|
今津ヴォーリズ資料館
JR湖西線 近江今津駅の東口を出て、湖周道路を北へ500mほど進むと東西に走る辻川通りがあり、その角に今津ヴォーリズ資料館があります。
この建物は鉄筋コンクリート造、2階建で、大正12年(1923)に百三十三銀行(現在の滋賀銀行)今津支店として、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられました。
建築様式は、大正期洋風クラシックの銀行建築として知られ、正面中央の玄関をはさむ2本の柱は略式のトスカナ式柱頭を付けています。
この建物が面している辻川通りには、同じくヴォーリズの設計による今津教会や旧今津郵便局があり、通称「ヴォーリズ通り」と呼ばれています。
1 場所↓
2 今津ヴォーリズ資料館
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の歴史的建造物。
ヴォーリズ設計の今津教会会堂や旧今津郵便局が並ぶ「ヴォーリズ通り」に面して建つ。
館内ではヴォーリズの生涯と日本各地のヴォーリズ設計建築物をパネルや模型で紹介している。
3 建物の沿革
大正12年、ヴォーリズ建築事務所設計により百三十三銀行今津支店として建築。
昭和8年、百三十三銀行が八幡銀行と合併して滋賀銀行が設立されると、本建築は滋賀銀行今津支店となり、その後、昭和53年に銀行が移転したため、町が買い取り、昭和54年から平成13年まで町立図書館として使用された。
平成15年、建設当初の姿に復元後、今津ヴォーリズ資料館に用途変更。国の登録有形文化財に登録される。
4 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年−1964年)について
近代建築に大きな足跡を残したことで、高く評価されている。
フリー百科事典『ウィキペディア』には、次のような記述がある。
・アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
・1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。
5 滋賀県内のヴォーリズの代表建築
(1)教会関係
・日本基督教団堅田教会(大津市) 1930年(国の登録有形文化財)
・日本基督教団水口教会(甲賀市) 1930年(国の登録有形文化財)
・日本基督教団今津教会会堂(高島市) 1933年(国の登録有形文化財)
・アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)(近江八幡市) 1935年 (国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院礼拝堂(旧近江サナトリウム)(近江八幡市) 1936年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団近江金田教会(近江八幡市) 1959年
(2)学校関係
・旧豊郷町立豊郷小学校校舎(豊郷町) 1937
・滋賀大学陵水会館〔旧彦根高等商業学校同窓会館〕(彦根市) 1938(国の登録有形文化財)
・滋賀県立八幡商業高等学校 本館(近江八幡市) 1940
(3)個人宅
・旧伊庭家住宅(郷土館)(近江八幡市)1913(市指定文化財)
・池田町洋館街(近江八幡市)
(旧吉田邸 1913、旧ウォーターハウス邸 1913、ダブルハウス 1921)
・ヴォーリズ記念館(ヴォーリズ夫妻自邸)(近江八幡市) 1931(滋賀県指定有形文化財)
(4)その他
・旧醒井郵便局局舎(米原市) 1915(国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院ツッカーハウス(近江八幡市) 1918
・旧八幡郵便局(近江八幡市) 1921
・旧百三十三銀行今津支店(今津ヴォーリズ資料館)(高島市) 1923 (国の登録有形文化財)
・旧寺庄銀行本店(滋賀銀行甲南支店)(甲賀市) 1924
・旧今津郵便局(高島市) 1934
・ヴォーリズ記念病院五葉分館(近江八幡市) 1936(国の登録有形文化財)
(フリー百科事典「ウィキペディア」より引用)
|
滋賀
[ リスト | 詳細 ]
|
高島市にある白髭神社と琵琶湖中に立つ大鳥居
<白髭神社>
白鬚神社は、滋賀県高島市鵜川の琵琶湖西岸に沿った国道161号線沿いにあり、琵琶湖中に立つ朱塗りの大鳥居が印象的な神社です。
