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近江八幡の伝建地区(1) 八幡堀と白雲館
 
 
近江八幡は豊臣秀次によって琵琶湖の東岸に位置する八幡山の麓に建設された城下町を起源とし、東海道と中山道と北国街道が交差する交通の要衝である近江国の地の利を生かして商業地として発展、繁栄しました。いわゆる近江商人の発祥の地ともいわれています。
 
近江八幡市旧市街地にある八幡堀、日牟礼八幡宮境内地、新町通り、永原町通りを中心とした地区は近世の風情がよく残り、1991430日に「八幡伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 
また、ここには建築家ヴォーリズの設計した近代建築物も多く残っています。
 
2005年には水郷地域160ヘクタールが景観法に基づく「景観計画区域」に同法の適用第1号として指定され、さらに2006年には「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号に選定されました。
 
 
ここでは、「八幡伝統的建造物群保存地区」に選定された地区について、八幡堀と白雲館、日牟礼八幡宮、新町通り・永原町通りの3回に分けてまとめてみます。
 
第1回は、八幡堀と白雲館です。
 
 
(1)八幡堀
 
①場所↓
 
 
②案内図
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③八幡堀について
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④八幡堀のようす
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③八幡掘の沿革
 
<八幡山>
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・八幡城の築城
天正13年(1585)、豊臣秀次は八幡山に八幡城を築城し、城下町を開いた。その際、湖畔を埋め立て、八幡山周囲に八幡堀を開削した。自由商業都市を目指し安土城下などの商人・職人を呼び寄せ、碁盤上に区切った城下町に居住区を設けた。堀は、八幡城の防衛と湖上交通による物流の役割を兼ね備え、城下町の発展・繁栄に大きく寄与した。
 
・隆盛
 文禄4年(1595)、秀次の自害を受けて八幡城は廃城となったが、城下町は存続し、近江商人により繁栄を極めた。近江商人は八幡堀の地の利を活かし、地場産物(畳表、蚊帳、米、酒など)を陸路や水路を利用して各地へ搬出し、各地の産物を持ち帰り、再び各地へ送り出すといった「諸国産物回し」と呼ばれる商法によって、各地の産業振興に貢献した。
 
・復旧事業
 昭和になると、堀は運河の機能を失い、やがて川底にヘドロが堆積し、悪臭を放つようになった。
 これに対し、堀の保存修景運動が市民全体の運動として盛り上がり、堀の全面浚渫工事が着工され、昭和54年(1979)に工事が完成した。
 
・国の伝建地区選定まで
 昭和57年(1982)、国土庁の「水緑都市モデル地区整備事業」に指定され、堀の石垣が復元され、堀沿いに遊歩道・親水広場が作られた。昭和63年(1988)、「八幡堀を守る会」が結成され、会員による除草作業が行なわれるようになった。平成4年(1992)、「新町通り」「永原町通り」「日牟禮八幡宮境内地」とともに国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
(以上、フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
 
 
(2)白雲館
 
・説明板
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・全景
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・ステンドグラス
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・日牟礼八幡宮の鳥居と白雲館
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明治10年(1877)に八幡東学校として建築され、以降、八幡町役場、蒲生郡役所などを経て、近江八幡市に移管。その後修復工事が行われ、明治期の姿を復元し、現在は観光案内所等として活用されている。
 
貴重な擬洋風建造物として、平成10年、国登録文化財に登録。

瑞雪院と近藤重蔵の墓

瑞雪(禅)院と近藤重蔵の墓
 
 
近藤重蔵(1771―1829)は江戸時代後期の幕臣、探検家であり、高校の教科書にも蝦夷地・千島方面を探険したことが書かれています。
 
近藤重蔵は、文政10年(1827)長男富蔵が起こした殺傷事件の責任を問われ、近江の大溝藩に預けられ、3年後にこの地で没しました。
 
近江高島駅の北西約500mの山あいに大溝藩藩主の菩提寺である臨済宗東福寺派の圓光禅寺があり、すぐ近くにある塔頭の瑞雪院脇の細い坂道を山手に入ると、生い茂る樹木の陰に近藤重蔵の墓があります。
 
なお、近藤重蔵の墓は、ここのほか、東京の文京区にもあります。
 
 
1 場所↓
 
 
2 瑞雪院
①本堂
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②鐘楼
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 京都にある方広寺大仏殿の梵鐘の残り銅で鋳造した伝承がある。
 
③苔むした手水鉢
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<説明板>
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輝雲山瑞雪院という。
 
