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正面通りと正面橋

正面通りと正面橋
 
 
正面通りは、現在の豊国神社前から西に向かって伸びている道で、その名前の由来は豊国神社の地にかつて方広寺の大仏があり、その正面につながる通りであることに由来するものと伝えられています。
 
・豊国神社前の石段
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 かつては方広寺の大仏があり、ここから西へ正面通りが続きます。
 
正面通りは渉成園(枳殻邸)、東本願寺、西本願寺などで中断し、渉成園と不明門通の間では中珠数屋町通とも呼ばれています。
 
 
●正面通り
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正面橋から見たところ
 
 
●正面橋
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鴨川にかかる五条大橋と七条大橋の間にあります。
 
 
・正面橋から見た七条大橋
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・正面橋から見た五条大橋
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●高瀬川にかかる正面橋
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●任天堂旧本社
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鴨川と高瀬川にはさまれた、正面橋通りから少し西に向かって歩いたところに、レトロな建物があり、プレートを見るとあの世界企業の任天堂がまだトランプ屋さんだったころの本社の建物が残っています。
 
※場所↓
 
 
・竣工 昭和58年(1930年)
 
・設計者 増岡熊三・田中義光
 
・プレート
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 文字が時代を感じさせている。
 
 
<任天堂の生い立ち>
・明治22年1889
山内房治郎によって下京区正面通木屋町東入ルの地で、「任天堂骨牌」として創業。主な事業は花札の製造であった。
 
・明治35年(1902
日本で初めてトランプの製造を行う。
 
・昭和8年(1933
「合名会社山内任天堂」設立 。この時の建物が現存する旧本社社屋。
 
・昭和26年(1951
「任天堂骨牌株式会社」に社名変更
   
・昭和28年(1953
プラスチック素材を取り入れたトランプを開発、販売
   
・昭和43年(1963
「任天堂株式会社」に社名変更
 
・現在の本社は、京都市南区の大きなビルにある。
京都ゑびす神社(恵美須神社)の珍しい参拝の仕方と名刺塚、財布塚
 
 
恵美須神社は建仁寺の西側の大和大路通沿いにあります。 
 
・大和大路通に面した鳥居
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ここは、鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に栄西禅師が建仁寺を建立するに当たり、鎮守杜として創建されたと伝えられています。
 
現在では、西宮と大阪にある今宮神社と並び日本三大ゑびすの一つとされ、「えべっさん」の名で「商売繁盛」の守り神として親しまれています。
 
境内は1月の「十日ゑびす」と10月の「二十日ゑびす」の時には大勢の参詣客でにぎわいますが、普段は静かな境内で、のんびり散策できます。
 
 
ここは商売繁盛の神様というだけあって、名刺塚と財布塚という他ではあまり見られないものがあります。
 
境内に入って右手奥にありますから、見落とさぬようにしたいものです。
 
6月に入って訪れてみると、社務所の前に綺麗に咲いた花菖蒲の鉢が置かれていました。
 
・花菖蒲の鉢
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※場所
 
<周辺の案内図>
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1 境内
 
道路に面した鳥居をくぐると、正面に二の鳥居と拝殿が見えます。
 
 
●二の鳥居と拝殿
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・二の鳥居の福箕
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二の鳥居に福箕が掛けられており、ここにお賽銭を投げ入れ、うまくその中に入ると願いが叶うといわれています。
 
 
●拝殿
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ここでの参拝のしかたは、本殿の正面からお参りしてから、次に、左へ拝殿の横にまわって、横の板を軽く叩いてお参りすると願いが叶う、といわれています。
 
えびす様は長寿で耳が遠いため、こうやって参拝を伝えるのだと、昔からいわれています。
 
・正面
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正面でお参りをし、次に拝殿左側の奥に進みます。
 
・左側側面  
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ここには「この板をたたいてお詣り下さい」という掲示があります。
 
 
●名刺塚と財布塚
境内に入って右手奥にあります。
 
・名刺塚と財布塚
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古くなった財布や名刺の供養のため築かれたもの。
 
財布塚には寄進した松下幸之助の名前が見える。
 
平成22年は926日に名刺・財布感謝祭が行われる。
 
 
 
ふくよかな顔立ちのゑびすさま
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境内社「小松天満宮」「白太夫社」
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●岩本社
平安時代の歌人、在原業平を祀り、在原業平像は阿仏尼作ともいわれている。
 
 
2 沿革  
 
・健久2年(1191)に栄西禅師が宋より帰途についた際、暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、その加護により難を免れたといわれ、建仁寺創建にあたり、境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのがおこりと伝えられている。
 
・応仁の乱後、建仁寺再建にあたって現在地に移したと伝わる。
 
・今もなお当地の産土神として人々の崇敬を受けている。
 
 
 
