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京の初夏の花

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山科川の土手でセンダンの花とタイサンボクの花が咲いています
 
 
 
5月後半から、京都では朝晩は涼しいものの日中は暑くなり、ひざしも強くなってきました。
 
山科川の土手を歩いていたら、センダンの木に淡い紫色がかった白い花が沢山ついているのを見つけました。
 
  咲いている花に近寄ってみると、とてもいい香りです。
 
よく見ると、タイサンボクも咲き始めています。
 
 
もうじき梅雨の季節になります。
 
花の移り変わりを見ていると、季節の移ろいがよくわかります。
 
 
山科川
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  センダンの花
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<センダン>
・ムクロジ目・センダン科の植物の一種。
 
・温暖な地域の、海岸近くや森林辺縁に多く自生する。背が高い上に、新芽・開花・実生・落葉と季節ごとの見かけの変化も大きく、森林内でも目立ちやすい。
 
5-6月頃に、若枝の葉腋に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につける。
 
・日本での別名としてアミノキ、オウチ(楝)などがある。
 
・「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)の諺でよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指す。
 
 
●タイサンボク(泰山木)
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<タイサンボク(泰山木)>
・モクレン科の常緑高木。
 
・北米中南部原産。花期は57月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。
 
・日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。
 
・タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。
 
大田神社と大田ノ沢のカキツバタ
 
 
上賀茂神社から東へ、明神川に沿って土塀と石塀で囲まれた社家が建ち並んでいます。
 
ここはかつての神官たちの住まいで、国の伝統的建造物群保存地区に指定されています。
 
・明神川沿いの上賀茂伝統的建造物群保存地区
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この地区を抜けてしばらく歩いたところに大田神社があります。
 
 
1 場所↓
 
 
2 大田神社
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大田神社は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社です。周辺の沼沢地を開墾して栄えた賀茂県主(かものあがたぬし)の崇敬を受けたといわれ、本殿に天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつり、古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれ、寿命長久の守護神として、また、縁結び、芸能上達の神として信仰を集めてきました。
 
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本殿は一間社流造という建築様式で、拝殿は「割拝殿」(わりはいでん、中央が吹き抜けて通れる拝殿)という古い形式です。
 
 
 
3 大田ノ沢のカキツバタ群落
 
・石標
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当社参道脇の「大田ノ沢」約2000㎡に、カキツバタ約25000株が自生しています。
 
平安時代からの名所とされ、尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフになったとの言い伝えがあります。
 
古代、深泥池と同様に沼地であったという「大田ノ沢」は、かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものとして、このカキツバタ群落とともに、昭和14年(1939)に国の天然記念物に指定されています。
 
 
<カキツバタのようす>
今年の5月中旬頃に撮影した大田ノ沢のカキツバタの花のようすです。
 
雨の降る中、カキツバタの花が一面に咲き競うようすはとても情緒があります。
 
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4 沿革
<説明板>
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・古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれたこともあり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社である。
 
・祭神には天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っており、延喜式にも載せられている古社で、この付近の沼沢地を開墾して栄えた賀茂県主(かものあがたぬし)の崇敬を受けた神社である。
 
・右方東側の沢地を「大田の沢」といい、野生のカキツバタが美しい。
 
・藤原俊成卿、文治6年(1190)五社百首に
 
「神山や大田の沢のカキツバタ
     ふかきたのみは 色に見ゆらむ」
 
と詠われ、平安時代からこの付近の沢地にはカキツバタが咲き乱れて、名勝となっていたようである。
 
・今日でも5月中旬頃には、濃紫、鮮紫の花が美しく咲く、このカキツバタの群落は、国の天然記念物に指定されている。
 
・例祭は410日と1110日である。
 
 
 
5 練習問題
(1)祭神:( ① )(あめのうずめのみこと)。五穀豊穣を願ってこの地の地主神を祀ったのが始めという。後に、上賀茂神社の境外摂社、上賀茂八摂社となった。
 
(2)寿命長久、病気平癒、縁結び、( ② )の神。
 
(3)( ③ )群落:大田神社の境内東側。国の天然記念物
 
【正解】
①雨鈿女命
②芸事
③かきつばた
 
上御霊神社とイチハツの花
 
 
上御霊神社は、市営地下鉄の「鞍馬口」駅から東に向かって300mほどのところにあります。
 
なお、正式名は「御靈神社」であり、下御霊神社に対応するものとして上御霊神社という社名が使われているそうです。
 
ここは、長岡京から平安京にかけて、政争に巻き込まれて憤死した人々の怨霊を慰めるために創建されたと伝えられています。
 
境内はまた、「御霊の杜」ともいわれ、畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の乱の発端となったところで、楼門横に「応仁の乱勃発地の碑」があります。
 
連休に訪れた時には、築地塀の外側の堀に植えられたイチハツの花がちょうど見ごろになっていました。
 
また、境内では、奉納殿に御霊祭の神輿が据えられていました。
 
 
1 場所
 
 
2 築地塀の外側の堀に植えられたイチハツの花
 
※イチハツ
・アヤメ科。原産地は中国で江戸時代に渡来。アヤメ(文目)に似ているが、外花被片の中央部にとさか状の突起があるのが特徴。
・イチハツの語源は、アヤメ科の中で一番早く咲くという意味といわれる、実際の開花はシャガよりも半月ほど遅れて咲く。

