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京の六地蔵めぐり

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京の六地蔵めぐりと桂の地蔵寺(桂地蔵)
 
 
 
 桂の地蔵寺(桂地蔵)は「京の六地蔵」の一体をまつる浄土宗の寺院です。
 
 場所は桂離宮の近く、桂川街道と桂大橋から阪急桂駅に向かう道との交差点(下桂)から、桂駅方向に少し歩いたところにあります。
 
 六地蔵のうち、本尊として本堂に祀られているのはここだけで、近年、本堂が建て替えられて新しくなり、鎌倉初期のものと伝える石造薬師如来坐像は地蔵尊とともに本堂内の奥に安置されています。
 
 ここは参拝するために、車を置くところに困るところですが、来てみれば、有料駐車場など、何とかなるものです。
 
 また、ここまできたら、ぜひ中村軒で休憩をして、旬のかき氷を頂きたいところです。
 
 
1 場所
 
ここは、京の六地蔵めぐりの一つで、本堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥途へ行き、生身の地蔵菩薩に出会って蘇った後、木幡山の一本の桜の大木から刻んだ六体の地蔵菩薩の一体であると伝え、また、大木の最下部をもって作られたことから、世に「姉井菩薩」と呼ばれ、毎年、82223日の六地蔵めぐりのときは多くの参拝者でにぎわいます。
 
 
 
2 境内のようす
 
①地蔵寺入口
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②本堂(地蔵堂)
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・「牡丹」の花の形の留蓋瓦
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※留蓋瓦とは
留蓋瓦は、隅蓋瓦や巴蓋瓦とも称し、もともとは隅部の接点から雨水が浸入するのを防ぐために据えられた、半球形(椀を伏せた形状)のものであったが、その後、意匠面での発展が見られ、獅子や玄武などの動物型、牡丹や菊などの植物型など、さまざまな形のものが現れた。
 
 
<本堂内>
・本尊の地蔵菩薩と石造薬師如来坐像(鎌倉初期)
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・本尊の地蔵菩薩
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・石造薬師如来坐像(鎌倉初期)
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 本堂内の奥に安置。
 
 
水向所
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・石仏
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④水琴窟
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3 地蔵寺の沿革
<説明板>
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・浄土宗の寺院で、京都六地蔵めぐりの霊場である。
 
・本堂に安置される本尊の地蔵菩薩(桂地蔵)は、平安時代の初期に、小野篁が、一度息絶えて冥土へ往き、生身の地蔵尊に出会ってよみがえったのち、木幡山の一本の桜の大木から刻んだ六体の地蔵菩薩の一つであるといわれている。
 
・当初、六体の地蔵菩薩は、木幡(現在の伏見区の六地蔵にある大善寺)の里に祀られていたが、保元2年(1157)に、平清盛によって、都の安泰を祈るため、都に通じる6つの街道の入口にそれぞれ安置されたと伝えられる。
 
・この地蔵菩薩は大木の最下部をもって作られたもので、世に「姉井菩薩」と呼ばれている。
 
※補足
・身の丈約2mあり、六体の地蔵のうちで最大。左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。
 
・寺の開創については明らかではないが、この地で平安時代の貴族桂大納言源経信が桂河原を月の名所として山荘を営んだという。
 
・その後、現在本堂に安置されている石造薬師如来坐像(鎌倉初期)が祀られて信仰を集め、やがて寺として成立をしたと伝えている。
 
 
 
4 行事
「六地蔵めぐり」:82223日。
 
「桂六斎念仏」:82223日。
重要無形民俗文化財である鉦や太鼓をたたいて踊る。
 
「薬師盆」:98
 
 
 
5 六地蔵めぐり
 
毎年822日〜23日、京都の街道の入口に安置された6カ所の地蔵尊
 
・桃山の大善寺(奈良街道)
 
・上鳥羽の浄禅寺(西国街道)
 
・桂の地蔵寺(丹波街道)
 
・常盤の源光寺(周山街道)
 
・鞍馬口の上善寺(若狭街道)
 
・山科の徳林庵(東海道)
 
を巡拝して、罪障消滅、無病息災、家内安全、五穀豊穣などを願う風習、伝統行事で、京都では、800年の伝統行事とされており、この日は多くの参拝客がこの6箇所の寺院を巡拝する。
 
