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高島市の安閑神社境内にある「神代文字の石」と伝説の「力石」と鶴塚
 
 
安閑神社は、滋賀県高島市のJR湖西線 安曇川駅 の南西、徒歩10分ほどのところにある安閑天皇(継体天皇の長子)を祭神とする神社です。
 
この神社は文禄年間(1593-96年)に権現堂として創祀され、文化元年(1804)に現在地に再建されたとされています。
 
この神社の境内の片隅に「神代文字の石」と呼ばれる不思議な絵文字を刻んだ石と「力石」と呼ばれる石が置かれています。
 
とりわけ「神代文字の石」は、漢字が渡来する前に日本にあった文字なのではないかともいわれており、眺めていると空想が膨らんできます。
 
 
なお、神社を出てすぐ近くに「鶴塚」と名づけられている宝塔があり、これも不思議な逸話が残っています。またこのあたりは、継体天皇ゆかりの史跡なども点在するとても興味深いところです。
 
 
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2 地域の遺跡の案内板
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(1)安閑神社
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・境内に残る古木
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(2)神代文字の石と力石
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<説明文>
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①神代文字の石
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字とも絵とも判別のつかない陰刻がされた石。元は知らないで橋に使われていたというが、一説には古墳の一部ではなかったか、とも言われる。この陰刻の解明は未だなされていないが、この種の記号文字は、神代文字と呼ばれ、不思議な歴史の貴重な遺産といわれている。
 
 
②力石(水口石)
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鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にも記されている力持ちの娘の話にまつわる石だという。
 
 
③鶴塚
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・説明板
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神社から一旦外に出て、すぐ近くにある鎌倉時代の石造宝塔。
 
県内屈指の大型の宝塔で、二体の仏像の彫刻がある。
 
伝説では、昔、ある武将が、このあたりで一羽の雄鶴を射落としたところ首が無かった。翌年、このあたりで一羽の雌鶴を射落としたところ、その羽根の間に雄鶴の首の骨を挟んでいた。鶴の夫婦の情に心を打たれた武将は塔を建て、鶴夫婦の霊を弔ったと伝えている。
高島市海津・西浜の琵琶湖側に続く石積み
 
 
<説明板>
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琵琶湖北端部、高島市の湖西側に位置する海津は、かつては近畿と北陸を結ぶ湖上交通の要衝の地として繁栄していました。
 
日本海を経由し敦賀に陸揚げされた物資などを、琵琶湖の船運を利用して大津に運ぶための要港とされ、江戸時代には海津中村町の一部は加賀藩領となり、江戸時代初期には30万石もの加賀米が海津から大津に運ばれたといいます。
 
また、海津は港や宿場としての機能を備えつつ、醸造業を始めとする伝統的な産業が営まれ、今でも街道沿いには商家の名残を伝える建物が多く残されています。
 
なお、明治2年(18693月、琵琶湖上ではじめての汽船(蒸気船)である「一番丸」が、大津 - 海津間に就航しました。
 
こうした海津・西浜地域には、湖岸に切石を緻密に積んだ石積みが、約1.2kmにわたって続いており、平成20年には滋賀県で2番目の重要文化的景観「高島市海津西浜・知内の水辺景観」に選定されました。
 
 
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2 海津・西浜の石積み
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<説明板>
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元禄14(1701)、甲府藩領高島郡の代官として赴任した、西与市左衛門が、風波のたびに、宅地に被害が甚だしいのをあわれんで、海津東浜の代官、金丸又衛門と協議し、幕府の許可を得て、元禄16年(1703)に湖岸浪除石垣を、東浜668m、西浜495m、にわたって築いた。
   
 
3 重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」
<説明板>
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景観を構成する重要な要素として、この海津・西浜の石積みのほか、海津漁業協同組合旧倉庫、知内川漁業者組合旧倉庫のほか、江戸時代に建造された町家5軒を定めている。
 
吉田酒造
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清酒「竹生嶋」など。
   
 
4 滋賀県内で選定された重要文化的景観
全国では、2006126日に、近江八幡市の「近江八幡の水郷」が重要文化的景観第1号として選定され、以後、20108月現在で、合計21件が選定されている。
 
また、滋賀県内では、
 
・近江八幡の水郷(滋賀県近江八幡市)
 
・高島市海津・西浜・知内の水辺景観(滋賀県高島市)
 
・高島市針江・霜降の水辺景観(滋賀県高島市)
 
3件が選定されている。
 
大津市(旧志賀町)小野にある小野道風神社
 
 
・小野道風肖像
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 小野道風神社は、琵琶湖の西岸、大津市(旧志賀町)小野に鎮座する小野神社から、南へ約0.5kmの小野神社の飛地境内にあります。
 