<外堀のイチハツ>
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3 境内
 境内の西側にある楼門から境内に入る。
 
①楼門
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 神社の公式HPには、伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられている、という。  
 
②楼門から見た境内と手水舎
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③奉納殿
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 御霊祭の神輿が据えられていた。
 
 
⑤拝殿・本殿
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享保18年(1733)に下賜された内裏賢所御殿の遺構を、昭和45年に復原したもの。(神社公式HPによる)
 
・新緑と本殿
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⑥社務所・客殿
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⑦境内と末社(神明神社)
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⑧末社
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3 境内の句碑、歌碑
①松尾芭蕉句碑
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・松尾芭蕉は元禄312月に門人を伴い、ここに参詣し、別当家に半日を打ち寛ぎ、「年忘歌仙」を奉納した。
 
「半日は 神を友と とし忘れ」
 
石碑は慶応元年の建立。
 
 
②新村出の歌碑
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上御霊のみやしろに詣でてよめる
 
「千早振 神のみめぐみ 深くして
        八十ぢに満つる 幸を得にけり」
 
・新村出博士は広辞苑の編者として著名。
・博士は大正12年より終世当社の氏子の小山中溝町に住んでいた。
・この歌は、満80歳の誕生日に参拝の折に献詠したもの。
 
 
4 祈願絵馬
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5 応仁の乱の勃発地
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・文正2年(1467)正月18日早朝この付近すなわち御霊の杜の合戦から応仁の乱は始まった。
 
17日の夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約2000を率いてここに布陣。
 
・翌18日早朝、政長と畠山家の家督を争っている義就が兵3000余で攻勢をかけ、18日は終日激しい戦いが続いた。
 
・義就方には朝倉孝景ついで山名宗全が加勢した。
 
・しかし、政長方にはたのみの細川勝元がこの段階では動かず、丸一日の合戦ののち、政長方が敗退した。
 
・これが応仁の乱の最初の合戦である。
 
3月、年号は応仁と改まり、細川、山名両陣営ともに味方を集めて戦時体制を固め、5月から上京を中心に東西両軍の全面的な戦闘に入る。
 
 
6 門前の「水田玉雲堂」
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 古くから名物菓子「唐板」が広く知られている。
 
 
7 沿革等
<説明板>
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・この地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが、平安遷都にあたり桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良時代・平安時代初期に不運のうちに亡くなった8柱の神霊が祀られ、後に加えられた5柱の神霊を併せ、現在に至っている。
 
・祭神
 崇道天皇(早良親王)、吉備真備、橘逸勢はじめ十三柱の神霊を祀る。
 
・御霊信仰
 平安時代には御霊信仰が盛んで、この怨霊をなだめ祀るための御霊会が数々行なわれたが、当社は古来疫病除の霊社として有名。創建以来、とくに御所の守護神として皇室の尊信が深い。
 
・御霊の杜
 境内は「御霊の杜」といい、畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の乱の発端となったところ。
 
   
8 年中行事
御霊祭
例祭(社頭の儀)、5月1日神幸祭、同月18日還幸祭が行なわれる。
 
 
9 京都検定の出題歴
(1)平成18年度1
【問】応仁の乱の戦端を切った合戦が行われ、現在「応仁の乱勃発地」の石標が建つ神社はどこか。
 
【正解】上御霊神社
 
 
10 練習問題
①祭神は( 1 )(祟道天皇)、井上内親王、吉備真備をはじめ13柱。
 
②正式名「( 2 )」
 
③沿革
桓武天皇が平安遷都の時に、早良親王らの怨霊を鎮めるために創祀したといわれるが、平安遷都以前よりこの地に勢力を持った出雲氏の氏寺である上出雲寺の鎮守社であったとも伝えられる。
 
④「御霊の杜」
境内はかつて、( 3 )の戦端が開かれたところとして知られる。
 
⑤本殿
宝暦5年(1755)に( 4 )を賜ったものとされる。
 
⑥「( 5 )」煎餅
門前の「水田玉雲堂」で売られている。疫病よけのご利益があるとされ、明治維新まで皇室は皇子が誕生するたびに当社に参詣し、これを土産にしたという。
 
【正解】
1
早良親王
2
御霊神社
3
応仁の乱
4
賢所御殿
5
唐板
本満寺の牡丹の花と八重桜
 
 
本満寺は、寺院が建ち並ぶ寺町通の上立売通から南にある日蓮宗六条門流の本山で、広宣流布山本願満足寺といいます。
 
ここは江戸時代には徳川家の祈願所でもあったという由緒ある寺院です。
 
境内には早咲きの大きなしだれ桜があり、ソメイヨシノよりも早く、西陣の妙覚寺や御所の旧近衛邸の桜が咲く頃に見事な花が咲くことで知られています。
 
しだれ桜の後は、ソメイヨシノ、さらに八重桜が咲き、ゴールデンウィークの頃には、境内の各所でさまざまな色の牡丹が咲き誇ります。
 
今年も牡丹の花見を堪能させていただきました。
   
 
1 場所↓
 
 
2 境内のようす
①山門
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②庫裏の前の庭と牡丹
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③本堂と本堂前の牡丹
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④鐘楼
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⑤七面大明神と八重桜
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⑥浄行菩薩
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⑦ナルコユリの花
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3 山中鹿之助の墓
境内裏の墓地に、戦国時代の武将山中鹿之助と伝える墓がある。
 