本尊は薬師如来、圓光禅寺の塔頭。この寺は分部光嘉公夫人(瑞雪院殿)の菩提を弔うため伊勢上野の圓光寺境内に建てられたが、本坊とともにこの地に移された。
 
鐘楼の梵鐘は、分部光嘉の長子光勝の菩提寺であった光勝寺のもので、京都「方広寺」大仏殿の梵鐘の残り銅で鋳造した伝承がある。
 
当初塔頭桂芳院(光勝寺)にあったが、廃寺となり隣接の瑞雪院の鐘楼に移された。小鐘であるが音色極めて優美である。
 
寺の裏山には、大溝藩に幽閉中に病没した北方探検の英傑「近藤重蔵」の墓がある。
 
生前重蔵はこの地の風景を賞でて、しばしば散策したと伝えられる。
 
 
3 近藤重蔵の墓
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小さな墓石には「近藤重蔵守重之墓」と刻まれている。
 
<説明板>
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4 近藤重蔵(1771―1829)について
説明板とフリー百科事典「ウィキペディア」によれば、
 
・明和8年(1771)、旗本の子として江戸駒込に生まれる。
 
・寛政2年(1790)に家督を相続し、のち長崎奉行出役、寛政9年(1797)に江戸へ帰参し支払勘定方、関東郡代付出役と栄進。
 
・寛政10年(1798)松前蝦夷地御用取扱を命じられ、以後5回にわたり北方領土を探検し、エトロフ島では、「大日本恵土呂府」の標識を立て、「辺要分界図考」という地理書を著すなどこの方面の防衛・開拓を図った。
 
・彼はまた「江州本草」三十巻など多くの書物を著し、藩の子弟に学問を勧めるなど、藩の文教振興に貢献した。
 
・しかし、文政9年(1826)に長男の近藤富蔵が町民を殺害して八丈島に流罪となり、翌年、連座して近江国大溝藩にお預かりとなった。
 
・文政12年(1829)死去。享年59。生前、重蔵がこよなく愛したという圓光寺の塔頭瑞雪院の裏山に葬られた。
 
・死後に赦免され、明治44年に北方探検の功績により正五位が贈られた。なお、重蔵に関する遺品類は、端雪院に隣接する圓光禅寺を始め、町内各所に納められている。
 
・墓所は、西善寺(東京都指定旧跡、東京都文京区)と圓光禅寺の塔頭瑞雪院(滋賀県高島市勝野)の2ヵ所ある。

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高島市にある鴨稲荷山古墳と家形石棺
 
 
鴨稲荷山古墳はJR湖西線 安曇川駅 から南へ約1km、鴨川にかかる天皇橋を渡った右手にあります。
 
・古墳への入口
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 写真奥が天皇橋方向、手前が近江高島方向です
 
 
1 場所↓
 
 
2 古墳のようす
 
一見すると公園のように整備されたところにわずかな丘があり、その上に出土した石棺を保護するための覆屋が建てられています。
 
①全景
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 森の手前の覆屋のあるところが墳丘です。
 
 
②覆屋と墳丘
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・覆屋建設の経緯
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覆屋の中にはこの古墳の石棺(全長3.3m、幅1.2m、高さ1.1mの刳抜式家型石棺)が保存されており、ガラス越しに見ることができます。
 
 
③覆屋内部に保存されている刳抜(くりぬき)式家形石棺
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・石棺内遺物配置復原図
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④説明板
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この古墳は明治35年(1902)に県道の拡幅工事に伴う土取り中に巨大な石棺が出土したことから発見された。
 
調査の結果、この古墳は後円部に横穴式石室を持つ前方後円墳で、発見当時は長さ9m、幅・高さともに1.8mの石室があったとされ、内部には刳抜式家形石棺が納められていた。
 
また、棺内からは金銅製の冠・沓・環頭太刀、金製の耳飾などの装飾品や馬具類が、棺外からは須恵器類などの豊富な副葬品が出土し、古墳の造られた時期は6世紀前半と位置づけられている。
 
また、この付近は古代の三尾郷に想定され、石棺や副葬品の状況などから、継体天皇に2人の妃を嫁がせた三尾氏に関係する古墳の可能性が高いとされ、滋賀県を代表する古墳の一つとして注目されている。
 
なお、この古墳は、滋賀県内では平野部に立地する唯一の前方後円墳であると考えられ、家形石棺は大阪と奈良の境にある二上山から運ばれてきた凝灰岩製で、奈良県斑鳩町にある藤ノ木古墳と共通点が多いことが指摘されています。
 
 
出土した金銅冠、鏡、玉類などの副葬品の一部はこの古墳の近くにある歴史民俗資料館で見ることができます。
 
・歴史民俗資料館案内
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高島市安曇川町にある玉泉寺と石仏群
 
 
琵琶湖の湖西、JR湖西線の安曇川駅から西北西に約2km、山あいの田中集落に玉泉寺があります。
 
玉泉寺はもとは行基の開基と伝える古刹ですが、その後の盛衰を経て、現在では天台真盛宗総本山西教寺の末寺となっています。
 
ここでは室町期の石仏など見事な石仏群があり、境内の石造の宝塔と層塔とあわせて、必見です。
 
 
1 場所↓
 
 
2 境内
 
(1)建物
①山門と鐘楼
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②本堂
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・扁額
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・サルスベリの花
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③薬師堂
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(3)石仏群
<説明板>
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①墓地前にある丸彫りの五智如来
室町時代後期の作品で、高島の鵜川48体阿弥陀仏と同時期の作品で、同じ湖西の石仏石工の集団が造立したものと考えられている。
 