社記によれば、垂仁天皇の25年倭姫命により社殿を創建したと伝え、近江国最古の神社といわれており、全国に点在する白鬚神社の総社です。
現在の本殿は慶長8年(1603)豊臣秀頼の寄進により片桐勝元を奉行として建立され、重文に指定されています。
境内には、紫式部がかつてこのあたりで詠んだという歌の歌碑や与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が当社へ参詣した際に詠んだ歌碑があり、また、松尾芭蕉の句碑もあります。
1 場所↓
2 境内のようす
・案内図
(1)琵琶湖中に立つ大鳥居
沖島を背景として琵琶湖畔に浮かぶ朱塗りの大鳥居がとても印象的で、「近江の厳島」とも称される。
・湖畔から見た今津方面の眺め
<湖中の大鳥居の建立の経緯>
・昭和12年、大阪道修町の薬問屋小西久兵衛氏によって寄進。
・現鳥居は昭和56年琵琶湖総合開発の補償事業で建立
・国道端より58.2m沖 高さ(湖面より)12m 柱幅7.8m
(2)社殿前の鳥居
・扁額
・注連縄
(3)社殿
<説明板>
豊臣秀吉の遺命を受け、豊臣秀頼の寄進により慶長8年(1603)に建立。屋根続きだが、明治12年(1879)に現在の拝殿を付加したため権現造風になっている。
①拝殿
②本殿(重文)
・本殿と拝殿
手前が本殿。
③謡曲「白髭」と拝殿に掲げられていた能の演目
白髭神社は謡曲「白髭」でも知られている。
謡曲「白髭」は白髭明神の縁起を語って祝言を述べる曲。
(4)上の宮と若宮神社
本殿の背後の高台には上の宮と呼ばれる社殿が並び、高台に至る石段下には若宮神社(白髭神社末社)がある。
・上の宮(写真左)と若宮神社(中央)と本殿(右)
・上の宮(写真奥)と若宮神社(手前)
上の宮は、伊勢両宮(天照皇大神宮・豊受大神宮)・八幡三社(加茂・八幡・高良)・天満神社・波除稲荷社・岩戸社と、寿老人社・弁財天社の総称である。
・若宮神社
慶長8年(1603)豊臣秀頼による再建。
(5)手水舎
明治14年9月、京都延齢社によって寄進されたもの。
(6)与謝野寛・晶子 句碑(手水舎横)
境内手水舎わきに、与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が当社へ参詣した際に詠んだ歌碑がある。
しらひげの 神のみまへに わくいづみ
これをむすべば ひとの清まる 上の句…寛、下の句…晶子 <説明板>
大正初年参拝の2人が、社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は寛(鉄幹)、下の句は晶子の作である。
大正7年(1918)京都延齢会が手水舎を再建、その記念として同年12月この歌碑を建立した。揮毫は寛の手であり、全国にある与謝野の歌碑の中で最も古い頃のものといわれる。 (7)松尾芭蕉の句碑
四方より 花吹き入て 鳰の湖
芭蕉47歳の時の作。安政4年(1857)蕉門の人たちによって建立。 (8)紫式部の歌碑
石段上、南に面して立てられている。
みおの海に 網引く民の てまもなく
立ちゐにつけて 都恋しも 源氏物語の作者紫式部が、平安時代の長徳2年(996)、越前国司として赴任する父藤原為時に従って、この地を通った時に詠んだもの。
・石段上からの本殿や琵琶湖方面の眺め
(9)永代常夜灯
天保4年8月に京の近江屋藤兵衛氏が奉納したもので、かつては湖岸に立ち、舟の灯台としての役割を果たしていた。
常夜灯の石柱には、(前=琵琶湖側)白鬚大明神、(後)永代常夜燈、(右)海上安全心願成就の文字が大きく刻まれている。
3 沿革
社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命により社殿を創建したのに始まる。白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜ったという。
1190年には源頼朝が鰐口(わにぐち)を奉納、足利将軍もたびたび参拝するなど、戦国武将に広く信仰された。
4 ご利益
延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通女全・航海安全など、人の営みごとすべての導きの神でもある。
猿田彦大神を人格化する際に白髪の老人とするのは、当社の社名に由来するといい、謡曲『白鬚』の舞台でもある。やはり社名から、長寿の神様として知られる。