祭神は小野篁の孫で、藤原佐理・藤原行成とともに三蹟と称された書の第一人者といわれる小野道風(894-966)です。
 
小野道風は、柳に飛びつく蛙の姿を見て書にはげんだというエピソードで知られていますが、神社の石段の登り口に池が造られ、柳の木を植えて石の蛙が置かれてありました。
 
本殿は全国的に珍しい切妻造に向拝を付けた平入の建物で、重文に指定されています。向拝の柱上の「手鋏」という部分に唐草模様の彫刻があり、必見です。
 
 
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2 境内
(1)「道風庭園池」
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<説明板>
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この庭園は、平安期の書聖小野道風公が柳の枝に何度も飛びつく蛙を見て、「何事も努力を重ねれば達成できる」と悟り、奮起され、三蹟の一人として讃えられた故事にちなみ、地元の人々の協力で建設された。
 
 
(2)本殿(重文)
本殿は石段を登りつめたところにある。
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 小野篁神社と似ているが規模はやや小さい。
 
 
・扁額
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・手鋏(たばさみ)
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 向拝柱上の手鋏に唐草模様の彫刻が施されている。
 
これは南北朝時代の彫刻を知るうえで貴重なものとされている。
 
 
<説明板>
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 小野篁神社・天皇神社の本殿とともにこの神社の本殿も全国的に珍しい切妻造、向拝を付けた平入の建物。
 
小野篁神社とほぼ同じ南北朝期の暦応4年(1341)の建築。
 
 内部は建立当初の姿をとどめ、唐草彫刻を持つ向背柱上の手挟(たばさみ)も建立当初の材と伝える。
 
 
(3)境内社と灯籠
①樹下神社
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本殿に向かって右隣りにある。
 
②文殊神社
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③神社の長い歴史を感じさせる灯籠
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●小野道風と小野道風神社
 
<説明板>
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小野道風(894966)は平安時代中期の書家で、小野篁の孫にあたる。
 
藤原佐理・藤原行成と共に「三蹟」の一人と呼ばれ、和様の書の基礎を築いた人として知られている。
 
 小野道風は菓子の体型を創造されたことにより匠守の称号を賜わられ、菓子業の功績者に匠、司の称号を授与することを勅許されていた。
 
菓子の匠、司の免許の授与は現在は絶えているが、老舗の屋号に匠、司が使用されることは、現在もその名残として受け継がれている。
 
 
なお、当社の南に唐臼山古墳があり、ここは小野妹子の墓に比定されている。
 
 
3 小野道風と蛙
フリー百科事典「ウィキペディア」には、次のような記載がある。
 
道風は、自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書道をやめようかと真剣に悩んでいる程のスランプに陥っていた時のこと、ある雨の日散歩に出かけていて、柳に蛙が飛びつこうと、何度も挑戦している様を見て「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに」とバカにしていた時、偶然にも強い風が吹き発心し、柳がしなり、見事に飛び移れた。
 
これを見た道風は「バカは自分だ。蛙は一生懸命努力をして偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力をしていない」と目が覚めるような思いをして、血を滲むほどの努力をするきっかけになったという。
 
ただし、この逸話は史実かどうか不明で、広まったのは江戸時代中期の浄瑠璃『小野道風青柳硯』(初演1754年(宝暦4年))からと見られる。その後、第二次世界大戦以前の日本の国定教科書にもこの逸話が載せられ、多くの人に広まった。
近江今津の「ヴォーリズ通り」沿いにある日本基督教団今津教会会堂
 
 
JR湖西線 の近江今津駅 東口を出て湖周道路を北へ500mほど行くと、東西へ伸びる辻川通りに出ます。
 
辻川通りの角に今津ヴォーリズ資料館があり、さらに西に向かってヴォーリズ資料館、今津教会会堂、旧今津郵便局という3つのヴォーリズ建築が立ち並んでいます。
 
そこで、最近この通りは、「ヴォーリズ通り」と呼ばれるようになりました。
 
日本基督教団今津教会会堂は、高島市近江今津のヴォーリズ通りに面して昭和9年(1934)に竣工したウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の歴史的建造物です。
 
 
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<ヴォーリズ通りについて>
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2 日本基督教団今津教会会堂
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教会の後ろの建物は、幼稚園になっている。 
 
3 建物の沿革、特長
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昭和9年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建築。
 
建築当時のまま今も健在で、日本基督教団今津教会今津幼稚園の礼拝堂としても使用されている。
 
建築当時のままの姿で建っており、特定の様式で統一されないヴォーリズ独自のスタイルで、和風を意識したデザインになっている。
 
国登録有形文化財。
 
 
4 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年−1964年)について
 
近代建築に大きな足跡を残したことで、高く評価されている。
 
フリー百科事典『ウィキペディア』には、次のような記述がある。
 
・アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
 
・ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
 
1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。
 
 
5 滋賀県内のヴォーリズの代表建築
(1)教会関係
・日本基督教団堅田教会(大津市) 1930年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団水口教会(甲賀市) 1930年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団今津教会会堂(高島市) 1933年 (国の登録有形文化財)
・アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)(近江八幡市) 1935年 (国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院礼拝堂(旧近江サナトリウム)(近江八幡市) 1936年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団近江金田教会(近江八幡市) 1959
 