6か所の地蔵尊の「お幡」>
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 六地蔵めぐりは、各寺で「お幡(一体300円)」と呼ばれるお札を求め、六体のお幡をまとめて護符として家の玄関や軒に吊るすと厄を祓い、福を呼ぶと伝えられている。
 
京の六地蔵めぐりと常盤の源光寺(常盤地蔵)
 
 
 源光寺は県立嵯峨野高校や嵐電の常盤駅の近くにあり、山号を「常盤山」と称し、臨済宗天龍寺派の尼寺です。
 
ここは全国地蔵信仰の総本山天地万霊総菩提寺と称し、昔から宗教宗派に関係のない庶民の幅広い地蔵信仰を集めてきたといわれています。
 
 普段の日の境内は週末でも人が少なく、静かですが、82223日の六地蔵めぐりの日には、境内は大勢の参詣客が訪れます。
 
このあたりは、かつて源義経の母、常盤御前の生誕地で、常盤御前が住んでいた庵の跡とされ、境内奥にある自然石の石組は常盤御前の墓と伝えています。しかし、案内板などもないため、気がつかないまま帰る人も多いようです。
 
 
1 場所
 
 
 
2 六地蔵めぐりの日の様子
 
①山門
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②地蔵堂
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 黒く塗られ、他の地蔵堂と同様に六角形をしている。狭い参道は参拝客であふれている。
 
<地蔵堂内>
・地蔵尊(常盤地蔵)
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・地蔵堂の壁の地獄絵
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 地蔵堂の両側に地獄絵・極楽絵が掛けられている。
 
 
④石仏(美薬大菩薩)
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⑤福徳観世音菩薩
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⑥常盤御前の墓と伝える自然石の石組
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 「常盤御前御墓」と彫られている。
 
 
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 石仏が置かれている。
 
 
このあたりは、源義経の母、常盤御前の生誕地で、常盤御前が住んでいた庵の跡と伝えられている。
 
 
3 源光寺の沿革
 
・弘仁2年(811)に、嵯峨天皇の勅命によって、嵯峨天皇の第3皇子の左大臣・源常の別荘を後に寺に改めたと伝わる。その後、保元2年(1157)、後白河法皇の深い帰依により中興された。
 
・源光寺は唯一全国自由地蔵信仰、信仰の自由総本山根本霊場とされている。
 
・源義経の母常盤御前の出生地であり、また入没の地とされ、自然石による常盤御前の墓がある。
 
 
 
4 六地蔵めぐり
 
毎年822日〜23日、京都の街道の入口に安置された6カ所の地蔵尊
 
・桃山の大善寺(奈良街道)
 
・上鳥羽の浄禅寺(西国街道)
 
  桂の地蔵寺(丹波街道)
 
  常盤の源光寺(周山街道)
 
  鞍馬口の上善寺(若狭街道)
 
  山科の徳林庵(東海道)
 
を巡拝して、罪障消滅、無病息災、家内安全、五穀豊穣などを願う風習、伝統行事です。
 
 京都では、800年の伝統行事とされており、この日は多くの参拝客がこの6箇所の寺院を巡拝します。
 
<6地蔵尊の「お幡」>
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 六地蔵めぐりは、各寺で「お幡(一体300円)」と呼ばれるお札を求め、六体のお幡をまとめて護符として家の玄関や軒に吊るすと厄を祓い、福を呼ぶと伝えられている。
京の六地蔵めぐりと鞍馬口の上善寺(鞍馬口地蔵)
 
 
 
上善寺は、賀茂川に架かる出雲寺橋の近く、鞍馬口通に面した寺町通の北側のつきあたりにある浄土宗の寺院です。
 
 
 
 
上善寺は、京の六地蔵めぐりの一つで、地蔵堂に安置された「鞍馬口地蔵」は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥途へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、毎年822日、23日は多くの参詣客でにぎわいます。
 
 
 
2 境内
山門
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「第一番六地蔵寺」の石柱が立つ。
 
また、山門のわきに、堺町御門の変で戦死した入江九一ら、長州人の首塚を示す「贈正四位入江九一外七名首塚」と彫られた石柱がある。
 
 
・山門から見た本堂
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②本堂
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  行基作と伝える阿弥陀如来像を本尊としている。
 
 
地蔵堂への参道に並ぶ露店と地蔵堂のまわりのようす
 
・露店
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・地蔵堂
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 小野篁作と伝える深泥池地蔵(鞍馬口地蔵)を安置
 