3 都七福神めぐり
 室町時代に京都で民間信仰として七福神信仰が興り、全国に拡がっていったといわれる。
 ゑびす神は七福神のうちで唯一日本生まれの神様といわれている。
 
 
   
4 十日ゑびす(初ゑびす)
 18日〜12日の5日間に渡って行われる。
 
商売繁盛、交通安全、家内安全のご利益を求める参拝者で賑わう。
 
18日  招福祭
 
19日  宵ゑびす祭
 
110日  十日ゑびす大祭(初ゑびす)
 
111日  残り福祭
 
112日  撤福祭
 
 
5 二十日ゑびす』(ゑびす講)
1019日〜20
・(初ゑびす)と対をなし、旧暦の920日(現在の1020日)に執り行われる。
20日は午後2時半より生間流包丁式が奉納される。
 
 
6 練習問題
(1)祭神:八重言代主神、大国主神
 
(2)沿革
・平安末期、( 1 )が宋からの帰路に暴風雨にあい、波間に( 2 )神を得て、船中に祀ると風雨が止んだ。帰国後、建仁寺境内に祭って鎮守社としたのが始まり
・応仁の乱後、建仁寺再建にあたって現在地に移したと伝わる。
 
(3)( 3 )まいりの一つ。商売繁盛、交通安全(海路安全)の神として知られる。
 
(4)行事
初ゑびす 18日〜12
1月8日 ( 4 )祭
 9日 ( 5 )
 10日 ( 6 )
   11日 ( 7 )
   12日 ( 8 )
 
二十日ゑびす 1019日〜21
 10月19日  ( 9 )
    20日  ( 10 )大祭
    21日  ( 11 )
 
境内でゑびす囃子を奏し、( 12 )流の式包丁が奉納される。
 
【正解】
1
栄西
2
恵美須
3
都七福神
4
招福
5
宵ゑびす
6
初ゑびす
7
のこり福
8
撤福祭
9
宵ゑびす
10
ゑびす講
11
のこり福
12
生間
 
哲学の道とアジサイと青もみじ
 
 
「哲学の道」は琵琶湖疎水の支流に沿って、銀閣寺橋から南へ、若王子町まで続く全長約1.6kmの散策路で、「日本の道100選」に選ばれています。
 
その名前の由来は、大正から昭和にかけて、哲学者西田幾多郎や河上肇、田辺元らが思策に耽りながら歩いた、という逸話から名づけられたといわれています。
 
また、この道は、春は桜、秋は紅葉の名所として知られ、特に、「関雪桜」と呼ばれる桜は、近くに居を構えた日本画家、橋本関雪の夫人が大正年間に京都市に苗木を寄贈したものです。
 
アジサイの花が見ごろになった週末、哲学の道を歩いてきました。
 
 
※場所
 
 
1 哲学の道
 
<周辺の地図>
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●北の起点、銀閣寺橋
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●「哲学の道」の標石
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●石畳の哲学の道
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●南の起点、熊野若王子神社
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●アジサイと疏水
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●西田幾多郎の歌碑
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  哲学の道の途中、法然院の下の洗心橋の一本南側の橋のたもとに鞍馬石に刻まれた歌碑があります。
 
「人は人吾(われ)はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行(ゆく)なり」
と刻まれています。碑の建立は昭和56年(1981)で、この道を散策した西田幾多郎が晩年につくったという歌です。
 
西田幾太郎 (18701945) は、明治43(1910)に京都大学哲学科の助教授に就任して以後、昭和3年(1928)に定年退官するまで、大学のすぐ近くに住んでいたそうです。
 
 
●「日本の道100選」選定プレート
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2 京都検定公式テキストに記載されている「京都の散歩道」
 
次の散歩道が記載されている。
 
●「きぬかけの路」
金閣寺から衣笠山に沿って龍安寺を通り、仁和寺を過ぎて周山街道と合流する道。観光道路として知られる。なお、「きぬかけの道」ではないことに注意。
<京都検定出題例>
【問】京都市北区にある「衣笠山」は、天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い雪景色に見せたという故事から名づけられた。この天皇は誰か。
(ア)宇多天皇  (イ)醍醐天皇  (ウ)花山天皇  (エ)白河天皇
 
【正解】(ア)
 
・衣笠山
宇多天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い、雪景色に見せたという故事で知られる。
 
・堂本印象美術館
近代日本画の大家堂本印象の美術館。昭和41年に「きぬかけの路」に建て
られた。内装から外装に至るまで画伯自身の意匠により彩られている。
 
 
●「せせらぎの道」
川端通と縄手通の間を三条通から四条通付近まで続く散歩道で、松並木に沿って人口の小川が作れている。
 
 
●「半木(なからぎ)の道」
賀茂川の北大路橋と北山大橋の間、京都府立植物園の西側堤防上に沿って紅しだれ桜が800mに渡って植えられ、「半木の道」として散策路が整備されている。
 
