京都検定合格を目指す京都案内

京都検定、がんばってください。ココロ京都、京都好きYahooブログもよろしく

奈良

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

中宮寺と国宝菩薩半迦像(伝如意輪観音)
 
 
中宮寺は法隆寺夢殿のすぐ隣にある山号を「法興山」と称する聖徳宗の寺院で、如意輪観音を本尊としています。
 
創建当初は現在地から約400m東にあり、そこは現在、国の史跡に指定されています。現在地に移転したのは、中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃と考えられています。
 
中宮寺はもともと聖徳太子が母后穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)のためにその宮殿を寺としたと伝えています。
 
また、中宮寺という名称の由来については、鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との記載によるものといわれています。
 
中宮寺は江戸時代初期の慶長7年(1602)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っています。
 
なお、中宮寺は円照寺、法華寺とともに、大和三門跡尼寺の一つとされています。
 
 
※場所↓
 
 
●法隆寺東院伽藍から中宮寺へ
夢殿などのある東院伽藍の鐘楼(国宝)の脇を通り、伝法堂の北側から中宮寺へ向かいます。
 
・中宮寺入口
イメージ 1
 
イメージ 2
 
入山受付をすませ、表御殿の脇をとおり、国宝菩薩半迦像(伝如意輪観音)が安置された本堂の前に出ます。
 
 
●表御殿
イメージ 6
 
イメージ 7
 
 
●手水舎
イメージ 9
 
イメージ 8
 鳳凰をかたどっているように見えます。
 
 
●中宮寺本堂
イメージ 10
 
イメージ 11
 本堂は昭和43年(1968)に建立した和風の現代建築で、設計は吉田五十八です。
 イメージ 4
本堂内部の中央に国宝菩薩半迦像(伝如意輪観音)が安置されており、ここでは十分に時間をとってじっくりと対面したいものです。
 
 
●中宮寺境内から見た法隆寺夢殿
イメージ 12
 土塀の向こう側は夢殿がある東院伽藍です。
 
●歌碑
・会津八一(秋艸道人)の歌碑
イメージ 3
 
 
 
●国宝菩薩半迦像(伝如意輪観音)  
イメージ 5
 本尊。飛鳥時代の作。像高132.0cm
 
 広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく比較されます。
 
 寺伝では如意輪観音ですが、これは平安時代以降の名称で、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと考えられています。
 
 国宝指定の際の官報告示は単に「木造菩薩半跏像」となっています。
 
材質はクスノキ材で、一木造ではなく、複雑につなぎ合わされたもので、当初は彩色され、別製の装身具を付けていたと思われています。
(以上、フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
 
また、中宮寺の公式HPには「国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれております。」と書かれています。
 
 
●天寿国繍帳残闕(てんじゅこくしゅうちょうざんけつ) (国宝)
 
聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と王妃橘大女郎が、聖徳太子の死去を悼んで、その天寿国に往生した様子を多くの采女らに刺繍させものと伝えています。
 
本品は断片とはいえ、飛鳥時代の染織の遺品としてきわめて貴重なものといわれています。現在、奈良国立博物館に寄託され、現在本堂に安置されているのは複製品です。
奈良の興福寺南円堂と北円堂
 
 
興福寺は、近鉄奈良駅の東側、東向商店街の東方に広がる奈良公園の中に建物が点在する、という感じのする法相宗の大本山の寺院で、現在中金堂の復元工事が行われています。
 
歴史をたどれば、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都四大寺、平安時代には南都七大寺の1つとして栄え、以後中世にかけて強大な勢力を誇りました。
 
なお、南円堂と北円堂は、寺域の西端近くに位置しています。
 
 
 
1 南円堂(重文)
 