 
●「鞍馬口地蔵」
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  最初は木幡の里に祀られていたが、保元年間(115659)に深泥池(みどろがいけ)畔に移されて「深泥池地蔵」と呼ばれ、その後、明治時代に廃仏毀釈の嵐の中、現在地に移され「鞍馬口地蔵」と名を改めたと伝える。
 
 
・水供養
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・お幡を求める参拝者
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④大日如来石仏
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 鎌倉時代中期のものといわれる。高さ約1.6m。
 
 
 
●六地蔵めぐり
 
毎年822日〜23日、京都の街道の入口に安置された6カ所の地蔵尊
 
・桃山の大善寺(奈良街道)
 
・上鳥羽の浄禅寺(西国街道)
 
  桂の地蔵寺(丹波街道)
 
  常盤の源光寺(周山街道)
 
  鞍馬口の上善寺(若狭街道)
 
  山科の徳林庵(東海道)
 
を巡拝して、罪障消滅、無病息災、家内安全、五穀豊穣などを願う風習、伝統行事です。
 
 京都では、800年の伝統行事とされており、この日は多くの参拝客がこの6箇所の寺院を巡拝します。
 
 
<6地蔵尊の「お幡」>
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 6か所の寺院で求めた色とりどりのお幡をまとめて、一年間、門口につるした後、次の六地蔵めぐりの時に古いお幡を境内の綱につるして奉納します。
 
 
 
3 沿革
 
<説明板>
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・「千松山遍照院」という。浄土宗の寺院。
 
・貞観5(863)に比叡山延暦寺の円仁によって、現千本今出川の地に天台密教の道場として創建し、その後度重なる火災により荒廃。
 
・文明年間(146987)、盛信上人が衰微していた寺を再興し、その後、後柏原天皇の勅願寺として再び隆盛。
 
・文禄3(1594)現在地の鞍馬口寺町東入に移転し、その後、天台真盛宗から浄土宗に改宗。
 
・本尊の阿弥陀仏坐像は行基作と伝え、寛永11(1634)嵯峨今林蓮華清浄寺から移してきたものと伝える。
 
 
 
4 練習問題
・山号「千松山」。院号「( 1 )」
 
・本尊「阿弥陀如来」:( 2 )の作。
 
・沿革
貞観5年(863)、( 3 )が天台密教の道場として開創し、文明年間(146987)に再興、現称に。
 
文禄3年(1594)、現在地へ移転、のちに浄土宗に改宗。
 
・墓地
今出川家歴代の墓、禁門の変で戦死した( 4 )藩士らの首塚。
 
・地蔵堂の( 5 )地蔵
六地蔵めぐりの一つ。もとは洛北の深泥池にあったという。
 
【正解】
1
遍照院
2
行基
3
円仁
4
長州
5
深泥池
京の六地蔵めぐりと恋塚浄禅寺(鳥羽地蔵)
 
 
国道1号線を京都南インターから北上し、鴨川の橋を渡り400500mのところ、左側に鳥羽地蔵への案内看板があり、そこを西へ向かうとまもなく浄禅寺に行きつきます。
 
 
 
 
浄禅寺は、京の六地蔵めぐりの一つで、地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥途へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、「鳥羽地蔵」と呼ばれ、六地蔵めぐりのときは多くの参拝者でにぎわいます。
 
 
この浄禅寺は、もう一つの伝説で有名なところです。
 
ここは寺伝によれば、寿永元年(1182)、文覚上人の開基で、境内に袈裟御前の首塚(恋塚)と呼ばれる五輪石塔があることから「恋塚浄禅寺」の名で知られています。
 
創建の経緯については次のような話が伝わっています。
 
「平安末期の北面の武士、遠藤盛遠は、渡辺佐兵衛門尉渡の妻・袈裟御前に恋し、彼と縁を切ることを迫ったところ、袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代りとなって盛遠に殺されてしまうという悲恋の物語が伝わる。自分の罪を恥じた盛遠は出家して文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために当寺を建立したとされている。」(説明板より)
 
 
文覚上人と言えば、高雄の神護寺の中興の祖といわれるなどの高僧ですが、「源平盛衰記」には出家した原因が、袈裟御前に横恋慕して誤って殺してしまったことにあるとされています。
 