山中鹿之助幸盛は戦国時代の武将で、尼子十勇士の一人として活躍。三日月に「願わくは我に七難八苦を与え給え」と祈った人として知られる。
 
・門前にある石碑
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・山中鹿之助の墓
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4 沿革等
・応永17年(1410)本圀寺から分立し、関白、近衛道嗣の子、日秀が近衛殿(現在の同志社新町校舎)の南側に建立した。
 
・その後、後奈良天皇の勅願寺となる。
 
・徳川吉宗の病気平癒を祈願し江戸幕府の将軍家祈願所となる。
 
・その後、焼失、再建を繰り返し、現在地に移転。
 
・現在の本堂は昭和2年の再建。
 
・山内には塔頭が四院ある(法泉院、守玄院、一乗院、實泉院)。
   
 
5 練習問題
(1)山号:広布山。本尊:十界大曼陀羅・日蓮。
 
(2)沿革
応永17年(1410)に日秀(関白近衛道継の長男)が今出川 新町 の近衛道継邸内に造営。近衛殿内道場として繁栄。天文8年(1539)に現在地に移転。宝暦元年(1751)に日鳳が( 1 )の病気平癒を祈願して以降、徳川家の祈願所に。
 
(3)( 2 )の墓がある。
 
 
【正解】
1 徳川吉宗
2 山中鹿之助
西陣の智恵光院と牡丹の花
 
 
今出川智恵光院の交差点から南へ、智恵光院通をしばらく歩いていくと、通り名のもとになった智恵光院があります。
 
<山門>
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ここは西陣にある浄土宗の寺院で、天明の大火による焼失後再建され、小野篁作と伝えられる六臂地蔵像や本尊の快慶作と伝えられる阿弥陀如来像などが伝わっています。
 
 智恵光院の庭は四季折々の花がきれいで、とりわけ早春のしだれ梅は知られていますが、かつては「西陣の牡丹寺」とも呼ばれていたそうで、今でも本堂に向かって左手に、牡丹が植えられ、4月末に訪れた時には、きれいな花を咲かせていました。
 
 なお、ここは観光寺院ではないので、静かに参拝して、それから境内の花を見せていただきたいものです。
 
 
 
(1)沿革
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・「称念山平等寺」と号する浄土宗の寺院。
 
・永仁元年(1293)鷹司家の始祖、関白鷹司兼平が自家の菩提寺院として、如一国師を開山に請じ創建したのが当院の起り。
 
・その後、聞益上人により院内に要終院、芳秀院、智福院、吟松院の4院を建立し、京師七光院の一つとして隆盛を極めた。
 
・その後、享保15年(1730)年の西陣焼けや天明8年(1788)の両大火で被災し、漸次再興された。
 
・第二次世界大戦中、強制疎開により塔頭4院が廃寺になり、現在の規模に縮小された。
 
 
4 境内
現在の建物は天明8年の大火以降に再建されたもの。
 
(1)本堂
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本尊は、快慶作と伝えられる阿弥陀如来像を祀る。
 
 本堂の前に、牡丹の花が咲いている。
 
<本堂前の牡丹の花>
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ここは、かつては「西陣の牡丹寺」といわれていたという。
 
<本堂前のシャクナゲの花>
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(2)地蔵堂
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小野篁作と伝えられる六臂(ろっぴ)地蔵像を安置。
 
六臂地蔵尊は京都の中心地と言える烏丸今出川辺りにあった神宮寺に奉安され、その後、同院に奉遷されたと伝えられている。
 
六臂地蔵尊は、仏教で死後いずれかに転生するとされる地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の全てを救う力を一体の像に込めて、小野篁が彫り上げた6本の腕を持つ地蔵尊とされ、この六臂地蔵尊を拝めば、京都の全ての六地蔵尊に巡礼するのと同じ功徳があるといわれている。
 
・地蔵堂とツツジの花
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(3)智徳弁才天
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・金ぎょく龍王神
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 弁才天堂の前に置かれた変わった石造物です。
 
 
(4)智恵姫稲荷
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(5)鐘楼
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(6)獅子頭守護石
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よく見ると、獅子頭に似ています。
 
 
※智恵光院の庭と戦時中の西陣空襲
お寺の方の話では、しだれ梅の植えられている土の下には、戦時中に掘られた防空壕が残っていること、戦時中の強制疎開でお寺の前の通りは広くなったこと、また、B29による西陣の空襲の際には、このすぐ近くに焼夷弾が落とされ、50人ほどの犠牲者が出たという。

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