南円堂は西国三十三箇所第9番札所として、年間を通じて多くの参詣客が訪れています。
 
※場所↓
 
 
●南円堂と周辺
 
・猿沢池から見た南円堂
イメージ 1
 
 
・南円堂正面
イメージ 2
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
 
・香炉
イメージ 10
 
イメージ 11
 
 
・手水
イメージ 12
 
 
・祈願絵馬
イメージ 13
 
 
●沿革
イメージ 14
 
・弘仁4年(813)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した。
 
・創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであったと伝えている。
 
・なお、現在の建物は寛政元年(1789)の再建。
 
・「古都奈良の文化財」の一部として1998年に世界遺産に登録された。
 
   
 
●主な仏像
・木造不空羂索観音坐像(国宝)
運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189)に完成。坐像で高さ336cmの巨像である。
 
・木造四天王立像(国宝)
鎌倉時代の作。南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていたが、20世紀後半の研究の進展により、現在中金堂(仮金堂)に安置されている四天王像が、もと南円堂にあった康慶作の像であり、現・南円堂の四天王像は他の堂から移されたものであることが明らかになっている。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より引用)
 
 
 
2 北円堂(国宝)
 
日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるお堂です。
 
1123日までの期間、内陣の特別公開が行われています。
 
無著・世親両菩薩、四天王像などの国宝の仏像を拝観できます。
 


※場所↓
 
 
●北円堂
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 
・特別開扉の案内
イメージ 6
 
 
●沿革
・養老5年(721)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。
 
現在の建物は承元2年(1208)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。
 
 
●主な仏像
・木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)
無著・世親の兄弟は5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖で、興福寺が属する法相宗では尊ばれている。本尊弥勒像と同じ頃、運慶一門の作。鎌倉時代のリアリズム彫刻の頂点をなす作品、日本の肖像彫刻の最高傑作の1つとして高い評価を得ている。
 
・木造弥勒仏坐像(国宝)
晩年の運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212)頃に完成したもの。
 
・木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像
弥勒仏の脇侍像だが、制作年代は室町時代。
 
 
・木心乾漆四天王立像(国宝)
他の諸仏より古く平安時代ごく初期の像という。
 
   
 
≪興福寺について≫
 
・藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669)山背国山階(現京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。
 
・壬申の乱のあった天武天皇元年(672)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
 
・和銅3年(710)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。
 
・その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。
 
・興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。
 
・平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」(なんとほくれい)と称された。
 
・寺の周辺には塔頭と称する多くの付属寺院が建てられ、最盛期には百か院以上を数えたが、中でも天禄元年(970)定昭の創立した一乗院と寛治元年(1087年)隆禅の創立した大乗院は皇族・摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えた。
 
・江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、明治元年(1868)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。
 
・子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった。
 
・行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。
 
・1998年に世界遺産に登録され、現在中金堂再建中。
(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)

東大寺二月堂

東大寺二月堂
 
 
二月堂は、東大寺大仏殿東方の丘陵地、東が高く西が低い傾斜地に、西を正面として建てられています。
 
この建物は、奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われることで知られています。
 
「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事で、旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることから「二月堂」の名があります。
 
二月堂は平重衡の兵火(1180)、三好・松永の戦い(1567)の2回の戦火には焼け残りましたが、寛文7年(1667)、お水取りの最中に失火で焼失し、それから1年足らず後の寛文9年(1669)に将軍徳川家綱の援助で再建されたのが、現存する建物で、2005年に国宝に指定されました。
 
本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏となっています。
 
二月堂は17世紀の再建ながら、修二会ともども、中世の雰囲気を色濃く残しているといわれています。
 
また、ここからの奈良の市街地や生駒山方面の眺めがすばらしく、夕日もまた捨てがたいものがあります。
 
 
※場所↓
 
●二月堂
 
・西正面イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 13
 良弁杉と興成(こうじょう)神社が見える。良弁杉は三代目。
 