|
|
唐臼山古墳(伝・小野妹子の墓)と琵琶湖の眺望
JR湖西線の小野駅の北西に広がる住宅地に囲まれた丘の上に、唐臼山古墳があります。
この古墳は、わが国初の遣隋使として有名な小野妹子の墓と伝えられています。
古墳の墳丘は既に流失し、大きな箱形石棺状の石室が破損して露出していますが、その構造などから、大和朝廷の官人層の墓とみられ、小野妹子の墓とも考えられています。
古墳上には小野妹子を祭神とする小野妹子神社があり、外交・華道の祖神として信仰されています。また一帯は小野妹子公園として整備され、東側は琵琶湖大橋方面の眺めが素晴らしい展望台となっています。
1 場所↓
2 唐臼山古墳
<説明板>
<説明文>
・この古墳は、西側の封土が流失していて、巨大な箱型石棺状の石室が露出している。
・現況で全長5.45m、幅1.60m、高さ1.21mの長方形箱型を呈する。このような構造を持つ古墳は、県内では3例しか認められていない。また、大和朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もある。
・石室を成す各石材は、いずれも1.5×2.5m前後の扁平な板石から成る。奥壁1枚、東側壁石3枚、西側壁石3〜4枚を立岩として連ねて室をつくり、4枚前後の天井石で覆うものである。
・しかし石室の入口がどのような構造を成したかは不明である。入口付近の床面には、土師器細片と7世紀前葉の須恵器片が認められた。
・小野妹子を被葬者とする伝承は江戸時代の記録に初めて見られる。
<露出した石室のようす>
3 小野妹子神社
社殿は古墳上に鎮座している。
<説明板>
外交・華道の祖神とされている。
・社殿
4 琵琶湖の眺望
琵琶湖大橋方面に向かって住宅地が広がっている。
|
|
石山寺の境内を歩く(2)
本堂、多宝塔などの伽藍と瀬田川の眺望
石山寺は琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の岸にあります。
駐車場の近く、東大門の脇には松尾芭蕉の句碑などがあり、これを見てから東大門から参道に入ると両側に美しい庭を持つ拾翠園や公風園白耳亭などがあり、大黒堂をお参りしてから拝観券を購入して入山します。
本堂などがあるところへは、石段を上がっていきますが、上がったところにある観音堂、毘沙門堂、御影堂を拝観してから本堂へ向かいます。
今回は本堂から山上に点在する伽藍についてまとめます。
1 場所↓
2 石山寺について(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
・聖武天皇の発願により、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。(石山寺縁起)
・有数の観音霊場として知られ、西国三十三所観音霊場の13番札所
・「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などの文学作品にも登場し、「源氏物語」の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
・「近江八景」の一つ、「石山秋月」でも知られる。
・本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
※なお、石山寺は、宗派は東寺真言宗、山号は「石光山」、本尊は如意輪観世音菩薩である。
3 境内のようす
<案内図>
(1)石山寺珪灰石
珪灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもの。石山寺の「石山」の起こりとなったもの。
・珪灰石と多宝塔
(2)松尾芭蕉句碑
「あけぼのはまだ むらさきに ほととぎす」
源氏の間を詠んだもの。
(3)蓮如堂(重文)
(4)本堂(国宝)
①沿革
前方にある礼堂と後方にある本堂を相の間でつないだ複雑な平面と屋根の形状を持つ建物。
相の間の東端は、紫式部が「源氏物語」の着想を石山寺本堂で得たという伝説にちなんで「源氏の間」と呼ばれている。
建物は奈良時代に建立され、天平宝宇5〜6年(761〜2)にかけて造東大寺司によって拡張。その後、承暦2年(1078)に焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが現在の本堂で、天平宝宇頃のものとほぼ同じ規模をもつ滋賀県で最も古い建物。