ここに紅しだれ桜が植樹されたのは1972年〜1976年の間であり、すっかり大きくなった桜が満開になる4月には、半木の道は桜のトンネルとなり、京都で有数の花見スポットとなる。
 
 
「ねねの道」
東山の高台寺から円山公園へと続く石畳の道。高台寺道ともいう。途中から石塀小路が西につながる情緒あふれる散歩道。
<京都検定出題例>
【問】ねねの道とは、(  )の正室が高台寺で余生を送ったことにちなんで名づけられた。
(ア)明智光秀  (イ)織田信長  (ウ)豊臣秀吉  (エ)徳川家康
 
【正解】(ウ)
 
 
●「維新の道」
ねねの道の南端から東へ、護国神社へと続く坂道。近くに維新を飾った人々ゆかりの品々のある霊山歴史館や正法寺がある。
 
 
●「さわらびの道」
宇治橋から宇治川の東岸を川に沿って続く道。
 
朝霧橋の手前から宇治神社の方へ曲がると宇治十帖ゆかりの「早蕨」の史跡があり、さらに宇治上神社を通って源氏物語ミュージアムまで続く散歩道。
 
 
●「あじろぎの道」
宇治の平等院前から宇治川の左岸(西側)に沿って、府道大津南郷宇治線に
合流する地点までの小道。宇治十帖ゆかりの古跡に往時の面影を偲ぶ散歩道。
 
<京都検定出題例>
【問】宇治橋から宇治上神社を経て、源氏物語ミュージアムに至る散策路を何というか。
(ア)さわらびの道 (イ)あじろぎの道 (ウ)千代の古道 (エ)せせらぎの道
 
【正解】(ア)
 
 
●「千代の古道」
歌にも詠まれ平安時代から親しまれてきた古道。京福北野線 鳴滝駅 北側から、音戸山の西側に沿って広沢池に出る道。
 
 
●「鳥と遊ぶ道」
西京区の桂坂にある桂坂野鳥遊園の裏山に設けられた3つのコースからなる探勝路で、土・日のみ歩くことができる。
 
下河原通から石塀小路へ
 
 
●八坂神社西楼門
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八坂神社は四条通の東の正面に見える朱塗りの楼門(西楼門)が有名です。
 
でも、八坂神社の正面は本殿南側の正面入口に立つ楼門で、ここには正保3年(1646)建立の石鳥居があります。
 
 
●八坂神社の正面は本殿南側の正面入口に立つ石鳥居
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●下河原通り
八坂神社本殿南側の石鳥居から南へ伸びる通りを下河原通といいます。
 
下河原通りかいわいには、格子戸の旅館、料亭、お茶屋などが点在し、京情緒あふれる街並みが残っています。
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●石塀小路
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 下河原通りから「ねねの道」とも呼ばれる高台寺下の道とを結ぶ細い路地が石塀小路です。
 
・ねねの道
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石塀小路は明治末期から大正初期にかけて、造成されたところで、町家の基礎部分の石垣を高くとっていることから、石塀という名前の由来を感じさせてくれます。
 
 石畳の一部は、昭和和50年代に廃止された京都市電の敷石を使っています。
 
 
 
●喫茶いし塀
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●玉半
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  老舗旅館です。
産寧坂(三年坂)から二寧坂(二年坂)へ
 
 
清水道から高台寺方面へ向かう最も人気のある道は、産寧坂(三年坂)の石段を下りて二寧坂(二年坂)に向かう道です。
  
●産寧坂(三年坂)
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産寧坂(三年坂)の石段を下りると、右手に興正寺別院への参道入口があり、一般道路との交差点があり、右に行けば山村美沙さんの家があったりしますが、ここはまっすぐに進むと、右手にかつての料亭阪口が、「青龍苑」として生まれ変わり、庭園が無料で公開されています。
 
●「青龍苑」
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すぐ近くに、井筒八橋のお店があります。
 
●井筒八橋
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さらに、いろいろな京都らしいたたずまいのお店を見たり、休憩したりしながら進むと、左手に湯豆腐で有名な奥丹があります。
 
 
奥丹
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奥丹の前を右にゆるい坂道が続いています。ここが二寧坂(二年坂)です。
 
 
二寧坂(二年坂)
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名前の由来については、大同2年(西暦807年)に坂が整備された時よりこの名前が付けられたという説と、産寧坂の下(手前)なので二寧坂で呼ぶようになったという説があるようです。
 
ここは、かつて明治、大正、昭和の3代にわたり、波乱の人生を送った詩人であり画家であった、竹久夢二が暮らしたところでもあります。
 
ここから高台寺手前の「維新の道」まで、このあたりもまた、京都らしい情緒あふれるところです。
 
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