境内入口には、正保4年(1647)に建立された林羅山の撰文による恋塚碑と袈裟御前の首塚といわれている五輪塔の「恋塚」があります。また本堂には、袈裟御前の木像が祀られているといいます。
 
本堂には12世紀に作られた本尊阿弥陀如来立像を安置し、観音堂には10世紀の作とされる十一面観音立像(市指定文化財)を祀っています。
 
 
2 境内
 
山門
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 六地蔵めぐりの時期は、サルスベリが咲いている。
 
 
地蔵堂
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・扁額
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・地蔵菩薩立像
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・屋根の上の留蓋瓦
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 牡丹の花になっている。
 
 
③観音堂の十一面観音立像(市指定文化財)
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 10世紀の作とされる。(当然、撮影許可はいただいています)
 
 
本堂
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 12世紀に作られた本尊阿弥陀如来立像を安置。
 
ここには、袈裟御前の木像が祀られているという
 
 
⑤本堂から見た境内
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境内の石仏
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3 境内入口にある袈裟御前ゆかりの史跡
 
①「恋塚浄禅寺」と彫られた標石
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②石碑
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 正保4年(1647)に建立された林羅山の撰文によるもの。
 
 
③五輪塔の「恋塚」
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袈裟御前の首塚と伝わっている。
 
 
④石仏
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(2)沿革
 
<説明板>
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浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は「恵光山」。
 
寿永元年(1182)文覚上人の開基とされている。
 
本堂に本尊阿弥陀如来立像を安置している。
 
観音堂に十一面観音立像を祀る。
 
鳥羽街道に面し、京の六地蔵めぐりの一つ、「鳥羽地蔵」として信仰される。
 
京の六地蔵めぐりと桃山の六地蔵大善寺
 
 
京の六地蔵めぐりは、毎年822日〜23日、京都の街道の入口に安置された6カ所の地蔵尊を巡拝して、罪障消滅、無病息災、家内安全、五穀豊穣などを願う800年の伝統行事といわれています。
 
六地蔵めぐりは、それぞれのお寺で「お幡(一体300円)」と呼ばれるお札を求め、六体のお幡を護符として家の玄関や軒に吊るすと厄を祓い、福を呼ぶと伝えられています。
 
8月22日、六地蔵めぐりに行ってきました。
 
山科駅前を9:20にスタートして、山科地蔵、六地蔵、鳥羽地蔵、鞍馬口地蔵、常磐地蔵、桂地蔵の順にまわり、鳥羽地蔵と鞍馬口の間で、革堂の幽霊絵馬を拝観し、ランチと休憩はしっかり取って、4時半ころに全てまわり終えることが出来ました。
 
1日で6箇所を回るには、どうしても車に頼らなければならず、六地蔵めぐりと同じ期間に、革堂行願寺で、幽霊絵馬の特別拝観が行われていて、これも見たいと思っていましたので、効率的にまわるために、時間配分やそれぞれ車の置き場所について、あらかじめ考えた上でまわってきました。
 
 
<巡拝して集めた6体の「お幡(はた)」>
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 一枚ではなく、一体(たい)と数えます。
 
 
 今回は、2か所目の六地蔵大善寺です。
 
 この日は、最初に山科の大丸の駐車場に車を置いて、歩いて徳林庵に参拝してから、大丸の駐車場に戻り、外環を醍醐から六地蔵まで走り、イズミヤ六地蔵店の立体駐車場に車を置き、大善寺に向かいました。
 
 
1 六地蔵というところ
六地蔵は京都市の南東部、宇治市と接するところにあり、昔から交通の要衝に位置し、今では大阪、京都中心部、山科、奈良方面へのアクセスが良いところです。
 
・大善寺の前に立つ説明板
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 古来より京へ、山科へ、宇治へ、また奈良へ向かう交通の分岐点に当たり、多くの旅人が往来していた。平安時代、小野篁により6体の地蔵が造立され、そのうちの一体が平清盛の命によりこの街道入口に安置されたと伝えられる(大善寺)。
 
付近には京都市 最大の前方後円墳とされる「黄金塚1号墳、同2号墳」の2基の古墳がある。
 
伏見城時代、藤堂高虎の屋敷と小堀遠州の六地蔵屋敷があったとされる。
藤堂邸にて朝鮮の儒者「恙汎」に藤原惺窩(日本朱子学の大家)が度々教えを乞うた。また、伏見城築城に際して物資を運び入れた「お舟入り」の跡も残存している。
 