 
・鹿 
イメージ 16
 
 
・二月堂南門と鹿
イメージ 17
 
 
・手水舎
イメージ 18
 
 
・二月堂
イメージ 19
 
イメージ 20
 
イメージ 21
 
イメージ 22
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
 
●二月堂からの眺望
 
・奈良市街方向
イメージ 5
 
イメージ 6
 
 
・大仏殿方向
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
 
・四月堂
イメージ 10
 
 
・興福寺五重塔
イメージ 11
 
 
・興成(こうじょう)神社
イメージ 12
 二月堂の鎮守社
 
 
・閼伽井屋(重要文化財)
イメージ 14
 
イメージ 15
 
霊水の湧く「若狭井」の覆屋。切妻造の簡素な建物で鎌倉時代の建立。榊と注連縄で厳重に結界されており、一般人の立ち入りはできない。
 
言い伝えによれば、東大寺二月堂を創建した実忠和尚が修二会で神名帳を読み、全国の神様を呼び集めているとき、若狭の遠敷(おにゅう)明神が釣りに夢中になり遅刻してしまい、そこで、遠敷明神は遅刻したおわびに本尊に供えるお香水を若狭から送ると約束し二月堂の下の岩をたたくと岩が二つに割れ、二羽の鵜が飛びだし、清らかな水が湧き出し、この水は若狭から地下を通ってきた香水だという。そこでこの湧水を「若狭井」と命名し、313日午前2時頃、ここで汲まれる水取りが「お水取り」の由来となったと伝えられている。
東大寺法華堂(三月堂)
 
 
 
法華堂は東大寺境内東方の丘陵部にあり、不空羂索観音立像(ふくうけんざくかんのんりゅうぞう)を本尊とする仏堂で、「三月堂」の通称で知られています。
 
東大寺は広大な境内があり、この法華堂がある東方の丘陵部には法華堂のほか、「お水取り」で知られる二月堂、東大寺開山の良弁の像を祀る開山堂など、多くの建物があります。
 
このあたりは、大仏開眼以前から東大寺の前身寺院があった場所で、法華堂は東大寺創建以前にあった金鍾寺の遺構であったとされ、東大寺建築のなかで最も古く貴重であり、安置される仏像群とともに天平文化を今日に伝えています。
 
仏像群のなかでは本尊の不空羂索観音立像のほか、日光・月光菩薩立像、執金剛神立像などが有名です。
(日光・月光菩薩像は東大寺ミュージアムに移動されています)
 
「法華堂」の名称、及び「三月堂」の通称の由来については、「毎年3月、この堂において法華会(ほっけえ)という行事が営まれるからである」といわれています。
 
 
平成238月1日から平成25年3月末日まで、修理のため拝観停止中で、本尊不空羂索観音立像と日光・月光両菩薩像は、今年10月にオープンした東大寺ミュージアムに移されて公開されています。
 
 
※場所↓
 
 
 
●建物
・正堂(左・奈良時代)と礼堂(右・鎌倉時代)
イメージ 1
 
イメージ 2
 
向かって左半分(北側)の4間分が奈良時代、右半分の4間分(南側)が鎌倉時代の建築。
 
・正面(礼堂)
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
手前に重要文化財に指定されている石灯籠がある。
 
 
 
●石燈籠(重文)
イメージ 6
 
イメージ 7
 
法華堂南正面に立つ。建長6年(1254)伊行末の銘がある。
 
 
 
 
●説明
イメージ 8
 
・東大寺最古の建物で、東大寺の前身である金鐘寺の主要伽藍の一つであったといわれる。
 
・不空羂索観音を本尊とするところから古くは羂索堂と呼ばれていたが、毎年3月に法華会が行われたことから、のちに法華堂と呼ばれるようになった。
 
・もとは寄棟造りの正堂(後方部分)と前方の礼堂と二つの部分からなり、当初は双堂形式の建物であったが、鎌倉時代、重源上人によって礼堂を入母屋造りに改築して2棟をつないだ。
 
・正堂は天平初期の建築だが、礼堂は大仏様の特色が見られる鎌倉時代の建築。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。
 
 
 
