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東山の泉涌寺には、枕草子で有名な清少納言の歌碑があります。 宮仕えを辞めた晩年の清少納言が暮らしていたところ、それが泉涌寺のあたりだったといいます。 泉涌寺に行かれた時には、ぜひ、歌碑のところまで足を運んでみましょう。 <泉涌寺> 清少納言歌碑 「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 意味: 夜が明けないうちに 鶏の鳴き声を真似て騙まそうとしても、(函谷関ならばともかく)、逢坂の関は、決して通ることを許さないでしょう。ここの番人は手ごわいですよ。 ●参考 清少納言について 一条天皇の時代、正暦4年(993年)冬頃から、私的な女房として中宮定子に仕えた。博学で才気煥発な彼女は、主君定子の恩寵を被ったばかりでなく、公卿や殿上人との贈答や機知を賭けた応酬をうまく交わし、宮廷社会に名を残した。 長保2年(1000年)に中宮定子が亡くなってまもなく、清少納言は宮仕えを辞めた。その後の彼女の人生の詳細は不明だが、断片的な資料から、一旦再婚相手・藤原棟世の任国摂津に下ったと思われ、晩年は東山月輪の辺りに住み、和泉式部や赤染衛門ら中宮彰子付の女房とも消息を交わしていたらしい。『枕草子』は長保3年(1001年)から寛弘7年(1010年)の間に完成したと考えられている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 晩年の清少納言 清少納言は定子が没した翌年に宮仕えを辞去し、晩年は鳥辺野近くのこの泉涌寺の辺りに隠棲し、定子の眠る鳥辺野の御陵を拝しながら生涯を終えたと言われている。
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