前屈みで扁平な感じで作られているのは湖西の石仏の特徴とされる。
 
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向かって左から阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、弥勒仏、釈迦如来。
 
大日如来像の前に一回り小さい阿弥陀石仏がある。
 
・阿弥陀如来、薬師如来、弥勒仏、釈迦如来と手前の阿弥陀石仏
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・薬師如来、大日如来、弥勒仏、釈迦如来と手前の阿弥陀石仏
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・阿弥陀如来、薬師如来
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阿弥陀如来は螺髪まで丁寧に刻んでいる
 
弥勒仏、釈迦如来
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②境内に立つ石造の宝塔と層塔
左から石造阿弥陀如来座像、宝塔(南北朝時代)、五重石塔(鎌倉時代中期)、石造宝塔(鎌倉時代)が並ぶ。
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石造阿弥陀如来座像、宝塔(南北朝時代)、五重石塔(鎌倉時代中期)
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五重石塔は塔身に四方仏が刻まれている。
 
石造阿弥陀如来座像、宝塔(南北朝時代)
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・石仏と石造宝塔(鎌倉時代)
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石造宝塔は塔身に四方仏が刻まれている。
 
・宝塔の基礎に陽刻された二茎蓮を結ぶ「のし結び」の文様
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湖西地方の特徴とされる。
 
近江今津の「ヴォーリズ通り」沿いにある旧今津郵便局
 
 
JR湖西線 の近江今津駅 東口を出て湖周道路を北へ500mほど行くと、東西へ伸びる辻川通りに出ます。
 
辻川通りの角に今津ヴォーリズ資料館があり、さらに西に向かってヴォーリズ資料館、今津教会会堂、旧今津郵便局という3つのヴォーリズ建築が立ち並んでいます。
 
そこで、最近この通りは、「ヴォーリズ通り」と呼ばれるようになりました。
 
旧今津郵便局は、高島市近江今津のヴォーリズ通りに面して昭和11年(1936)に竣工したウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の歴史的建造物です。
 
 壁面などかなり傷んでおり、うっかり見過ごしてしまうところでした。
 
ぜひとも早期の修復を望みたいところです。
 
 
1 場所↓
 
<ヴォーリズ通りについて>
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2 旧今津郵便局
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3 建物の沿革、特長
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昭和11年(1936)、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建築。
 
和洋折衷式と呼ばれる建築で、入口の屋根や窓の配置などにヴォーリズ独自の創意が見られる。
 
 
4 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年−1964年)について
 
近代建築に大きな足跡を残したことで、高く評価されている。
 
フリー百科事典『ウィキペディア』には、次のような記述がある。
 
・アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
 
・ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
 
1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。
 
 
5 滋賀県内のヴォーリズの代表建築
(1)教会関係
・日本基督教団堅田教会(大津市) 1930年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団水口教会(甲賀市) 1930年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団今津教会会堂(高島市) 1933年 (国の登録有形文化財)
・アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)(近江八幡市) 1935年 (国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院礼拝堂(旧近江サナトリウム)(近江八幡市) 1936年 (国の登録有形文化財)
・日本基督教団近江金田教会(近江八幡市) 1959
 
(2)学校関係
・旧豊郷町立豊郷小学校校舎(豊郷町) 1937
・滋賀大学陵水会館〔旧彦根高等商業学校同窓会館〕(彦根市) 1938(国の登録有形文化財)
・滋賀県立八幡商業高等学校本館(近江八幡市) 1940
 
 
(3)個人宅
・旧伊庭家住宅(郷土館)(近江八幡市)1913(市指定文化財)
・池田町洋館街(近江八幡市)
(旧吉田邸 1913、旧ウォーターハウス邸 1913、ダブルハウス 1921
・ヴォーリズ記念館(ヴォーリズ夫妻自邸)(近江八幡市) 1931(滋賀県指定有形文化財)
 
 
(4)その他
・旧醒井郵便局局舎(米原市) 1915(国の登録有形文化財)
・ヴォーリズ記念病院ツッカーハウス(近江八幡市) 1918
・旧八幡郵便局(近江八幡市) 1921
・旧百三十三銀行今津支店(今津ヴォーリズ資料館)(高島市) 1923 (国の登録有形文化財)
・旧寺庄銀行本店(滋賀銀行甲南支店)(甲賀市) 1924
・旧今津郵便局(高島市) 1934
・ヴォーリズ記念病院五葉分館(近江八幡市) 1936(国の登録有形文化財)
 

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