礼堂と相の間は、慶長7年(1602)に淀君によって建てかえられた。
昭和27年、国宝に指定。
②本堂のようす
・祈願絵馬
(5)三十八所権現社(重文)
(6)経蔵(重文)
桃山時代。県下における数少ない校倉造の遺構の一つ。
(7)腰掛石
昔からこの石に座ると安産のご利益があるといわれている。
(8)多宝塔(国宝)
・沿革
鎌倉時代の建久5年(1194)に建立されたもので、源頼朝が寄進したと伝える。
現存する多宝塔としては国内最古といわれる。
・本尊大日如来坐像(重文)
建久5年(1194)、塔と同時期の快慶の作とされる。
(9)光堂と紫式部像
光堂のそばに紫式部像がある。
(10)紫式部供養塔
(11)鐘楼(重文)
源頼朝寄進と伝えるが、様式等から鎌倉後期のものと考えられている。
(12)心経堂
(12)月見亭
・月見亭近くからの瀬田川の眺望
4 「石山寺縁起絵巻」について
石山寺の創建の由来を描いた絵巻。重文に指定。
全7巻に、良弁による開基、宇多天皇らの参詣、参籠して源氏物語の構想を練る紫式部といった霊験譚33話が描かれている。
巻一〜三と五 鎌倉時代に高階隆兼筆で製作。
巻四 室町時代に土佐光信が補作。
巻六〜七 江戸時代に谷文晁が描いた。
|
|
石山寺の境内を歩く(1)
東大門から観音堂・毘沙門堂・御影堂まで
石山寺は琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の岸にあります。
京阪石山坂本線の終点、石山寺駅から瀬田川に沿って10分ほど歩いたところに入口の東大門があります。
1 場所↓
・案内図
2 石山寺について(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
・聖武天皇の発願により、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。(石山寺縁起)
・有数の観音霊場として知られ、西国三十三所観音霊場の13番札所。
・「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などの文学作品にも登場し、「源氏物語」の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
・「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。
・本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
※なお、石山寺は、宗派は東寺真言宗、山号は「石光山」、本尊は如意輪観世音菩薩である。
3 境内
(1)東大門の外側にある見どころ
東大門に向かって左手に、弘法大師ゆかりの「三鈷の松」と松尾芭蕉句碑がある。
①弘法大師ゆかりの「三鈷の松」
東大門に向かって左手、土産物店の前にある。
②松尾芭蕉句碑
「石山の 石にたばしる 霰かな」
元禄3年(1690)の冬の日に、石山寺を訪れた時の句。
(2)東大門(重文)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190)源頼朝の寄進により建立と伝える。本堂の礼堂が建立されたのと同時期の慶長年間に大修理を受けている。
・仁王像と参道
仁王像は鎌倉期の仏師・運慶と息子の湛慶の作と伝えられている。
(3)拾翠園
東大門を入り、参道右手にある。新緑と紅葉の頃はすばらしい。
(4)公風園白耳亭
拾翠園の向かい側にある。ここも新緑と紅葉がすばらしい。
(5)大黒天堂
・庭園
(6)拝観入口
(7)くぐり岩
天平時代の開創当時からのものといわれる奇岩怪石が、参道わきにある。
(8)手水舎
(9)比良明神影向石
天平時代、比良明神がこの石に座り、良弁僧正に、この山が観音の聖地であることを示したという。
(10)観音堂・毘沙門堂方面への石段
石段を上ると右手に御神木があり、その横に観音堂がある。
(11)観音堂
右は御神木、左は毘沙門堂がある。
・観音堂内部
西国33ヵ所の全ての尊像を安置。
・観音堂(右)と毘沙門堂(左)
(12)毘沙門堂
滋賀県指定文化財。
堂内に、国重文の毘沙門天像などを安置。
(13)御影堂(重文)
室町時代の建立。
※次回は、本堂、多宝塔、瀬田川の展望などをまとめます。
|