(2)学校関係
・旧豊郷町立豊郷小学校校舎(豊郷町) 1937
・滋賀大学陵水会館〔旧彦根高等商業学校同窓会館〕(彦根市) 1938(国の登録有形文化財)
・滋賀県立八幡商業高等学校本館(近江八幡市) 1940
 
 
(3)個人宅
・旧伊庭家住宅(郷土館)(近江八幡市)1913(市指定文化財)
・池田町洋館街(近江八幡市)
(旧吉田邸 1913、旧ウォーターハウス邸 1913、ダブルハウス 1921
・ヴォーリズ記念館(ヴォーリズ夫妻自邸)(近江八幡市) 1931(滋賀県指定有形文化財)
 
 
(4)その他
・旧醒井郵便局局舎(米原市) 1915(国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院ツッカーハウス(近江八幡市) 1918
・旧八幡郵便局(近江八幡市) 1921
・旧百三十三銀行今津支店(今津ヴォーリズ資料館)(高島市) 1923 (国の登録有形文化財)
・旧寺庄銀行本店(滋賀銀行甲南支店)(甲賀市) 1924
・旧今津郵便局(高島市) 1934
・ヴォーリズ記念病院五葉分館(近江八幡市) 1936(国の登録有形文化財)
 
(フリー百科事典「ウィキペディア」より抜粋)
大津市(旧志賀町)小野にある小野神社と小野篁神社
 
 
琵琶湖の西岸、JR湖西線小野駅から和邇駅にかけての西側に広がる地域は、かつて小野妹子、小野篁、小野道風らを出した古代氏族である小野氏が居住していた地域と考えられています。
 
ここに、小野一族の祖を祀る小野神社とその同じ境内に小野篁を祀る小野篁神社があり、さらに南へ500mほど行ったところの小野神社飛地境内に、小野道風を祀る小野道風神社があります。さらに南へ行くと、小野妹子の墓と伝わる古墳(唐臼山古墳)があり、古墳上に、小野妹子神社があります。
 
これらの神社について、簡単に整理した紙が、小野神社社務所に貼られていました。 
 
小野神社、小野妹子神社、小野篁神社、小野道風神社について
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小野神社・小野篁神社への参道の入口は、JR湖西線の和邇(わに)駅の南、約1kmの旧道沿いにあります。
 
 
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2 参道
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・手水
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・小野篁の歌碑(百人一首に採録)
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「わたのはら 八十島かけてこぎいでぬと
              人には告げよ あまのつりぶね」
 
   
社殿に向かって深い木立に覆われた参道を進むと、石段の上に小野神社の境内社として、小野篁を祀る小野篁神社があり、その左手奥に「延喜式」に名神大社と記載されている小野神社がある。 
 
3 小野篁神社
①社殿
 社殿は祭神、小野篁の古墳上にあり、重文に指定されている。
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  小野篁神社本殿は、全国的にも稀な切妻造、平入の本殿となっている。
 
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・扁額
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<説明板>
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・神社の本殿は流造の形式が多い中、小野神社境内社篁神社本殿は、全国的にも稀な切妻造、平入の本殿で、県内の重文では、小野神社飛地境内社道風神社本殿と近隣の天皇神社本殿を合わせて3棟のみ。
 
・篁神社本殿は、3棟のうち最も大きく、木割が太く量感豊か。
 
・建築年代は、道風神社本殿と同じく暦応年間(133842)と考えられている。
 
 
●小野篁について
小野篁は漢詩文にすぐれ、勅を奉じて「令議解」の撰進に参加。篁の詩は「経国集」「和漢朗詠集」「扶養集」「本朝文粋」に収められ、和歌は「古今集」に6首、「篁日記」は後人の作で、篁の歌を中心とした歌物語。
 
野相公、野宰相とも呼ばれている。
 
百人一首に
「わたのはら 八十島かけてこぎいでぬと 人には告げよ あまのつりぶね」の歌がある。
 
 
 
4 小野神社
①社殿
現在の社殿は、江戸時代に再建されたと伝えられている。
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②沿革
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延長5年(927)の「延喜式」に名神大社とされ、日吉大社と並ぶ官幣大社であった。
 
祭神は第5代天皇孝昭天皇の第一皇子、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)とその7世の孫、米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)である。
 
米餅搗大使主命は、応神天皇の頃に日本で初めて餅つきをした餅作りの始祖と伝えられ、菓子作りの神様として菓子業者から広く信仰を集めている。
 
この神社は、小野妹子、小野篁、小野道風などを生んだ古代の名族、小野氏の氏神社であり、推古天皇の代に、小野妹子が祖先を祀って創建したと伝える。
 
平安時代、小野篁のときに、同族が小野神社に集まって祖先を祀った。
 
 
なお、南へ500mほど行ったところの飛地境内に小野道風を祀る小野道風神社がある。また、北に和邇川を越えたところに天皇神社がある。
 
 
5 小野小町供養塔と伝える宝塔
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<説明板>
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 小野小町は小野篁の孫にあたる。

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