 
・六地蔵という地名の由来
この地にある大善寺には、もとは小野篁が一本の桜の木から刻んだ6体の地蔵尊が全て置かれた地であったということによるもので、その後、平清盛によって京への街道の出入口に置かれ、これらを巡って参拝する風習が出来た根源の地とされている。
 
 
1 六地蔵大善寺へ
 
 
 
●大善寺の前にある道標
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・道標「ひだり ふしみ みちみぎ 京みち」
 ここは昔も今と同様に交通の要衝でした。
 
 
(2)境内
 
●表門(東側、外環沿い)
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●表門を入ったところから見た地蔵堂(左)と観音堂(右)
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 左手には鐘楼があり、右手には本堂「浄妙殿」がある。
 
 
●地蔵堂と地蔵尊
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 六角形のお堂。
 
・菊の花の留蓋瓦
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・扁額
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木像地蔵菩薩立像と小野篁像
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木像地蔵菩薩立像は小野篁が刻んだと伝え、重文に指定。
 
向かって左側が小野篁像。
 
 
●観音堂
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 十一面観音像を安置。
 
 
●本堂「浄妙殿」
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 山科にある勧修寺の宸殿が宝永年間に下賜され、移築されたと伝えられている。
 
・扁額
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・向拝に乗る獅子の像
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・本尊
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  本尊は丈六の阿弥陀仏。
 
 
 
●鐘楼
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・由緒
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 東福門院(徳川二代将軍秀忠の娘)が、明正天皇の安産祈願成就のお礼として寛文5(1665)に寄進されたという。
 
 
・鐘楼の天井画
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 菊と三つ葉葵の紋が描かれている
 
 
●庫裏
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●石仏
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(3)大善寺の沿革
 
<説明板>
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・浄土宗の寺院。本尊は六丈の阿弥陀仏。
 
・慶雲2(705)、藤原鎌足の子・定慧によって創建され、大津の三井寺を開いた智証大師円珍が、天台密教の寺として開基したのが始まりと伝える。
 
・地蔵堂に安置する木像地蔵菩薩立像(重文)は、平安初期の学者・小野篁が木幡山の一本の桜の大木から刻んだ六体の地蔵菩薩像の一つと伝える。
 
・鎌倉時代にかけて地蔵信仰が盛んとなり、正親町天皇の許しを得て中興し、浄土宗に転じ大善寺となった。
 
 
<六地蔵めぐりの由来>
 
①小野篁が48才の時、大病にかかり仮死状態となった。夢の中、地獄の世界に行き、そこで現世の罪業によって苦しむ人たちを救う地蔵菩薩に逢う。地蔵菩薩は小野篁に、娑婆の世界に帰ったら一切の人々に現世の罪業によって地獄で受ける苦しみを知らせて、地蔵菩薩に帰依するようにと教えた。
 
②小野篁は蘇った後、木幡山の一本の桜の大木をもって6体の地蔵菩薩像を刻んで、木幡の里(現在の伏見地蔵の地)に安置した。
 
③後白河天皇の勅命
平安時代の保元2 (1157) 、都では疫病が流行していた。木幡の里に置かれた地蔵菩薩像を深く信仰していた後白河天皇は、都の出入口にこの地蔵菩薩を祀るよう平清盛に命じた。
 
④平清盛による六地蔵の分置
 
 清盛は西光法師に命じ、京への街道口の六箇所、
・桃山の大善寺(奈良街道)
・上鳥羽の浄禅寺(西国街道)
・桂の地蔵寺(丹波街道)
・常盤の源光寺(周山街道)
・鞍馬口の上善寺(若狭街道)
・山科の徳林庵(東海道)
それぞれに六角円堂を建て、
王城守護と疫病退散、旅人たちの路上安全など祈願のため、地蔵菩薩を一体づつ分置し「廻り地蔵」と名付けた。
 
 これにより庶民に地蔵信仰が広まり、平安末期から鎌倉時代にかけて、六地蔵信仰が盛んになり、六地蔵巡りの風習が始まったという。
 
 
 
2 イズミヤ六地蔵店の駐車場を出て、上鳥羽の浄禅寺(鳥羽地蔵)へ
 
 次回につづく。
 
 

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