥に神門、神明造の本殿があります。
 
 
●神門、神明造の本殿
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●神門
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●神明造の本殿
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 南向き、伊勢神宮と同じ建て方になっている。
 
・祭神 - 天照皇大神、秋田比売神、邇邇杵命、八意思兼神
・合祀祭神 - 天水分神、菅原道真、金山彦神、金山姫神
 
 
●石灯籠
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「神戸大神宮」と彫られた文字が見える。
 
 

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