●堂内の仏像群
 
・不空羂索観音像(国宝)
イメージ 9
 以前のパンフレット。
 
脱活乾漆造。像高362.0cm。天平時代を代表する仏像彫刻の1つに数えられている。須弥壇中央部、八角形二段の壇上に立つ。像は三目八臂で額に縦に第三の眼を有する。8本の腕のうち2本は胸前で合掌し、両掌の間に水晶珠を挟む。
 
・現在、東大寺ミュージアムに安置されている。
イメージ 10
 
 
・日光菩薩・月光菩薩像(国宝)
塑造。像高は伝・日光菩薩が207.2cm、伝・月光菩薩が204.8cm2011年より東大寺ミュージアムに安置されている。亀井勝一郎が『大和古寺風物詩』で絶賛しているのをはじめ、古来多くの古美術愛好家に親しまれた像であるが、その伝来は不明。
 
 
・梵天・帝釈天像(国宝)
脱活乾漆造。像高は梵天が402.0cm、帝釈天が403.0cm
 
 
・執金剛神像(国宝)
 塑造。像高170.4cm。本尊背後の厨子に安置され、毎年1216日の開山忌にのみ開扉される秘仏。(23,24年度は公開されない)
 このほか、金剛力士像(乾漆)、四天王像(乾漆)、吉祥天・弁才天像(塑造)、不動明王二童子像(木造)、地蔵菩薩像(木造)などを安置。
奈良公園にある猿沢池と釆女(うねめ)神社
 
 
猿沢池は、奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360mの池です。
 
もとは、天平21年(749年)に造られた人工の池で、興福寺が行う「放生会」の放生池としても使われてきました。
 
猿沢池は市民や観光客の安らぎの場であり、池を隔てて興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良を代表する景色です。
 
秋の深まりのなかで木々が色づき、とてもきれいです。
 
 
※場所↓
 
 
●猿沢池
・南円堂と猿沢池
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 10
 
 
・釆女神社前から見た猿沢池
イメージ 11
 
 
・興福寺五重塔と猿沢池
イメージ 12
 
イメージ 13
 
イメージ 14
 
 
・池畔にある九重石塔
イメージ 15
 
イメージ 16
 
 
 
●釆女神社(うねめじんじゃ)
 
猿沢池のほとりにある釆女神社は、春日大社の末社です。猿沢池の西北の隅に鳥居を背にした珍しい後ろ向きの神社です。
 
・猿沢池畔にある釆女神社
イメージ 17
 
 
昔、帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しんだ采女が猿沢池に身を投げたため、その霊をなぐさめるために建てられたという伝説が残されています。
 
采女神社について、『大和物語』には、「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした。」と伝えられています。
 
・猿沢池側から見た鳥居と社殿
イメージ 3
 社殿は後ろ向きになっている。
 
 
・北側から見た社殿
イメージ 4
 社殿は猿沢池に背を向けている。
 
 
・猿沢池に背を向けている社殿
イメージ 5
 
 
・説明板
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
 
 
●采女祭
 
中秋の名月に併せて、夜には春日大社神官による厳かな神事の後、雅楽が流れるなか、2隻の管絃船が、猿沢池に浮かぶ40余りの流し灯籠の間をぬって池をめぐり、最後には花扇を池中に投じる雅やかな行事が行われます 。
  
 
●南都八景
「蔭涼軒日録」という、室町中期に京都相国寺鹿苑院内の蔭涼軒主が記した公用日記の中に「南都八景」として
 
南都有八景
 
1.東大寺鐘
 
2.春日埜鹿
 
3.南円堂藤
 
4.猿沢池月
 
5.佐保河蛍
 
6.雲居坂雨
 
7.轟橋旅人
 
8.三笠山雪
 
と記載されています。今でも見ることができるのは、1〜4と8くらいでしょうか。
 
 
●猿沢池の七不思議
イメージ 9
 
猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増えるいっぽうであるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。
 
 
猿沢池から興福寺方向へ、あるいは、最近町家を改装したカフェが増えてきた奈良町の方向へと、のんびりと歩いてみたいものです。

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
みやこ鳥
みやこ鳥
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事